名車と呼ばれる要素にはいろいろとあり、そのデザインや映画に出演しての話題性で「名車」と呼ばれるケースもあります。その代表がデロリアン DMC-12ではないでしょうか。「永遠の反抗期」とも言える男の執念が作り上げ、そしてはかなく散ったかと思えば、一夜にして「名車」の仲間入りを果たした大逆転ストーリーをご紹介します。

 

出典:https://www.delorean.com/restoration.htm

 

 

デロリアン前史・永遠の反逆者、J・S・デロリアン

 

Photo by Tullio Saba

 

DMC(デロリアン・モーター・カンパニー) DMC-12。

その短い歴史において発売したのはDMC-12のみ。

しかし、それがあまりにも有名となったため「デロリアン」と呼ばれるこの車を紹介するには、まず生みの親である故 ジョン・ザカリー・デロリアン抜きには語れません。

1925年、自動車の町デトロイトで生まれたデロリアンはクライスラー工業大学に通い、そのままクライスラーのエンジニアとしてキャリアを積むはずでした。

しかし、卒業式の祝辞に現れた同社の技術部門責任者が「社会人になったからには個人であることを忘れ、会社に適応しないと生き残れない」と説いたことに「何この会社?やってらんない!」と反発し、考えを一転。

パッカードのエンジニアとして就職する事に。

その後、初期のオートマチック・トランスミッションの開発に尽力して頭角を現し、20代の若さで研究開発部門の責任者となりますが、ヘッドハンティングでGMに引き抜かれます。

 

Photo by Mark Theriot

 

GMでは1964年にポンティアック GTO(上画像)など同社の歴史に大きな足跡を残す車を開発しますが、1960~1970年代のGMは社内が「白いYシャツに濃色系かグレーのスーツ」という超保守的な会社で、見た目も行動も作る車も革新的なデロリアン氏は完全に浮いていたのです。

いわば、「お堅いエリートばかり集まる大企業のはみ出し者」だったデロリアン氏ですが、ポンティアック、シボレーをその剛腕で復活させた実績は評価せざるをえず、1972年にはGMの副社長にまで上り詰めました。

 

DMC設立とDMC-12の開発

 

Photo by Jane Nearing

 

しかし、出世するたびエンジニアとして腕をふるう機会からは遠ざかり、社内政治にばかり振り回される立場に嫌気がさしたデロリアンはついに爆発!

「こんな大会社じゃ自分のやりたいことはできない!小さくても理想とする車を作れる会社を作る!」と、1973年にGMを飛び出しました。

それが後年、「GMがデロリアンをクビにしたのではなく、デロリアンがGMをクビにした。」と言われる理由です。

1975年にDMC、デロリアン・モーター・カンパニーを設立したデロリアンは、早速喜々として新型スポーツカーの開発に取り組み、1976年10月に2人乗りのDSV(デロリアン・セイフティ・ビハイクル)というプロトタイプを作りました。

これが後のDMC-12、いわゆる「デロリアン」です。

 

ロータスの設計、プジョーのエンジン、ジウジアーロのデザイン

 

出典:https://www.delorean.com/

 

プロトタイプの開発段階では、後のDMC-12といくつか相違点がありました。

 

シャシー

 

出典:https://www.delorean.com/

 

元々は、ERM(エラストマー・リキッド・モールディング)というエラストマー(ゴム材の一種)を整形してシャシーを製造する予定でしたが、これは市販型の開発を委託したロータスのコーリン・チャップマンによって否定されます。

結果、シャシーはロータスで実績があるスチール製ダブルY型(X状)バックボーンフレームへと更新されました。

 

エンジン

 

出典:https://www.delorean.com/1982-dmc-delorean-c-5615.htm

 

初期にはルクセンブルクのコモター製ヴァンケルロータリーをリアミッドシップに搭載する予定でしたが、同エンジンを搭載したシトロエン M35と同 GSビロトールは発売後に技術的問題によるエンジンの耐久性不足が判明。

オイルショックも伴って同エンジンは生産中止となりました。

そのためフォードのV6エンジンへ。

そして最終的にはプジョー / ルノー / ボルボの合弁で開発された「PRV」2.8リッターV6エンジンをリアに搭載する方式に変更されます。

これにより、エンジンチューニングのわずかな違いを除けば、1976年に発売されたアルピーヌ・ルノー A310 V6とほぼ同様のレイアウト、エンジンスペックになりました。

 

デザイン

 

出典:https://www.delorean.com/1981-dmc-delorean-c-5612.htm

 

ジウジアーロが担当したデザインは、リアエンジンで実現した低く薄いボンネットにスーパーカー然としたガルウイングドアを採用。

ただし、北米の道路事情なども考慮して最低地上高はかなり高めに取られています。

ボディは無地のステンレスボディにヘアライン仕上げを行い、デザインとともに大きな特徴となりました。

また、FRPボディに比べて耐久性が高く、鋼製ボディよりも錆びにくいメンテナンスフリーを狙った仕上がりとなっています。

 

生産工場と車名

 

Photo by zombieite

 

