バブル崩壊時のマツダは5チャンネル体制とクロノスシリーズによる多彩な車種展開という果敢な挑戦を行い、その結果として非常に深刻な経営危機に陥っていました。しかし、そんな危機的状況の中で生み出されたクルマの中にも名車と讃えられたモデルはありました。非常に高い評価を受けつつ、ブランドイメージ低下の影響で販売が伸び悩み、結果的に短命で終わる事になりました。フォードによる救済の中で、直接的な後継車が無いままに終わってしまった悲劇の名車、ランティスをご紹介します。

 

マツダ ランティスクーペ / Photo by Dave See

 

 

コアなファンも多い、アスティナの後継として誕生

 

ランティスの先代にあたる、マツダ ファミリアアスティナ(輸出仕様323アスティナ)  / Photo by Manoj Prasad

 

時代はバブルの真っ只中。

マツダはその果敢な挑戦によって後に深刻な経営危機を産むことになる5チャンネル体制を構築し、そこで販売するためのカペラ後継の4ドアセダン、クロノスから多数の派生モデルを開発、販売していました。

そしてクロノスシリーズの下位に当たるファミリアも、1989年デビューのBG型がベースモデルである3ドアハッチバックに4ドアセダン、先代BF型を継続販売するワゴンとバンをマツダ店やマツダオート店(後にアンフィニ店)で販売する一方、ふたつの派生モデルを登場させます。

ひとつはオートラマ店にて従来から販売されていたフォードブランドのレーザー。

もうひとつはマツダ店とマツダオート店ではファミリアアスティナとして、ユーノス店ではユーノス100として販売していた、リトラクタブルライトを持つスタイリッシュな4ドアクーペ(正確には5ドアハッチバッククーペ)です。

また、ファミリア5ドアハッチバックの後継として存在したアスティナ / ユーノス100は、ファミリア系といってもキャラクターが大きく異なり、どちらかといえばファミリアベースのFFスペシャリティーカーと呼ぶべき車種です。

そして日本での知名度は低いながらも、根強いファンが多いアスティナ / ユーノス100の後継モデルは、ファミリアから独立する形でプラットフォームも全く別なものを使い、1993年9月にランティスとしてデビューしました。

 

特に人気の高かった4ドアクーペとV6エンジン

 

マツダ ランティスクーペ / Photo by Mark van Seeters

 

実はマツダ ランティスといっても元々は別車種として開発された2車へ同時にこの名が与えられたため、プラットフォームが同じとはいえ大きく姿の異なる2台の「ランティス」が同時に存在しました。

いずれもアスティナ / ユーノス100後継としてマツダ店、アンフィニ店、そして1996年にアンフィニ店に統合されるまではユーノス店でも販売されていましたが、既に5チャンネル体制の整理が始まっていたこともあって、全て「マツダ」ブランドでの販売となります。

1台は4ドアハードトップ、1台は4ドアクーペ(アスティナ同様、実質的には5ドアハッチバック)で、2リッターV6、1.8リッター直4と2種のDOHCエンジンと、5MT / 4ATと2種のミッションが組み合わせられる点は同一です。

 

「もうひとつのランティス」、全くスタイルの異なる4ドアハードトップ  / Photo by Spanish Coches

 

特に人気があったのは、薄目のヘッドライトと日本車離れした独特の曲線美を持つ4ドアクーペボディ、そして飛び抜けたスペックでは無いものの、元はクロノスシリーズ用で、ランティス搭載時にファインチューンを受けたV6のKF-ZEエンジンでした。

また、4ドアクーペはその独特のデザインから好みは分かれたものの熱烈なファンを産み、さらに衝突安全性能や剛性にも優れた優秀なボディを開発。

KF-ZEエンジンはそれまで搭載されていたクロノスシリーズのいかなる車種よりも相性が良く、当時の2リッターNA(自然吸気)エンジン搭載車としては、最高クラスの加速性能を誇りました。

そんな性能もさることながらその吹け上がりやフィーリングの官能性はファンを魅了し、後にフォードの下で経営再建に取り掛かった中、それ以降の車種で使われたフォードのV6エンジンが不評だったこともあり、KF-ZEが廃止されたことを惜しむ声は少なくはありませんでした。

 

モータースポーツでは活躍しきれなかったランティス

 

寺田 陽次郎 選手のドライブでJTCCを走る、カストロール ランティス / 出典:http://astinagt.com/forums/album.php?albumid=250&pictureid=1524

 

ランティスの4ドアクーペモデルが、1994年に始まったばかりのJTCC(全日本ツーリングカー選手権)に投入されました。

それも2リッター自然吸気エンジンの4ドア車というレギュレーションの中、ライバルが直4エンジンを投入してきたのに対し、ランティスは評判の高かったV6エンジン、KF-ZEを引っさげての参戦です。

前述のように素晴らしい加速性能を発揮するなど高い評価を得ていたランティスの活躍は大いに期待されましたが、実際には大柄で重いボディが災いしたのか、結果は全く奮いませんでした。

1994年の開幕から1996年の第2大会SUGOでランティスでの参戦を終えるまでステアリングを握り続けたエース、寺田 陽次郎 選手をもってしても、1994年第2大会(SUGO)第4戦の8位が最高位で、大抵はトップ10にも入れない下位でした。

また、もう1台の黄色いランティスで参戦した真田 睦明 選手も11位が最高位で1994年限りで翌年以降はBMW318iに乗り換えてしまい、1995年に参戦した小林 正吾 選手も最高位は10位。

結局、JTCCへのマツダスピードによるワークス体制での参戦も1996年途中からファミリアに切り替わってしまい、以降ランティスがメジャーレースに参戦することはありませんでした。

その後もランティスを地方のジムカーナイベントなどでファンが走らせることはありましたが、ジムカーナやラリーなどの全日本級イベントで使われることは実現していません。

 

主要スペックと中古車相場

 

マツダ ランティスクーペ / Photo by Simon Williams

 

マツダ CBAEP ランティス クーペ タイプR1993年式

全長×全幅×全高(mm):4,245×1,695×1,355

ホイールベース(mm):2,605

車両重量(kg):1,210

エンジン仕様・型式:KF-ZE 水冷V型6気筒DOHC24バルブ

総排気量(cc):1,955cc

最高出力:170ps/7,000rpm

最大トルク:18.3kgm/5,500rpm

トランスミッション:5MT

駆動方式:FF

中古車相場:28~92万円(クーペ / セダン各型含む)

 

まとめ

 

特にランティスの4ドアクーペモデルは、「知る人ならば非常に好意的、少なくとも日本車離れした個性を持っていた。」として今でも忘れられない1台です。

しかし登場した時期はマツダのブランドが低迷しており、マツダ車というだけで低い評価を受けてしまうような時期でした。

さらにJTCCで実績を残せなかったこともマイナスに働くという猛烈な逆風の中、日本では販売実績も伸び悩み、直接的な後継車も無く、ひっそりと販売を終えるという寂しい終焉を迎えています(一応、5ドアハッチバックとしての後継車はファミリアSワゴン)。

あまりにも間が悪かったとしか言いようの無いランティスの生涯でしたが、その4ドアクーペの独特なデザインと高々と揚げられて目立ったマツダスピードのリアスポイラー、そして対照的に地味だった4ドアハードトップも含め、何もかもが個性的です。

その後は車好きの記憶にもなかなか残らないモデルとなってしまいましたが、今もしその姿を見る機会があれば、やはりその個性に目を奪われてしまうのでは無いでしょうか。

マツダ ランティス、なんとも惜しい1台です。

 

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