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ニューベンチマーク・カーのホットモデル、EG6「シビックSiR/SiR・II」誕生
当時、既にスポーツ性の高いFF3ドアハッチバック/4ドアセダンとして定着していたホンダ シビックが、5代目へとモデルチェンジしたのは1991年9月。
5ドアのシビックシャトル/シビックPROは、1996年のオルティア/パートナー登場まで4代目を継続生産しましたが、主力モデルは当時の大衆車としては一般的な約4年サイクルでの定期的なモデルチェンジでした。
ただし5代目シビックは一度その原点に立ち返った上で、新しい時代の基本であり、今後のホンダにおいて基準となる「ニューベンチマーク・カー」として、徹底的にコンセプトを煮詰め直した車であり、単に4代目を正常進化させただけではありません。
新しい時代における地球環境への配慮や、生活スタイルへ配慮しつつ、高い水準で走りもバージョンアップしていくのが狙いで、最もスポーツ性の高い3ドアハッチバック版のホットモデル、EG6型のレーシングベースモデル「シビックSiR」および、SiRへ快適装備を付与した「シビックSiR・II」を基準に、下位グレードまで全体的に底上げされました。
先代のホットモデルであるEK9「シビックSiR」からの最大の改良点は、ストローク不足で路面のギャップなどでバタバタしがちで路面追従力不足、4輪ダブルウィッシュボーン独立懸架のメリットを活かしきれていないサスペンションです。
サスペンション自体の容量をアップし、ロングストローク化。
フロントはL字型ロアアームの採用やロールセンター高を下げ、スプリングレートもソフトにして、多少荒れた路面でもしなやかに走るよう改良されました。
加えて、フロントタイヤを前に出してホイールベースを延長。
前席足元スペースへ余裕をもたせるだけでなく、高速安定性を向上させて、懸念される最小回転半径増加による取り回しの悪化については、フロントタイヤの切れ角を先代より拡大したドライブシャフト高角度アウトポートジョイントを新開発するなど、直接的な解決を図ります。
ボディも亜鉛メッキ鋼板の採用拡大など素材を変更。
フロアフレームをセンタートンネルと一体化構造としてサイドシル断面も大型化するなど、走行性能や防振・防音性能を改善するだけでなく、4代目グランドシビックまでと比べて耐久性を大幅に向上させました。
これが、今も5代目EG系シビック以降なら中古車のタマ数が非確定豊富な一因となったことが考えられます。
エンジンはもちろん、先代同様の1.6リッターDOHC VTEC16バルブ「B16A」ですが、制御の見直しや圧縮比アップなどの改良で、160馬力から170馬力へと10馬力アップしているものの、サスペンションやボディの改良に比べれば、ささいな話かもしれません。
走行性能や質感の大幅向上により、スポーツ性ばかりが注目されがちなEG6ですが、その本質はスポーツ性ではなく、新たな時代の生活スタイルへ対応したパッケージです。
「ワンルーム&ツインゲート」をコンセプトとしたEGシビック3ドアでは、当時のユーザーがせいぜい前席しか使わない1~2名乗り用途なことへ着目し、徹底した前席優先パッケージとして運転席/助手席間のセンターコンソールすら廃止。
ゆったりしたスペースを作り、後席は畳んでラゲッジスペースとした時の使いやすさが重視されました。
また、下位グレードを除き、EG6も含めて後席はあえて2人用として、定員4名と割り切り、後席を前に倒せば「ディスプレイフロア」と称する広大でフラットなラゲッジが出現するだけでなく、その最後部にはスペアタイヤやジャッキとは別に小物を収納できる、トランクボックスすら準備されています。
いわば最大でも2人用、+2的に後席にお客様も招ける「ワンルーム」というわけですが、ならば「ツインゲート」は何かというと、テールゲートが通常はガラスハッチ的に上部のみ開き、かさばる荷物を載せる時のみ下部も下向きに開く、上下2分割テールゲートとされていたのです。
RVブームやバブル崩壊後の大不況もあり、2人のための3ドアなど贅沢!とばかりに5ドア車ばかり売れるようになった1990年代末以降、このようなコンセプトは通用しなくなったものの、車が「一家に1台」どころか「一人に1台」になりつつあったバブル時代には、この2+2ハッチバッククーペ的な車が最高と思える雰囲気が確かにありました。
建前はともかく本音はレース?!モータースポーツで大活躍したEG6
ここまではシビックを「大衆車」としても成立させるための「建前」で、実際のところ、EGシビックには「JTC(全日本ツーリングカー選手権)でライバルのカローラを寄せ付けない強さ」が求められ、開発段階からグループAマシンを念頭に、レースで連戦連勝するための開発が行われていました。
