戦後日本のモータリゼーションと国産車の急成長において、大きな役割を果たした車が何台かありました。1955年に登場した初代トヨペット クラウンやダットサン 110。そして1958年に登場したスバル 360もその1台で、『実用的な性能と当時の日本国民でも手の届く価格』を実現し、国民に自家用車を広めたという意味で、まさしく革命的存在だったのです。
掲載日:2018/05/26
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戦後の日本国民が購入できて、全国どこでも走れる『国民車』を作ろう!
1945年8月の第2次世界大戦敗戦後、それまで軍用機をメインに日本最大の航空機メーカーとなっていた中島飛行機は、民需転換して富士産業と改名するも、進駐してきた連合軍による財閥解体で、工場や研究所単位での分割独立を迫られます。
それにより各社一旦はバラバラになりながらも、スクーター『ラビット』の生産やバスボディの架装、エンジン開発などで自動車産業への参入を図る動きを行っていました。
一方、1950年代半ばまでの日本国内自動車産業は戦後ほぼゼロからのスタートとなっており、三菱や日産、いすゞ、日野などが海外メーカー車の部品を輸入するノックダウン生産から段階的な国産化とオリジナル車の開発を開始。
あるいはトヨタやスズキなどが国産車開発を始めます。
特に国産車開発においては1955年、初代トヨペット(トヨタ) クラウンと、ダットサン(日産) 110という形で、ついに戦後初の本格的国産乗用車が産声を上げていました。
とはいえそれらはまだまだ高価であり、日本国民にある程度収入があったとて、そう簡単に買える代物ではなく、主にタクシーなど法人利用がメインとなります。
しかし、国内自動車産業の振興のためには、頑張れば誰もが買える程度の価格で日本全国どこでも使える『国民車』が必要であると、当時の通産省(現在の経産省)は考えました。
それが1955年5月に明らかになった『国民車育成要綱』で、条件を満たす自動車は国から製造と販売の支援を受けられるというもの。
これはあくまで構想で終わりましたが、『国民車』を作れれば、自動車メーカーとして一気に飛躍できるのは間違いありません。
そしてその頃、分割された旧中島飛行機の主要数社が結集し、再出発した富士重工業(現在のスバル)では試作乗用車P-1(スバル 1500)を開発していましたが、市場規模や生産・販売体制から時期尚早と判断、計画見送りが正式に決まります。
それが決定した1955年12月9日、同時に全く新しい1つの計画がスタート。
それは、4人が乗って日本中路線バスが走れる道ならどこでも走破可能。
舗装路ではもちろん高速走行が可能で、安価で実用性の高い軽自動車、開発コード”K-10”の開発計画でした。
K-10は計画開始からわずか1年4ヶ月後に試作1号車が完成、走行テストも含めてさまざまな障害を乗り越え、1958年3月3日に正式発表されます。
それがスバル 360だったのです。
航空機開発で培った先進のテクノロジーと、信頼性を重視した堅実な技術の融合
スバル 360は日本で初めての『国民が頑張れば買える、初めての実用的4輪自動車』であったと同時に、初めての現実的な実用性と信頼性、価格を持つ軽自動車でもありました。
それまでの軽自動車は、乱暴な言い方をしてしまえば『何となく安い自動車とはこんな形で、走るためのエンジンがあればいいのだろう』程度の代物がほとんどだったのです。
それでいて価格は決して安いとは言えず、何とか形になって1955年に発売されたスズキ スズライトも、当時まだ信頼性の確立が難しかった前輪駆動の採用など技術的挑戦を行ったものの、商業的には成功していません。
それを横目に開発されたスバル 360は、『長年の航空機開発技術を惜しげもなく投入して高性能化を図り、そして可能な限り堅実な技術も使って安価に収めた』という、技術とパッケージングの見事な融合を実現。
エンジンはスズライトでも参考にされた西ドイツ(当時)のボルグワルト ロイトLP400用エンジンをデータ採取に使用しつつ、スクーターや汎用エンジンで手馴れた空冷2サイクル方式の2気筒エンジン『EK31』を開発してコストを抑えました。
このEK31は後の550cc時代に至るまでに水冷4サイクルSOHC化、最後はスーパーチャージャーまで装着して3代目レックスや4代目サンバーまで30年以上使われた長寿エンジンです。
それをスズライトでは冒険はせずにリアに横置きでコンパクトに収め、当時としては可能な限りのスペース効率と信頼性を両立させました。
とはいえ初期型でわずか16馬力しかありませんから、4名乗車や高速走行も実現するためには車体の軽量化も不可欠。
そこで航空機開発でさんざん経験した全金属製モノコック構造と、VWタイプ1”ビートル”やフィアット ”NUOVA500”でもお馴染みの、薄板鋼板でも曲面を多用して強度を出す手法、富士重工専用品を使ったネジ一本単位での軽量化、簡素ながら四輪独立懸架のサスペンションが採用されます。
さらに計器類なども燃料系すら省略して徹底的に簡素化し、車重はわずか385kgに収めました。
これにより舗装路での最高速度83km/hと十分な陶板性能、26km/Lの省燃費、多少荒れた道はフワフワといなす快適な乗り心地に、当時の自動車が走破性の基準としていた『路線バスが通れる道ならどこでも走れる』を4名乗車の小さな軽自動車で実現したのです。
(※ただし、最低地上高に余裕が無くサスペンションも柔らかいため、あまりワダチが深くて亀の子になる場合は同乗者がしばし降りる必要があったのはご愛嬌)
価格だけはスズライト(1955年発売当時42万円)をやや上回る42万5千円となってしまいましたが、性能と信頼性、実用性を考えれば『お買い得度』で勝負できる車だったのは間違いありません。
当初はスクーターや汎用エンジン以外の販売網を持たなかったので全国一斉発売とはならなかったものの、販売網整備とともに販売台数は伸びていき、大ヒット作となりました。
副変速機を駆使せよ!”6速MT”を駆使し日本グランプリでフロンテやキャロルと大激闘!
