「フェアレディ」と言えば「フェアレディZ」のことだと直観的に答えてしまう自動車ファンも多いのでは無いでしょうか。しかし1969年に初代S30フェアレディZが登場する以前、その名はヨーロピアン・スポーツ風のボディをまとったダットサン フェアレディのものでした。最後にして最強のSR311フェアレディ2000はゼロヨン記録が80年代まで破られなかった俊足を誇ったものの、あふれるパワーを乗りこなすのが大変な「淑女」ならぬ「お転婆娘」でもあったのです。
掲載日:2017/10/03
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戦後初のスポーツカー、ダットサン スポーツの系譜、SR311フェアレディ
戦後日本初のスポーツカーと言えば?
ホンダ S500?トヨタスポーツ800?ダイハツ コンパーノスパイダー?
いえいえ、1960年代のスポーツカーよりはるか以前、1952年に日産が発売した、ダットサン スポーツDC-3です。
見た目はイギリスのMG CなどTシリーズを目標としていましたが、寸詰まりのボディから受ける印象はむしろ戦前、750cc時代のダットサンとあまり変わり映えのしない印象。
トラックシャシーにサイドバルブ4気筒850ccエンジンと、当時の日本で準備できるあり合わせに近いものでしたが、志は大きく、戦後の日本自動車界を実用車のみに留まらせず、文化面からも復興していこうという意気込みを感じられます。
そのダットサン・スポーツは1959年に少数生産されたS211型ダットサン・スポーツ1000を経て、1960年デビューのSPL212 / 213から「淑女」を意味する「フェアレデー」と名付けられました。
ただしこれらは主に輸出用で、日本での本格販売が始まったのは1962年に発売されたSP310からで、「フェアレディ」に少し改称。
以後、基本的な構成は変わらないながらも次第に排気量を上げていき、その限界点に達した最終モデルがSR311フェアレディ、通称「SR」です。
最後の旧時代スポーツカー、SR311フェアレディ2000
基本的にはS211からベース車を変えつつ、ほぼ同様の構成となる一連のフェアレディ。
その構成とは何かと言えば、「その当時のトラックと、それをベースとした乗用車のラダーフレームにオープンスポーツボディを乗せ、その当時としては強力なエンジンを搭載する」という少々強引で、シンプルなものでした。
1960年代半ばと言えばまだ初期のモノコックボディ車が登場した頃でラダーフレームに用途に合わせたボディを乗せていっちょ上がり!という車もそう珍しいものではありません。
「クリスプカット」と呼ばれる継ぎ目が極端に少なく美しいボディをまとった初代シルビアでさえ、シャシーはラダーフレームでSP311フェアレディの兄弟車でした。
東京オリンピックに合わせて首都圏こそ舗装が進んだものの、地方ではまだまだ国道ですら未舗装区間が多かった時代、ヘタに凝ったモノコックシャシーやサスペンションを使うより、頑丈なラダーフレームとリーフリジッドの方が信頼性が高かったのです。
高度経済成長期に合わせて状況は次第に変わっていきますが、SR311はそんな時代の変わり目に生まれた、「最後の旧時代国産スポーツ」と言えるかもしれません。
「淑女」は高鳴る心臓の鼓動を抑えきれない「お転婆娘」になった
しかし、時の流れでSP310の1.5リッターOHV(G型71馬力…後にSUツインキャブ装着で80馬力)、SP311の1.6リッターOHV(R型90馬力)でも、他社から次々と登場する新型車の前に「スポーツカーとしては少々非力」となっていきます。
そもそもダットサントラックをベースに短縮してダットサン 310(初代ブルーバード)用とした低床ラダーフレームにクロスメンバーなどを加えて補強、頑丈ではあるものの少々重くなっていたので、並大抵のエンジンではそう速くはなりません。
当時の日産ガソリンエンジンでフェアレディのエンジンに収まり最強、となると2リッター直4のセドリック用H20があったものの、それとて92馬力と出力面が十分ではありませんでした。
しかし日産はこのH20をアルミヘッドでSOHC化、SUツインキャブを組み合わせたU20を開発。
最高出力は実に145馬力に達したこのエンジンを、フェアレディに載せたのです。
残念ながら、SP310からサスペンションはフロントがダブルウィッシュボーンながらリアはリーフリジッド、SP311でフロントブレーキがディスク化した程度で旧態依然なのは事実。
そこへ猛烈に強力なエンジンを押し込んだのですから、アクセルを踏むやムチをくれた暴れ馬のようにパワーを持て余し、完全にシャシーがエンジンに負けている車となってしまって大変!