しかし、後のJTCC(これも正式名称は全日本ツーリングカー選手権)などとは異なり、グループAマシンは市販車から許される改造範囲が非常に狭く、ベース車のポテンシャルがそのままレースの結果へ直結します。
だからこそEGシビックはEG6を基準として作られ、それ以下の標準グレードや安価な下位グレードにもオーバースペックとも言える性能やパッケージが付与されたのですが、おかげで1.3リッターSOHCのEG3(シビックEL)や、1.5リッターSOHCデュアルキャブのEG4(シビックMX)でも軽快な走りが楽しめ、筆者など車重が軽い分、EG4の方が好みなくらいです。
徹底的にレースへ目を向けたおかげで、ホンダワークスだった無限が開発し、許された範囲のチューンでも230馬力を発揮したEG6グループAレーサーは、1992年のJTC第4戦でデビュー。
1993年第2戦で初優勝するや勝利を重ねていき、その年のシーズンはワークスの無限シビックと最後までつばぜり合いを演じた準ワークス格のプライベーター、ムーンクラフトのJACCSシビック(こちらもEG6)がシリーズタイトルを奪うという、大番狂わせがありました。
この結果自体が、EG6がもはやライバルを全く問題にしない強烈なマシンだった事の証明であり、「シビックの敵はシビック」となったのです。
もちろんシビックはレースだけでなく、ジムカーナやダートトライアル、ラリーなどあらゆるジャンルで活躍しました。
当時のジムカーナA2では、テンロクスポーツとしては今でも高い戦闘力を誇る2代目CR-X(EK7/EK8)によるワンメイク状態であり、当初はEG6でも割り込む余地がないほどの強さを誇っていましたが、名手 山野 哲也選手に託された1993年の全日本ジムカーナより頭角を現し始めます。
そして1995年、山野選手がEG6でA2クラス全戦優勝と最高の結果を残した頃には、EF8後継の「ジムカーナ主力マシン」として定着。
次のEK4シビックSiRや、最強バージョンとなるEK9シビックタイプRの活躍へつながっていきます。
ダートトライアルやラリーでは現役当時にそこまでの活躍はなかったものの、耐久性が上がったボディが幸いし、程度良好な中古のEG6がゴロゴロするようになると、ナンバーなし改造車を含めてEG6も活躍。
2020年代に至っても、EK9や同世代のライバル車とともに走り続ける、モータースポーツでも長命な車となっています。
なお、こうしたレースやモータースポーツで使われるEG6は、装備が簡素で軽量な「シビックSiR」が多く、さすがにハードなスポーツ走行での損耗がひどいため、残っている車も一般市場には出てきにくいため、SiRは中古車市場に出回っていません。
今も中古車で売られているのは、ほとんどが快適装備版の「シビックSiR・II」か、さらに豪華仕様の3,000台限定特別仕様車「シビックSiR・S」に限られ、それも程度のいいものはプレミア価格がつくようになってしまいました。
主要スペックと中古車価格
ホンダ EG6 シビック SiR・II 1991年式
全長×全幅×全高(mm):4,070×1,695×1,350
ホイールベース(mm):2,570
車重(kg):1,050
エンジン:B16A 水冷直列4気筒DOHC VTEC16バルブ
排気量:1,595cc
最高出力:125kw(170ps)/7,800rpm
最大トルク:157N・m(16.0kgm)/7,300rpm
10モード燃費:13.0km/L
乗車定員:4人
駆動方式:FF
ミッション:5MT
サスペンション形式:(F・R)ダブルウィッシュボーン(中古車相場とタマ数)
※2021年3月現在
139万~319万円・14台(※流通しているのはSiR・IIとSiR・Sのみ)
昭和の香りが色濃く残る、3ドアホットハッチ全盛期の生き証人
今となっては3ドアの大衆向けハッチバック車など日本で売れないため、たとえばテンロクスポーツならスズキがスイフトスポーツの3ドアを海外で売っていても、日本には決して導入されません。
トヨタがかろうじてヴィッツGRMNやGRヤリスで3ドア版を売っていますが、基本的に海外専売ボディがベースだったり、少数生産にとどまったりで高額モデルばかりとなっており、そもそも今やシビックタイプRだって5ドアという時代です。
それは、ステーションワゴンやミニバンブームで「5ドアって今までライトバンみたいとバカにしてたけど、なかなか便利じゃナイノ?」とユーザーが気づいてから、1990年代後半以降は3ドア車がパタリと売れなくなったからで、シビックも6代目EKの後期は、タイプR以外ほとんど見ないくらいでした。
EG6シビックSiR/SiR・IIは、そんな時代へ移る前、「最後のホットハッチ全盛期」の車ですが、そもそも新しい時代の基準となるべく開発された車が、旧時代最後の大ヒット作となったので、何とも皮肉な運命です。
レースなどモータースポーツでの数々の栄光とは別に、EG6のような車がそこら中を普通に走り回っていたあの頃、平成ヒト桁の初期とは確かに「昭和の香りが色濃く残る古き良き時代」でした。