アメリカ合衆国出身のロードレーサーで、ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスで4度のタイトルを獲得。カワサキ・ヤマハ・ホンダの各メーカーに勝利をもたらし、機械のように正確なマシンコントロールと着実なレース運びから、「ステディ・エディ」の異名を取った伝説のライダー”エディ・ローソン”を知っていますか?

 

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エディ・ローソン:プロフィール

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名前:エディ・レイ・ローソン(Eddie Ray Lawson)

生年月日:1958年3月11日

出身地:アメリカ合衆国

子供の頃ケニー・ロバーツに憧れ、学校で昼休みに教室内を自転車でウィリーをして走りまわっていたエディ・ローソンは、7歳からミニバイクレースに参戦します。

そして、12歳のときにダートトラックデビュー。その後、1978年にAMAエキスパート・ライセンスを取得し、1980年にロードレースに転向。

Kawasakiの契約ライダーとしてAMAスーパーバイクおよびAMA250ccGPへ参戦。

1981年、1982年とAMAスーパーバイクチャンピオンを獲得するのです。

そして1981年度にスーパーバイク王者になった記念としてカワサキから「ローソンレプリカ(Z1000R)」が発売され、今でも高い人気を誇るモデルとなっています。

出典:http://www.2ri.de/Bikes/Kawasaki/1982/Z1000R

出典:http://www.2ri.de/Bikes/Kawasaki/1982/Z1000R

 

AMAスーパーバイクでの功績が認められたローソンは、翌年の1983年、子供の頃に憧れたケニー・ロバーツのチームメイトとしてマールボロ・ヤマハ・チームと契約。

GP500ccクラスに参戦を開始ししました。そして参戦初年度、初めてのヤマハ2ストロークGPマシン(YZR500)、初めてのサーキットという環境にも関わらず、ランキング4位でシーズンを終えるのです。

 

エディ・ローソン:レース戦歴

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1983年にWGPへの参戦を開始したエディ・ローソンは翌年、AMA時代からのライバルであるフレディ・スペンサーのタイトル防衛を阻止し、早くも初のチャンピオンを獲得します。

それ以来、“ステディ・エディ”(ローソン)と“ファスト・フレディ”(スペンサー)と呼ばれ、対照的なレーススタイルでの2人の勝負が注目を集めるのでした。

結局2人の勝負は決着が付かないまま、フレディ・スペンサーの引退という形で幕を閉じますが、ローソンはその後も圧倒的な速さを見せ続け、1986年と1988年の合計3度YAMAHAでチャンピオンを獲得します。

そして1989年、HONDAに電撃移籍!ヤマハのエースであったウェイン・レイニーやホンダのトップワークスチームのワイン・ガードナーらを破り、移籍初年度にも関わらず、見事チャンピオンに輝くのです。

 

以下、戦歴

1980年 8時間耐久ロードレース (200周回・チームカワサキ / Z1) 2位

1981年 AMAスーパーバイク (優勝4回・カワサキ / KZ1000J) チャンピオン

1982年 AMAスーパーバイク(優勝5回・カワサキ / KZ1000J/R) チャンピオン

1983年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (マールボロ・ヤマハ / YZR500) シリーズランキング4位

1984年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝4回・マールボロ・ヤマハ / YZR500) チャンピオン

1985年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝3回・マールボロ・ヤマハ / YZR500) シリーズランキング2位

1986年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝7回・マールボロ・ヤマハ / YZR500) チャンピオン

デイトナ200 優勝(ヤマハ / FZ750)

1987年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝5回・マールボロ・ヤマハ / YZR500) シリーズランキング3位

1988年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝7回・マールボロ・ヤマハ / YZR500) チャンピオン

1989年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝4回・ロスマンズ・ホンダ / NSR500) チャンピオン

1990年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (マールボロ・ヤマハ / YZR500) シリーズランキング7位

8時間耐久ロードレース (203周回・資生堂TECH21レーシングチーム・ヤマハ / YZF750) チャンピオン

1991年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (カジバ / C591) シリーズランキング6位

1992年 ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラス (優勝1回・カジバ / C592) シリーズランキング9位

1993年 デイトナ200(バンス&ハインズ / OW01) チャンピオン

8時間耐久ロードレース (207周回・am/pmカネモト・ホンダ / RVF750) 2位

1994年 デイトナ200 (ヤマハ / YZF750SP) 3位

8時間耐久ロードレース (182周回・Y.R.T.R   / YZF750) 4位

 

 

機械のように正確で無駄が無いマシンコントロールとステディなライディング

出典:https://www.facebook.com/lawsonrayeddie/

 

1992年 ハンガリーGP

1986年 Daytona 200

 

優勝&引退宣言

出典:http://japaneseclass.jp/trends/about/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

出典:http://japaneseclass.jp/

 

1990年に再びヤマハに舞い戻ったエディ・ローソンは、シーズン序盤のアメリカGPにてブレーキトラブルにより転倒し、踵を骨折するという重傷を負ってしまいます。

その怪我により、シーズン早々にチャンピオン争いから離脱する事になったローソンは、資生堂TECH21レーシングチーム・ヤマハからの鈴鹿8耐への参戦依頼を快諾!

当時の日本でYAMAHAのエースライダーであった平忠彦とペアを組み、見事優勝を飾りました。

そして翌年の1991年、『2年後の引退』と『必ずカジバを優勝させる事』を宣言し、カジバ・チームに移籍します。

カジバへ移籍した後は、これまでのローソンのイメージとは真逆の激しく攻めるレースを見せ、翌1992年ハンガリーGPで宣言通りチームを初優勝に導き、そしてこの年限りでWGPを引退するのです。

 

まとめ

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メーカーごとのマシン特性に捕われない天才的な走りでロードレース界を制し、今までWGPで優勝実績のないメーカーをも優勝に導き、惜しまれながらも現役を去っていったエディ・ローソン。

その類を見ないステディな戦い方と潔さに今なおファンの心を掴んで離しません。

そんなローソンはWGP引退後、アメリカを中心に開催されているフォーミュラーカーを使用した四輪レースであるCARTに参戦をしました。

また、鈴鹿8耐や鈴鹿サーキットで開催されているモータースポーツの歴史を振り返るイベント”サウンドオブエンジン”に参加するなど日本にも来日し、モータースポーツの振興に貢献し続けているのです。

 

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