「淑女」を返上して「お転婆娘」もいいところとなってしまいましたが、それでも0-400m記録は15.4秒、社内テストでは15.1秒を記録したとも言われており、最高速に至っては205km/hと大台超え。
特に0-400m記録は後のハコスカGT-RもフェアレディZもかなわず、1980年代に更新されるまで国産車ゼロヨン最速と言われていました。
当然のごとくレース参戦!大森ワークス時代のガンさんによる67’日本GP優勝など大暴れ!
これだけ速い車となれば、レースで遅いわけもありません。
1967年3月のデビュー直後、5月の第4回日本グランプリ(富士スピードウェイ)の第2レース(GTレース)に大挙10台が出走したSR311はロータス エランやホンダ S800といったライバルに大排気量、ハイパワーの差を見せつけます。
そして1位(黒沢 元治)、2位(長谷見 昌弘)、3位(粕谷 勇)と表彰台を独占し、「お転婆娘のジャジャ馬ならし」にさえ成功すれば、圧倒的なパフォーマンスを持つ事を証明したのでした。
何しろ他にスポーツカーらしいスポーツカーと言えば国産車では小排気量のホンダ S800があるくらいだったので、翌年の第5回日本グランプリでは表彰台どころか1位から11位までをSR311が独占し、翌年も12位までを独占。
さすがに化け物じみたプロトタイプカーが割拠するグランプリレースで上位を獲得するには至りませんでしたが、その他メジャーなレースで幾度も勝利を収めています。
若き日のハンヌ・ミッコラも激走!意外やラリーでも活躍
後にS30フェアレディZでサファリラリー優勝を果たす以前、SR311フェアレディもモンテカルロラリーに1968年から2年にわたって参戦しました。
特に1968年は後にアウディ クワトロA1 / A2で1983年のWRC(世界ラリー選手権)のドライバーズ・タイトルを制することになる名ドライバー、ハンヌ・ミッコラがドライブしたSPL311(左ハンドル仕様)が総合9位、クラス3位の好成績を収めています。
SR311フェアレディの主なスペックと中古車相場
ダットサン SR311 フェアレディ 1967年式
全長×全幅×全高(mm):3,910×1,495×1,300
ホイールベース(mm):2,280
車両重量(kg):910
エンジン仕様・型式:U20 直列4気筒SOHC8バルブ SUツインキャブ
総排気量(cc):1,982cc
最高出力:145ps/6,000rpm
最大トルク:18.0kgm/4,800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:FR
中古車相場:185万~389万円 + ASK (※SRL311を含む)
まとめ
「軽量ボディに、マッチングはさておき強力なエンジンをぶち込み豪快なパワーで加速するジャジャ馬」は自動車ファンをワクワクさせる存在で、アメリカン・マッスルカーの類にそのような車が多いのはご存知の通りです。
しかし、日本にもジャパニーズ・マッスルカーというべきジャジャ馬は存在し、古くはS54スカイラインGT(GT-B)やTE27初代カローラレビン / スプリンタートレノ、それにこのSR311フェアレディが代表格と言えました。
何しろ、補強しているとはいえ基本的には310ブルーバード(1.2リッター55馬力)と同じシャシーとサスペンションに、その2.5倍に達し同時期のより近代的な510ブルーバードSSS(1.6リッター100馬力)よりハイパワーなエンジンを搭載しているのです。
うっかり踏み込むと真っすぐ走るのさえ難しいと言われましたが、次代の革命的名車S30フェアレディZよりもたくましく野性味溢れた旧時代最後のスポーツカーSR311フェアレディに魅力を感じる人も多いかもしれません。
そんな、淑女のつもりで生まれてみれば、最後はとんだお騒がせのジャジャ馬ダットサン、お転婆娘のSR311フェアレディでした!