ホンダで2番目の、そして「現実的に誰もが買える」最初のタイプRとなった、初代インテグラ タイプR、DC2(3ドアクーペ)および、DB8(4ドアハードトップ)は、性能やスポーティなルックスはともかく、レーシーな印象が薄かった1.6~1.8L級大衆車だったインテグラを、一気にスターダムへ押し上げました。多くのユーザーに夢を見せてくれた、通称 初代「インテR」とは、どんな車だったのでしょうか?
カッコインテグラからヤツメウナギ、そしてタイプRへ
ホンダ インテグラという車は、そもそも1980年代初頭、当時はまだ1.3~1.6L級コンパクトカーだったシビックと、1.6~2L級のミドルクラス大衆車アコードの中間的な1.6L級ハッチバック車「クイント」が誕生した後、モデルチェンジで改名。
1.5~1.6L級クーペ/セダンの「クイントインテグラ」として、改めてデビューした車です。
初代(クイントインテグラ)は、ホンダがS800以、久しぶりに復活させたDOHC搭載モデルであり、初の16バルブDOHCエンジンだった「ZC」の売り出し真っ最中だった事もあり、当初は「全車DOHC」を売りとしていました(後にSOHCエンジンも追加)。
そして1989年にモデルチェンジした2代目では、マイケル・J・フォックスを起用し、「カッコインテグラ!」と言わせたCM通り、スタイリッシュで洗練されたフラッシュサーフェイスボディと、当時最新鋭のDOHC VTECエンジン「B16A」を初搭載した車種として、話題となります。
しかし、「ホンダの最先端技術」をアピールする車種として扱われたインテグラでしたが、シビックやシティのようにレースなど、モータースポーツでの華々しい実績を誇る訳でもなく、どちらかといえば、「身近な高性能車」というポジションでした。
海外、特に北米では1986年にスタートした高級車ブランド「アキュラ」で、レジェンドとともに初期からの販売車種だったため、主要市場は北米と言っても過言ではなく、日本での扱いがむしろイレギュラー気味だったとも言えます。
そして1993年にモデルチェンジした3代目では、丸型4灯式プロジェクターヘッドランプを採用した、いかにも海外向けデザインが、日本では「ヤツメウナギのようだ」と不興を買ってしまいました。
その後、販売不振に陥った挙げ句、1995年8月のマイナーチェンジでは、2代目と似たフロントマスクへとフェイスリフトを受け、登場したのが「初代インテグラタイプR」(以下、初代インテR)です。
では、1992年に究極のNSXを目指して登場した「NSXタイプR」に続くタイプR第2弾に、同時期に(1995年9月)モデルチェンジが行われたシビックではなく、なぜインテグラが選ばれたでしょう?
それは、販売不振に陥っていた3代目インテグラのテコ入れはもちろんですが、当時もグループAレースで華々しい活躍をしていた看板車種のシビックで冒険するのは時期尚早であり、アコードのように「真っ当な大衆車」へタイプRを設定し、スポーツイメージばかり強調されるのは好ましくなく、さりとて当時のプレリュードは既に旬が過ぎている。そんな理由だったのかもしれません。
ホンダとしては「身近なライトウェイトスポーツで、リッター100馬力の180馬力を発揮する1.8Lエンジン B18Cを搭載。
動力性能も十分なインテグラの運動性能に着目し、タイプRの開発に着手した」という事になっていますが、これが結果的には大正解でした。
スペシャルパーツを組み込んで、200馬力へチューンしたタイプR用B18C spec.Rの、初期型では手動でポート研磨を行った「匠の技」を宣伝するとともに、ボディやサスペンション、クロスミッション、ヘリカルLSDなど、可能な限り手を加えたメーカーチューンドとして、1995年8月に初代インテRは発売されます。
特徴的だったのは、後のシビックタイプR(初代EK9や3代目FD2)とは異なり、当初はレーシングベース車は設定されなかったこと。
エアコンはオプションとはいえ、パワステやパワーウィンドーなどの快適装備は最初から、ある程度充実しており、何より3ドアクーペのみならず、4ドアハードトップにも「タイプR」が設定されたのです。
特に4ドア版インテRの存在は、「究極のスポーツカーは欲しいけど、ファミリーカーとしても使えないと厳しい」というユーザーにとって非常にありがたい話で、確かに「身近なライトウェイトスポーツへタイプRを設定し、多くのユーザーへホンダのレーシングスピリットを届けたい」というホンダの狙いには、ピッタリの車でした。
日常の足からレーシングカーまで、縦横無尽の活躍
発売当初の税別価格は3ドアクーペが222万8千円、4ドアハードトップが226万8千円。
NSXタイプRよりはるかに安く、それでいてF1エンジン並のピストンスピードを誇るエンジンは8,000回転で200馬力を発揮し、ベースエンジンより20馬力もアップされています。
サスペンションは後のFD2シビックタイプRのように「ガチガチすぎて普段乗りに支障が出るレベル」などではなくしなやかで、それでもロールセンターを下げた事や、ヘリカルLSDによって、どノーマルでも素晴らしい運動性能を発揮しました。
筆者はこの初代インテRが現役だった当時、ジムカーナのノーマル車クラスへ参戦するDC2と、EK4シビックフェリオSiR・IIの助手席で、両車の比較をさせてもらった事があります。
