朝から各メディアで話題となったテレビ東京アナウンサーの狩野恵里さんとレーシングドライバーの山本尚貴選手の結婚。人気の女性アナウンサーの結婚とあって、様々な方面で注目を集めている。モータースポーツファンからすれば、山本選手は「ホンダのエース」として活躍するドライバーということはご存知だろうが、このニュースをきっかけに彼の名前を初めて目にした…という人も少なくないだろう。今回は国内トップカテゴリーで活躍する山本選手が、どんなドライバーなのか?詳しくご紹介していく。

Photo by Tomohiro Yoshita

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アイルトン・セナに憧れレースの世界へ

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山本尚貴プロフィール(naoki-yamamoto.com)

1988年7月11日生まれの山本は、F1で3度のワールドチャンピオンに輝いたアイルトン・セナに憧れレーシングドライバーになることを決意した。

6歳の時にカートに乗り始め、そこから本格的にステップアップをしていく。イタリアでのカート留学を経て、2006年にSRS-F(鈴鹿レーシングスクールフォーミュラ)でスカラシップを獲得すると、本格的にフォーミュラカーレースへ進出した。

2009年には全日本F3選手権(Nクラス)でシリーズチャンピオンを獲得。翌2010年に21歳の若さで国内最高の2カテゴリー「フォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)」と「SUPER GT」にステップアップを果たした。

スーパーフォーミュラでは2013年にチャンピオンを獲得。SUPER GTでも通算3勝を挙げ、2015年はランキング3位に入る活躍をみせた。

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ここまでは、彼のプロフィールを探せば簡単に手に入る情報なのだが、例えばチャンピオン獲得のレースにしても、初優勝を迎えるまでの戦いについても、今でもファンの間では語られている熱いレースをみせてくれているのだ。

 

最後まで諦めない気持ちが実現させた逆転チャンピオン

Photo by Tomohiro Yoshita

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レースのみならず、様々なスポーツや日常のことでも「何事も諦めてはいけない」という言葉を耳にすると思う。

とは言うものの、実際には実現不可能に近い無理難題も多く、知らず知らずに“諦めてしまう”という経験を持っている方も多いだろう。

しかし、「諦めなかったことが、栄冠を掴むきっかけとなった」レースを山本はみせてくれた。

2013年のスーパーフォーミュラ最終戦鈴鹿。この時点でランキング首位のアンドレ・ロッテラーは37ポイントだったが、最終戦は兼務しているWEC(世界耐久選手権)と重なっており、SFは欠場。同2位のロイック・デュバルも同じ理由で欠場したため、唯一逆転のチャンスが残っていたのが同3位の山本だけだった。

ライバルが不在のためハードルは低い様に見えたが、2レース制で行われる最終戦で13ポイント(最大18ポイント獲得可能)以上を稼ぐことが条件。つまり2レース行われる決勝のうち、どちらか一つは絶対に勝たなければならなかった。

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土曜日の公式予選。まずはQ1トップ通過を果たし1レース目のポールポジションボーナス(1ポイント)を獲得。

そのまま最終Q3に進出し、ここでもトップを取れれば2ポイント目もゲットできたのだが、思わぬ事態が発生してしまった。

タイムアタック中に他車がスピンしコース上でストップ。安全のため赤旗中断となってしまった。

主催者の判断により残り3分まで時間が戻され、ギリギリ1周タイム計測ができる分の時間を確保できたが、すでに一度タイムアタックをしているタイヤのため、好タイムを出すのが難しい状況。

もし、ここでポールポジションになれず、ボーナスポイントを獲得できなければ決勝での順位条件がさらに厳しいものになってしまう。

絶体絶命のピンチ。

おそらく、あの場にいた大半の人が「2レース目のポールは無理だろう」と考えていた。

しかし…山本だけは1%も諦めていなかった。

グリーンシグナルが点灯しすぐにコースイン。とにかく無心で各コーナーを攻め続け1分37秒774を記録。それまでのトップタイムを0.3秒更新するスーパーラップを刻んだのだ。

これこそ誰も予想していなかった展開。会場のボルテージは一気にあがり、その多くの人が「山本はきっと大逆転をみせてくれるかもしれない」と期待を抱かせた。

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そして、決勝日。1レース目は雨の中で見事な独走劇をみせ優勝。2レース目では天候が目まぐるしく変わる中、逆転条件ギリギリとなる3番手を走行。

終盤には4番手集団に追いつかれ、何度も横に並ばれかけるが、ここでも絶対に諦めない気持ちで必死でブロック。なんとかポジションを守りきり3位でフィニッシュした。

「絶対無理」と言われていた難条件を見事クリアしての、逆転チャンピオンだった。

それを可能にしたのが、今でも彼が必ず口にするという「最後まで諦めない」という言葉。

わずかな可能性だけを信じて、平常心で立ち向かった結果が、大逆転ストーリーを生み出したのだ。

 

悔し涙が嬉し涙に変わった参戦4年目での初優勝

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今ではホンダのエースとして陣営最上位を常に維持するような成績を出す山本だが、国内トップカテゴリーで優勝するまでには、たくさんの我慢と苦労をしてきたドライバー。

