不世出の名車と呼び声の高いBNR32型スカイラインGT-R、対して同時期に生まれ同様に戦いの場に送り込まれたパルサーGTI-Rとはどんな車だったのでしょうか?今回は、日産の名車、パルサーGTI-Rがいかにして生まれ、WRCを、モータースポーツを戦い抜いたのかをご紹介いたします。

©NISSAN

 

パルサーGTI-Rの生まれた経緯

Photo by vlowe_ktm

1980年頃まではサファリラリーで優勝した510型ブルーバードやS30型フェアレディZの活躍により「ラリーの日産」のイメージが強かった日産ですが、その後のPA10型バイオレットのサファリラリー連覇もあり1982年よりグループB規定に移行したWRC(世界ラリー選手権)にはS110型シルビアをベースとした240RSを送り込みます。

しかし、ミッドシップ+4WDを基本としたライバル車たちの前には歯が立たず「ラリーの日産」のイメージも風前の灯火となりました。

日産240RS©NISSAN

しかし1987年より大量生産車をベースとしたグループAに対してタイトルが懸けられることになり、高性能車を大量生産できるメーカーが俄然有利になったのもありイタリアのランチア、日本のトヨタ、三菱、マツダが参戦を開始しタイトル争いを繰り広げている中、日産も参戦を検討しヨーロッパでのマーケティングを考慮した上でパルサーをベースにすることに決定。

4輪駆動システム「アテーサ」を搭載し、専用仕様のSR20DETを搭載したパルサーGTI-Rが1990年8月に新型へのモデルチェンジ時にデビューしたのでした。

 

パルサーGTI-R、その素性

日産チェリーF-Ⅱ(©NISSAN)

そもそもベースとなったパルサーとは、元々プリンス自動車が日産と合併する前から開発を開始し1970年にチェリーとしてデビューした小型FF車が源流で、1974年にチェリーF-Ⅱへモデルチェンジした後、1978年にパルサーとして生まれ変わります。

そしてヨーロッパ向け戦略車としての任を負い、以降2回のモデルチェンジを経て1990年に3度目のモデルチェンジを果たしました。

パルサー自体はオーソドックスなFF駆動・2BOXスタイルの小型車でしたが、若干スポーティな性格を持たせた車で日本車の中ではヨーロッパ的な雰囲気を持ち、日本国内では「パルサー・ヨーロッパ」とキャッチコピーを掲げ、2代目パルサーにおいては当時業務提携していたアルファロメオとも繋がりを匂わせた「ミラノ」というグレードも設定されていました。

Photo by Stephen Hill

そしてパルサーの主戦場でもあったヨーロッパではF1に並ぶほどWRCの人気が高く、活躍すると知名度が上がり売り上げにも貢献するという事実もあり、そこへスポーティな性格を持つパルサーを投入するのは必然でもあり当然のことと言えました。

グループB規定では連続する12ヶ月間で200台造ればどんな車でもOKというレギュレーションにより過激化する一方だった車両が、グループAでは連続する12ヶ月間で年間5000台以上の生産を以て公認すると決まっており、量産車をベースにせざるを得なくなったことにより一気におとなしくなっていきました。

しかし、その反面大量生産できるメーカーが限られるという一面を持ち、それが後の日本車全盛期につながるのですが、この頃はランチア一強でトヨタとマツダと三菱が健闘している中、スバルがレガシィを投入し新たに参戦を始めたという状態でした。

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そこに投入されたパルサーGTI-R。

ベースとなったパルサーの小型・軽量を武器にノーマルで230psを発揮する専用仕様のSR20DETはレスポンスを重視して4連スロットルを採用し、ハイブーストに対応するべく排気側にナトリウム封入バルブが装備されました。