黎明期の軽自動車初の大ヒット作とはいえ、何しろ鈴鹿サーキットが出来る前でモータースポーツにあまり縁の無かったスバル 360ですが、ついに1963年、日本グランプリでライバルと雌雄を決する時が来ました。
400cc以下のツーリングカーで戦われるC-Iクラスではスズキがようやく頭角を現した出世作、初代スズライト・フロンテや、マツダ初の4輪自動車、マツダ R360クーペがライバルです。
スバル 360は先輩格として後発のフロンテに負けたくないところでしたが、レースが始まるやフロンテに引き離されてしまい、3位に村岡 三郎 選手が入ったものの、1-2フィニッシュを奪われるという大惨敗!
しかしこれで奮起したスバルは、翌年の第2回日本グランプリで雪辱を果たすべく全力を尽くす事に。
そしてT-1クラスと名を変えた400cc以下のツーリングカーレースで、またもや宿敵フロンテや新鋭のマツダ キャロルと対峙。
キャロルは自慢の4サイクル直列4気筒アルミシリンダーエンジンを唸らせ、これも前年の雪辱を晴らすべく、後にマツダワークスの中核となる片山 義美 選手を先頭に猛然と追い上げてきます。
しかし前年ほどの勢いは無いとはいえ、昨年の優勝ドライバーも望月 修 選手も、キャロルに負けじと激走していました。
その前方には大久保 力 選手、小関 典幸 選手が駆る2台のスバル 360が疾走!
両選手がこの時活かした『スバル 360ならではの秘密兵器』が副変速機付き3速MTで、通常のシフトレバーの他にもう1本生えた副変速機のレバーを素早く操作すれば、何と6速MTとして駆使できたのです(後にオーバートップつき3速MT,つまり4速MTになりますが)。
これで逃げ切ったスバル 360は1-2フィニッシュを決め、見事に前年の屈辱を果たして見せました。
その後もツーリングカーやミニカー耐久レースに参戦し続けたスバル 360でしたが、ツーリングカーレースでは排気量が2倍、3倍というハイパワーマシンに混ざって360ccの小兵ながら健闘、上位に入ることもありました。
主要スペックと中古車相場
スバル 360 1958年式
全長×全幅×全高(mm):2,995×1,295×1,335
ホイールベース(mm):1,800
車両重量(kg):385
エンジン仕様・型式:EK31 強制空冷2ストローク直列2気筒
総排気量(cc):356cc
最高出力:16ps/4,500rpm
最大トルク:3.0kgm/3,000rpm
トランスミッション:副変速機付き3MT
駆動方式:RR
中古車相場:30万~189万円(各型含む)
まとめ
事実上、日本初の国民車として一世を風靡したスバル 360は『てんとう虫』と呼ばれた独特のスタイルが人気だったこともあって、ライバル登場後も軽自動車の定番モデルとして長らく愛されました。
ホンダ N360登場後はさすがに動力性能で大きく差をつけられ、同じく危機感を持ったライバルメーカーともどもパワーアップで対抗、最終的には36馬力と初期型の倍以上の出力を誇るスバル 360ヤングSSまで登場します。
しかし、その当初のコンセプトからすれば25馬力で公称最高速度110km/hの通常版でも十分というもので、筆者のように排気量550ccながら30馬力の軽自動車に乗る者としては、はるかに軽いスバル 360が現代の交通事情でも支障の無いことは容易に想像できるのです。
今でこそ軽自動車の独自生産をやめてしまったとはいえ、60年前に現代の交通事情でもまだ通用するようなスバル 360を作った富士重工が、日本の大衆へ自動車文化を花開かせるのに大きな役割を果たした功績は、今後も忘れられるべきではないと思います。
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