そして、そこには多くの「悔し涙」もあった。

SUPER GTは2010年にチームクニミツからデビュー。優勝に一番近づいたのは2012年の開幕戦岡山だった。

相方の伊沢拓也からバトンを受け取った山本は、終盤ZENT CERUMO SC430の立川祐路を接戦の大バトルを展開し、残り2周というところでトップを奪いファイナルラップへ。このまま行けば初優勝だった。

しかし、残り半周となったバックストレート終わりのヘアピン。ここでほんの僅かの隙を突かれ、立川が再びトップに返り咲く。もう一度逆転を試みるも、そのチャンスは巡ってこずチェッカーフラッグ。

©TOYOTA

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その差、0.588秒。

「惜しかった」という言い方もできるかもしれないが、結果は「負け」

マシンを降りるとヘルメットも脱がずにピットへ戻り、またしても大粒の悔し涙を流した。

このレースはSUPER GTの歴史の中でも名バトルとして今でも語り継がれている1戦になったが、山本にとっては「悔しいレース」のひとつとなった。

翌2013年はウイダーモデューロ童夢レーシングに移籍。開幕戦からアグレッシブな走りをみせるが、この年も序盤は不運続き。

第3戦セパンでは予選でミスをしてしまい8番手に後退するもの、山本自身がそれを取り返す見せトップへ。ところが途中のピットストップの際にエンジンが再始動できないトラブルが発生。勝てたはずのレースを落としてしまった。

第4戦SUGOも終盤にトップと接近してバトルを繰り広げるがチェッカーまで残り10周あまりというところでアクシデントに巻き込まれリタイアとなってしまった。

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そして迎えた鈴鹿1000km。

スタートから力強い走りを見せ、トップのまま最終のピットイン。山本が乗り込み、チェッカーへ向けて最後の走行に臨んだ。残り周回数が減っていくと同時に、彼の脳裏には過去の失敗がよぎってきたという。

過去の失敗と戦い続けながらも、「ここで負けたら今までと一緒だ」と今までになかった強い気持ちで1周1周を走りきり、ついに悲願のトップチェッカー。パルクフェルメでマシンを降りると、人目を気にせず大粒の涙を流した。

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もちろん、これは悔し涙ではなく、様々な重圧から解放され、喉から手が出るほどほしかった勝利を掴んだことへの“嬉し涙”だった。

特に若い頃は「よく泣く」ということで知られていた山本だが、そこにもこれだけのドラマがあったのだ。

 

「苦しい時こそ腐らずに頑張る」…逆境に立たされた時の合言葉

Photo by Tomohiro Yoshita

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デビュー以降の苦労が報われ、SFでのチャンピオン獲得を皮切りに自他共に認める国内トップドライバーに成長した山本。

ところが、2014年から彼をはじめホンダ勢は苦戦を強いられることになってしまう。

この年からGT、SFともに車両規定とエンジン規定が大幅に変更。陣営もこれに対応するが、開発の遅れがレース展開にも影響。両カテゴリーとも序盤戦はトラブルに見舞われ、珍しくレーシンググローブを投げつけるなど怒りを露わにする場面もみられた。

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普通に考えれば、前述同様に諦めたい、投げ出したいという気持ちになるのだが、それを決してしないのが山本の強いところ。苦戦して結果が出なかった時は必ずと言っていいほど、この言葉を発している。

「苦しい時こそ、腐らずに前だけを見て頑張る」

これだけは絶対にブレちゃいけないと、特に陣営が苦戦していた2014年前半戦は毎回のようにコメント。その強い気持ちが、ドライビングにも現れ、苦しい状況の中でも陣営をひっぱり、孤軍奮闘する姿が見られた。そして、気がつけば「山本がホンダのエース」だと誰もが認めるほどの存在になっていった。

同時に結果も結びついていき、GTでは中盤戦の第4戦富士で優勝。SFでも後半の第5・6戦で連続してポールポジションを獲得する活躍をみせた。

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この年の経験が、2015・2016年にもつながっており、何か苦しい場面があっても、必ず前を向いてチームやホンダとともに打開策を見つけ出し、最終的にはトップに返り咲くという走りを毎シーズン見せてくれている。

まとめ

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本来なら、一つ一つレースをピックアップして彼の魅力を紹介していきたいのだが、今回はその中でも特筆すべきポイントをまとめてみた。

きっと、今回のニュースをきっかけに「山本尚貴」というレーシングドライバーを知ったという方が多いかもしれない。通常のプロフィールに書かれている「記録」しか触れないと思う。

それは決して悪いことではないし、それが当たり前のこと。

しかし、山本に関しては結果以上に語りたくなる熱いレースを毎回魅せてくれるのだ。

そして、結婚を報告して迎える2016年の後半戦。SFでは自身2度目のシリーズチャンピオンへの可能性を大きくしており、第3戦を終えた時点でランキング首位をキープ。このまま逃げ切ることができるかどうかに注目が集まっている。

GTでも先日の第5戦富士で3位表彰台を獲得。これも開幕戦から続く不振と悪い流れを断ち切ったレースになり、後半戦の躍進に期待がかかっている。

この結婚を機に、どんな活躍を見せてくれるのか。今シーズンの山本尚貴のレースから目が離せない。

 

P.S.

山本選手、狩野アナ。ご結婚おめでとうございます!

末長くお幸せに!