また、ヘッドカバー上に大型インタークーラーを装備し、4気筒版RB26DETTとも呼べる仕様にまで改良を加えており、尚且つ1987年デビューのU12型ブルーバードに搭載されて以来熟成を図ってきたアテーサと呼ばれる4輪駆動システムで走らせ、外装も大型ルーフスポイラーにボンネット上の大型エアインテークを配置し「和製ランチア・デルタ」ともいえる内容に周囲も期待、タイトルを狙えると日産も周囲も盛り上がりました。

 

期待と不安、そして撤退

©NISSAN

WRCデビュー数戦でいきなり問題が浮かび上がってきました。

それは「タイヤサイズ」です。

グループAと言えばBNR32型スカイラインGT-Rが有名ですが、そこには「タイヤサイズから逆算して参戦クラスを決めた」という逸話があります。

GT-Rはこの時レギュレーションで決められたタイヤサイズを収めるべく、あらかじめ大きなタイヤハウスを設けブリスターフェンダー化しておいたそうですが、パルサーは標準サイズのままでホモロゲーションを取ってしまっていたのでした。

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従ってレギュレーション上タイヤの拡大幅があるにもかかわらずモノコックの加工、すなわちオーバーフェンダー化できないという事態に陥り折角のハイパワーを生かせない状況になってしまったのです。

モノコックの加工を行う場合はあらかじめエボリューション申請をしなくてはならず、それを生かしてランチアはデルタをワイドフェンダー化したインテグラーレ、更にエボルツィオーネを追加、タイヤの問題に対応したのでした。

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そしてもう一つの問題が浮かんできました。

それは「熱」の問題です。

小型軽量のパルサーをベースにしたのは良かったのですが、エンジンルームに余裕がなく熱の排出が上手くいきませんでした。

さらにヘッドカバー上に置いたインタークーラーが上手く機能せず、熱ダレの原因となり著しいパワーダウンの原因となってしまったのです。

パルサーGTI-Rラリーカーのエンジンルーム(©NISSAN)

そんな中、熟成を進め1992年のスウェディッシュラリーにおいては総合3位に入るなど徐々に戦闘力を高めていきましたが、日産の業績不振が明らかになり1992年の途中でWRCから撤退しワークス活動は終了となりましたが、グループNクラスでは小型・軽量・ハイパワーな点が評価され、プライベーターにより参戦が続けられました。

また意外なところでは全日本N1耐久選手権にも参戦しており、結果こそ残せませんでしたがバラエティに富んだ参加車種の中でその存在感を示したのでした。

 

チューニングカーとしてのパルサーGTI-R

Photo by Grant C

冒頭でも記述した通りのパッケージにより、当時チューニングカーブームでもあった日本でもパルサーGTI-Rは歓迎され、各チューニングショップにより改造を施されたパルサーが各地の峠道やゼロヨン会場においてもBNR32と並んで最速の一角を担う事が多く、また、パルサーGTI-R専用の4連スロットルなどの専用部品がシルビアなどに流用されるケースもありました。

 

まとめ

©NISSAN

車格の割にパワフルな面が評価され1995年のモデルチェンジまでラインナップに残された人気車種でしたが、同時期のBNR32とは違い圧倒的な強さを誇れなかったためか、更にパルサー自体が消滅してしまい、今では忘れ去られてしまう一歩手前まで来ています。

日産本体の業績悪化が原因とはいえ、熟成途中での撤退がなければ…と考えてしまう。そんなパルサーGTI-Rは、消えてしまうには実に惜しい車だと思います。

日産 パルサーGTI-R(1993年式)のスペック

全長×全幅×全高(mm):3975×1690×1400
ホイールベース(mm):2430
車両重量(kg):1230
エンジン型式:SR20DET
エンジン仕様:水冷直列4気筒DOHC16バルブICターボ
総排気量(cc):1998
最高出力:230ps/6400rpm
最大トルク:29.0kgm/4800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:フルタイム4WD
新車価格:2,341,000円
中古相場価格:1,300,000~2,390,000円

 

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