生産工場はイギリス政府の政策で工場を誘致していた北アイルランドに決まり、1978年10月に建設を開始したものの、予算や技術的な問題で生産開始は遅れます。

車名はデロリアン氏の父のファーストネーム、そして息子のミドルネームであるタビオから「Z タビオ」となる可能性もあったと言われていますが、最終的にDMC-12となった正確な理由は現在でも不明です。

 

好調なセールスと急転直下のバッシング

 

出典:https://www.delorean.com/dmc-texas.htm

 

ようやく1981年に生産を開始したDMC-12は、積極的な宣伝を行っていたため多くのバックオーダーを抱えていたこともあり、初年度に約6,500台を販売するなど、好調なセールスを記録しました。

しかし、経験の浅い北アイルランドの工場作業員による生産は品質が悪く、かつ湿気などに弱い電装品、北米仕様でわずか130馬力と非力なPRVエンジンによるアンダーパワーなど問題が多発。

ロード&トラック誌がオートマ仕様(3速AT)をテストした時の最高速度はわずか時速110マイル(177km/h)、0-60マイル(97km/h)加速は10.5秒、マニュアル仕様(5速MT)でも8.8秒に過ぎなかったのです。

また、前後重量比がおおむね37:63なのは同じリアエンジン車のポルシェ911(38:62)とほぼ変わりませんでしたが、スポーツカー並の動力性能を持たないDMC-12にとっては単にリアヘビーだったとも言えます。

要するにDMC-12は「自動車としての完成度も生産技術も未熟で、それでいて非常に高価な(当時の日本円で約1,600万円)、カッコイイだけで見掛け倒しの車」と看破されてしまったのです。

技術的問題は1982年には解決されたと言われ、エンジンもターボ化が計画されますが、評論家や消費者からの酷評は容易には収まらず、大量のキャンセルが発生してしまいました。

 

デロリアン氏の逮捕と無罪判決、しかし…

 

出典:https://www.delorean.com/faq.htm

 

そんな酷評が続く中、1982年になっても生産は続行され、前述のターボ化のほか、4つのガルウイングドアを持つ4シーター仕様の追加も計画されましたが、極度の販売不振で生産台数は低迷。

DMC-12の生産台数には諸説ありますが、1982年にはわずか2,000台足らずだったと言われています。

この中には16台の右ハンドル車が含まれたと言われていますが、日本やイギリスなど右ハンドル圏へ拡販しようという努力は、結局報われることはありませんでした。

イギリス政府から北アイルランド工場のため交付されていた補助金が打ち切られると、1982年2月にDMCは事実上破産し、管財人の管理下に入ってしまいます。

さらに追い打ちをかけたのは同年10月、資金集めに奔走していたデロリアン氏が接触していた人物が麻薬取引に関わっていることが判明し、同氏も逮捕されてしまったのです。

この時点でDMCの清算が開始され、工場閉鎖も決定。

同年12月24日に組み立てられた3台が、最後の「デロリアン DMC-12」となりました。

その後、1984年8月にデロリアン氏の裁判は無罪判決が出ますが、その時にはもうDMCはきれいさっぱり消滅。

DMC-12の再生産ができないよう金型は海に投棄されたと言われ、組み立てのため保管された数百台分の部品だけが残りました。

 

大ヒット映画での活躍から、全世界にその名を轟かせる

 

Photo by renatodantasc

 

このまま「GMの反逆児が作ったカルトカー」として、クルマ好き以外からは忘れ去られる存在になるかと思われたデロリアン DMC-12でしたが、その運命を一夜にして変える出来事が起こります。

1985年7月(日本では同年12月)に公開された映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主役メカとして、同車を改造したタイムマシンが登場!

1989年(PART2)と1990年(PART3)に公開された続編も含め、同作は全米のみならず全世界で大ヒットとなり、デロリアン DMC-12はカルトカーどころか「過去と現在、未来を結ぶ夢のタイムマシン」「未来の象徴」として、一躍「名車」の仲間入りをしたのです。

これはまさに自動車版シンデレラストーリーというべきで、その奇抜なデザインや生い立ち、奇跡的な逆転劇も含め、魅力に満ちた歴史に残る1台になりました。

 

新DMCの設立と、DMC-12復活計画

 

出典:https://www.delorean.com/dmc-texas.htm

 

大勢のファンを獲得したDMC-12でしたが、問題は既に生産が終わっているどころか、メーカーのDMCが跡形も無くなった後、ということでした。

再生産のためには新たにメーカーを立ち上げて認可を取る必要がありましたが、最新の衝突安全基準や排ガス規制に対応させるためには、再設計を要します。

しかし、晴れて無罪放免となったデロリアン氏は既に次の高性能スポーツカー「ファイアスター500」の開発に没頭し、DMC-12への興味を失っていた上に、2005年に80歳で死去。

その後、DMC-12のメンテナンスをしていた会社が2007年、新たにテキサス州で新たなデロリアン・モーター・カンパニー「DMC Texas」を設立し、残された部品でDMC-12の再生産(というより組み立て再開)を目論みます。

とはいえ、既に旧DMCは消滅し、新DMCはメーカーとしてそれを引き継いだわけでは無かったため、組み立てたDMC-12は公道を走行できない、あくまで「趣味用または鑑賞用」でしかありません。

他にも、「未来への車」というイメージを活かしたEV化などいくつかのプランがありましたが、少量生産車の認可や商標権問題もあり、公道を走れるDMC-12の復刻にはまだまだ多くのハードルがあったのです。

 

バック・トゥ・ザ・フューチャー!(に、成功するか?)

