闘志むき出しの走りで「和製マンセル」と呼ばれたレーシングドライバー、黒澤琢弥氏。そのキャリアの中には印象的なマシンが多くありました。今回は、そんな黒澤琢弥氏が操った印象的なマシンたちをご紹介していきます。
掲載日:2017/09/12
CONTENTS
和製マンセルと呼ばれた漢
アグレッシブな走りを信条とし、「和製マンセル」と呼ばれた日本人ドライバーがいます。
彼の名は黒澤琢弥。
偉大なるレーシングドライバーである黒澤元治氏を父に持つ琢弥氏は、その影響で10代のころからレーシングドライバーを志し、そのキャリアは30年以上となります。
その長いキャリアは非常に濃い内容となっており、全日本のみならずアメリカや世界でも活躍を見せていました。
今回は、そんな黒澤琢弥氏と共にアグレッシブなレースを見せた思い出深い車を振り返っていきたいと思います。
トヨタと共に成長した日々
黒澤琢弥氏は全日本戦に参戦した当初、トヨタからのバックアップを受けており、F3や全日本ツーリングカー選手権などではトヨタのマシンやエンジンでレースに参戦していました。
また、日本では最高峰と言えるグループCクラスにもトヨタから参戦しており、琢弥氏のキャリアは、トヨタと共に始まった言っても過言ではありません。
そんな琢弥氏と共にレースを戦ったトヨタのマシンたちを振り返ってみたいと思います。
トヨタ・スープラ
黒澤琢弥氏は、トヨタ・スープラを操り全日本ツーリングカー選手権と全日本GT選手権に参戦をしていました。
1989・90年には、グループA規格で争われたMA70型スープラにて全日本ツーリングカー選手権に参戦。
しかし、レギュレーションにより重量が増加してしまったスープラで苦戦を強いられ、目立った成績は残せませんでした。
そして、残念ながら1990年をもってスープラと共に、琢弥氏のグループA挑戦は終わりを告げたのです。
1999年から全日本GT選手権に再びスープラ(JZA80型)で参戦することになった琢弥氏は、2000年を除いた2003年までGT500クラスでスープラに乗りレースを戦いました。
そして、1999年には2勝を挙げ、シリーズランキング2位となるなどの活躍を見せたのです。
琢弥氏にとってこのスープラは、彼の成長を支えた車だったといえるのではないでしょうか。
トヨタ・コロナ
全日本ツーリングカー選手権がグループA規格ではなく、新設のツーリングカークラスで開催されることになった1994年、琢弥氏はチーム・セルモからトヨタ・コロナに乗りJTCC選手権に参戦を開始しました。
喧嘩レースとも言われたこのJTCCでは、琢弥氏のアグレッシブな走りが際立ち大活躍を見せますが、あまりにもアグレッシブだった彼の走りは残念ながら成績には繋がりませんでした。
しかし、彼の見せたアグレッシブな走りこそ、JTCCの真骨頂だったといえるでしょう。
日本最高峰のフォーミュラマシン
黒澤琢弥氏は、1990年から日本最高峰のフォーミュラであったF3000に参戦を開始しました。
1996年より新たな日本最高峰フォーミュラシリーズとなったフォーミュラ・ニッポンにも参戦しており、10年間に渡り日本のトップフォーミュラで活躍していたのです。
そんな彼が長い間参戦した日本のトップフォーミュラキャリアの中から、特に印象深いマシンをご紹介したいと思います。
ローラT94-50 無限
1994年、琢弥氏はコスモ石油のサポートを受けて全日本F3000選手権に参戦しました。
彼はこのマシンを操り、全日本トップフォーミュラで初優勝を飾ったのです。
レイナード95D 無限
1995年、琢弥氏は元F1ドライバーである中嶋悟氏が率いるNAKAJIMA PLANNINGより全日本F3000選手権に参戦しました。
白地に黒ラインが印象的なPIAAカラーに塗られたレイナードは、琢弥氏と後にF1ドライバーとなる高木虎之介氏の2人と共に大活躍を見せ、シリーズランキング6位でシーズンを終えています。
ローラT98-51 無限
1997年、TEAM IMPULからフォーミュラ・ニッポンに参戦した琢弥氏は1勝を挙げシリーズランキング2位となりました。
そして、翌1998年にはマジョーラからサポートを受けたTEAM IMPULが奇抜なカラーリングで登場し話題に!
マジョーラというのは、見る角度や光の当たり方により様々な色に変化する塗料で、マジョーラカラーに塗られたこのローラT98に乗った琢弥氏は、3位表彰台を獲得するなどの活躍を見せました。
日本人初のラップリーダー
ローラB2K/00 フォード
黒澤琢弥氏は2000年にアメリカの最高峰フォーミュラのひとつであるCART チャンプカーに挑戦しています。
そして、2017年現在でも活動をしているデイル・コイン・レーシングのローラに乗り参戦した琢弥氏は、第3戦のロングビーチ戦では6周もの間、日本人として初めてアメリカのトップフォーミュラでラップリーダーを記録したのです。
後に佐藤琢磨選手が日本人としてアメリカトップフォーミュラで初優勝を飾ることになるロングビーチで、琢弥氏はラップリーダーを記録していました。
これは、何かの縁なのかもしれませんね。
まとめ
黒澤琢弥氏が操った印象的なマシンをご紹介しましたが、いかがでしたか?
現在でもインタープロトシリーズなどに参戦しており、現役でありながら若手の育成にも力を注いでいます。
「和製マンセル」と言われた琢弥氏は、その熱い走りが人気を呼びましたが、残念ながらあと一歩のところでチャンピオンには縁がありませんでした。
「無冠の帝王」と呼ばれたマンセルでしたが、和製マンセルと呼ばれた琢弥氏も無冠の帝王と呼ぶべき存在なのではないでしょうか。
あわせて読みたい
アナタが好きなマシンはどれ?老舗トムスの歴代GTマシン一挙振り返り!
JGTCを支えた7台の名車とは?NSX・GT-R・スープラ、数々の名マシンから厳選してご紹介!
チームトムスのJGTC参戦車両を覚えていますか?トヨタ系老舗レーシングチーム、トムスの歴代GTマシンを一挙ご紹介します。
[amazonjs asin=”B00005FV0W” locale=”JP” title=”フォーミュラ・ニッポン1997年総集編 VHS”]
Motorzではメールマガジンを始めました!
編集部の裏話が聞けたり、月に一度は抽選でプレゼントがもらえるかも!?
気になった方は、Motorz記事「メールマガジン「MotorzNews」はじめました。」をお読みいただくか、以下のフォームからご登録をお願いします!
※迷惑メールとして着信してしまう場合があります。メールが来ないときは、お手数ですが迷惑メールフォルダをご確認ください。