ストレートでの動力性能はともかく、深いロールからコーナー出口のトラクションもビスカスLSDでは不十分なシビックフェリオに対し、DC2は「これで本当にノーマルなの?」と疑ったほど速く、鋭く、軽快で、コーナーをクリアするや猛烈な勢いで加速していきました。
しかも走行距離、15万kmオーバーの車両です。
従って、4点式シートベルト以外はほとんど車両に手を加えていないノーマル車クラスのジムカーナでは、3ドアのDC2、そしてファミリーカー兼用の4ドアDB8と、2種類の初代インテRが、EK4シビックやEK9シビックタイプRとともに、多数参戦していたのです。
何しろ、ほとんどお金をかけずとも改造車に匹敵するポテンシャルを発揮し、腕次第ではヘタな改造車(当時のナンバーつき改造車は、改造範囲が広いA車両)より速いタイムを記録できるので、これ以上安上がりなスポーツカーはそうそうありません。
もちろん改造車はSW20(2代目MR2)やFD3S(3代目RX-7)と激闘の末、ジムカーナで主力車種としての座を獲得。ダートトライアルやラリーでも、参戦するのに有利なクラスが登場次第、参戦台数を増やしていきました。
それらは後継となるDC5(2代目インテR)やEP3、FD2、FN2といった新世代のシビックタイプRが登場しようとも、主力の座を譲らず、発売から四半世紀が過ぎた2020年代の現在も、バリバリの現役車種として活躍中です。
そして、スーパーN1耐久(現在のスーパー耐久)での活躍や、狭いルートを駆け抜けるターマックラリー、豪快な砂ぼこりを巻き上げるダートトライアルといった迫力あるシーンも良いですが、そのボディサイズからは信じがたいほどクルクルと軽快にターンし、獲物を見つけた猛禽類のように猛前とダッシュするジムカーナでの活躍が、この車にはよく似合います。
なお、初代インテRは販売期間中に、1998年と2000年の2度改良を受けており、特に1998年の通称「98スペック」では、インチアップ&5穴化されたホイールや、大径化されたブレーキ、エキゾーストマニホールドの変更、ファイナルギアのローギアード化(4.400→4.785)など、大幅な改良を受けています。
主要スペックと中古車価格
ホンダ DC2 インテグラ 3ドアクーペ タイプR 1995年式
全長×全幅×全高(mm):4,380×1,695×1,320
ホイールベース(mm):2,570
車重(kg):1,060(ABS・SRSエアバッグレス車)
エンジン:B18C 96spec.R 水冷直列4気筒DOHC VTEC16バルブ
排気量:1,797cc
最高出力:147kw(200ps)/8,000rpm
最大トルク:181N・m(18.5kgm)/7,500rpm
10・15モード燃費:13.4km/L
乗車定員:4人
駆動方式:FF
ミッション:5MT
サスペンション形式:(F・R)ダブルウィッシュボーンホンダ DB8 4ドアハードトップ インテグラ タイプR 1995年式
全長×全幅×全高(mm):4,525×1,695×1,355
ホイールベース(mm):2,620
車重(kg):1,100(ABS・SRSエアバッグレス車)
エンジン:B18C 96spec.R 水冷直列4気筒DOHC VTEC16バルブ
排気量:1,797cc
最高出力:147kw(200ps)/8,000rpm
最大トルク:181N・m(18.5kgm)/7,500rpm
10・15モード燃費:13.4km/L
乗車定員:5人
駆動方式:FF
ミッション:5MT
サスペンション形式:(F・R)ダブルウィッシュボーン(中古車相場とタマ数)
※2021年3月現在
3ドア(DC2):147万~889.9万円・35台
4ドア(DB8):103万~289.8万円・17台
街乗りからスポーツ走行まで楽しい「タイプR布教車」の成功作
それまでイマイチ冴えないポジションにあったインテグラを大躍進させ、歴史に残る存在となった初代インテR DC2/DB8型ですが、その最大の功罪は「ホンダが本気になって作る”タイプR”の素晴らしさ」をユーザーへ余すところなく布教した事です。
ミニバンやSUVの成功でスポーツイメージが薄れかけた時期はあったものの、ホンダにレーシングスピリットを求めてやまないユーザーにとって、歴代タイプRの存在、そして初代 インテRやシビックタイプRで楽しんだ思い出は、とても大事でした。
ただし、3代目インテグラや6代目シビックがそうであったように、「タイプRにあらずんば」という「タイプR信仰」を生んでしまったのも事実。
インテグラが4代目で消滅し、シビックも国内市場ではタイプR以外の存在意義を問われるなど、乗用車メーカーとしてのホンダにとっては、いささか過剰品質だったのも現実です。
実際、初代インテグラタイプR誕生後のホンダは、乗用車メーカーとして何を目指すのか、アイデンティティの構築に苦しみ、今に至っているようにも思えます。
それでも、「ホンダがその気になれば、いつでも受けて立つ!」というユーザーが今でも多い事を忘れていなければ、初代インテRそのものと言わないまでも、同じように革命的で、ホンダイズムが染みこんだファンが喜ぶような車を、いつかは発売してくれるのではないでしょうか?