 

Photo by theNerdPatrol

 

その後2015年9月、新DMCはデロリアン氏の親族との間で商標権やその他の問題を解決し、少量生産車としてDMC-12の組み立て再開に向けて動き出しました。

そして、2015年に可決された法律で「25年以上前に生産された車のレプリカを少量生産可能」となったため、2016年10月には新DMCのホームページ上で300台限定の予約受け付けを開始しています。

ただし、現在の排出ガス規制に適合した新しいエンジンの選定や具体的な価格は発表されておらず、2017年8月現在でも受付開始時点から情報は更新されていません。

2017年には生産開始予定と言われていましたが、映画での活躍の通り「未来への帰還(バック・トゥ・ザ・フューチャー)」が実現するかどうかは、まだ不明です。

 

幻のデロリアン・ターボと、黄金のデロリアン

 

出典:https://www.delorean.com/1981-dmc-delorean-c-5616.htm

 

DMC-12には、前述の通りターボ化の計画があり、さらに限定でたった3台ながら金メッキ仕様(24金)がありました。

 

デロリアン・ターボ

 

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/DeLorean_DMC-12

 

あまりに非力なDMC-12に「見た目通りの動力性能」を持たせるべく、デロリアン氏がニューヨーク州のレジェンド・インダストリーに持ち込んで開発したツインターボ仕様。

「どっかんターボ」ではなく燃費とパワーを両立したフラットトルク傾向の実用本位なセッティングを希望され、IHIのRHB52タービンを2基とインタークーラーを追加しました(上画像)。

1981年中に完成した「デロリアン・ターボ」は0-60マイル加速は8.8秒から5.8秒へ短縮、期待通りフェラーリ308やポルシェ928より速く、当時のスーパーカー級の動力性能を手に入れたのです。

ツインターボ仕様、シングルターボ仕様は2台ずつ作られ、1984年モデルからターボ仕様をオプション設定するため5,000台のエンジンを生産する予定でしたが、その前に旧DMCは消滅してしまいました。

 

金のデロリアン

 

Photo by Nick Ares

 

1981年に2台生産、そして1982年12月24日に組み立てられた最後の1台が、この世に3台しか無いと言われる24金メッキ仕様の「金のデロリアン」です。

通常のDMC-12は全て無塗装ステンレス地(ヘアライン仕上げ)で出荷されましたが、この3台だけは特別でした。

1981年の2台はマニュアル仕様・オートマ仕様各1台で特別な顧客に販売され、博物館に寄贈されるなどして長らく展示されていました。

1982年の1台はオートマ仕様で、抽選で当選した個人が購入しています。

 

ユーザー独自カラー

 

Photo by zombieite

 

Photo by nakhon100

 

Photo by zombieite

 

また、DMC-12は出荷時は無塗装ですが、ユーザーが表面保護や個性化を目的として独自にカラーリングした仕様も存在します。

 

デロリアンDMC-12の代表的なスペック

 

Photo by Eddy Clio

 

※デロリアン DMC-12はオーナーズマニュアルでも時期により、さらにテクニカルインフォメーションマニュアル(整備解説書)、車検証でそれぞれ異なる数値が記載されている部分が多いので、ここでは初期のオーナーズマニュアルを引用します。

デロリアン DMC-12 1981年式

全長×全幅×全高(mm):4,267×1,850×1,140

ホイールベース(mm):2,408

車両重量(kg):1,244

エンジン仕様・型式:PRV B28F V型6気筒SOHC 12バルブ

総排気量(cc):2,849cc

最高出力:130ps/5,500rpm

最大トルク:21.21kgm/2,750rpm

トランスミッション:5MT / 3AT

駆動方式:RR

中古車相場:1,000万円~ASK

復刻版デロリアン DMC-12のメーカー:DMC texas (URL:https://www.delorean.com/)

 

まとめ

 

Photo by Ballymore Bugle

 

デロリアン DMC-12は「夢と希望、転落と絶望、自動車界で稀に見るシンデレラストーリー」の詰まった、何とも評価の難しい車です。

そもそも故 ジョン・ザカリー・デロリアン氏自体が映画のマッド・サイエンティスト顔負けなアクの強い人物のようで、同氏が作ったというだけで数々の困難に出会ったであろうことは想像に難くありません。

その結果、見た目を裏切る性能と品質でユーザーを落胆させたかと思えば、登場映画の大ヒットで一躍名車になるなど、「名車の条件とは何なのか?」を考えさせられる車でもあります。

もっとも、その評価の難しいところが同車の魅力をさらに引き立てている事も確かです。

復刻計画の行方も含めて、まだまだ話題を提供してくれる事は確実で、今後も目が離せない1台ではないでしょうか。

 

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