マカオ・グランプリ。モータースポーツ好きなら、誰もが聞いたことのある名前だと思います。中国の経済特区・マカオで年に1度行われるこのレースは、特に「F3の頂上決戦」として大きな意味を持つイベントです。今回は舞台となるギア・サーキットの魅力、そしてマカオGPというレースがどの様なものなのか、まとめてみました。
掲載日:2018/04/10
CONTENTS
アジア圏最大のレースイベント「マカオ・グランプリ」
香港から船で1時間、「東洋のモナコ」とも呼ばれるマカオは、1999年までポルトガルの領土だったことで知られています。
植民地時代の歴史的な西洋建築や、「ラスベガスにあるものは何でもある」と言われるほど豊富な娯楽施設(カジノやナイトクラブ)など、まさに東洋一ゴージャスな観光地、と言っても過言では無いと思います。
そんなマカオとモータースポーツの関わりは古く、1953年まで遡ります。
当時、この地には欧米から移民が多く住んでおり、彼らは母国からスポーツカーやフォーミュラカーを持ち込み、公道レースの開催を計画しました。
これが第1回マカオ・グランプリで、当時は自慢のクルマを見せ合う社交場のようなものだったのです。
それでも、アジア初の本格モータースポーツイベントは話題を呼び始め、やがてマカオ政府のバックアップも受けてエントラントと観客は増加。
1970年代に入ると1.6Lエンジンを積んだ小型フォーミュラカーによるメインレースが始まり、プロフェッショナルなイベントへと成長していきました。
世界一の公道コース「ギア・サーキット」
https://www.youtube.com/watch?v=a0-asTAsRQc
マカオGPは、公道をクローズした全長6.2kmの「ギア・サーキット」で争われます。
基本的なレイアウトが初開催時からほとんど変わっていないという、歴史あるトラックです。
マカオの中心街を駆け抜けるコースには、「海側」と「山側」という全く異なった性質を持つセクションに分けることができます。
スタート&ゴールがある「海側」セクションは、片側2車線の大通りを封鎖した超高速セクション。
特に、スタートから2つの高速コーナーを含めた全開区間は、スリップ・ストリームを用いた熾烈なオーバーテイク合戦が展開される最大の観戦ポイントです。
その海側セクションの終わり、「リスボア」と呼ばれる超低速コーナーから先は一気に道幅が半分ほどになる「山側」セクションへと突入していきます。
この区間はアップダウンが激しいことに加え急なコーナーが多く、F1のモナコ市街地コースと非常によく似ています。
コース幅は一番狭いところで、わずか7m!クルマ2台がギリギリすれ違える程度しかありません。
この区間は接触事故が起こりやすく、マシンを壊さないようにアウト・イン・アウトではなく「真ん中・イン・真ん中」がセオリーとさえ言われているそうです。
また、年々改修されているとはいえ路面のミューは極度に低く、日本国内のサーキットと比べるとマシンコントロールは難しくなっています。
また、イン側をトレースし過ぎて縁石に乗ってしまうと、そのままグリップを失いウォールに激突…という様な光景も珍しくありません。
この様に極端な性格を持ったコース故、セッティングは非常に難しく、山側重視のハイダウンフォース仕様か、海側重視のローダウンフォース仕様か…各チームの戦略が二極化する点も、見どころといえるのではないでしょうか。
第1回王者はセナ!F3世界最速決定戦「FIA F3 ワールドカップ」
1983年からメインレースにF3規定が導入されたことが、アジアのローカル大会に過ぎなかったマカオGP最大の転機となります。
各国のF3選手権で上位の成績を収めた”F1一歩手前の”トップドライバーが集う、決戦の舞台へと急成長を遂げたのです。
初大会の最注目選手は、なんといってもその年のイギリスF3でチャンピオンを獲得した大型新人アイルトン・セナでした。
ポールポジションからスタートしたセナは後続をみるみる引き離し、後のモナコでの激走を思わせる走りでぶっちぎりの優勝を飾ります。
この年を皮切りにF1への登竜門として知られる様になったマカオGPは、1990年のミカ・ハッキネンVSミハエル・シューマッハなど、未来のトップドライバーが多くの名勝負を生み出しました。
また2001年には、佐藤琢磨が日本人として初優勝の快挙を成し遂げています。
当時、翌年からF1デビューが決まっていた琢磨にとって、敢えてこの世界一難しいレースに挑む理由はありませんでした。
事実、経歴に傷が付くことを避ける為、F1入りが決まっている大物がマカオをキャンセルする、という例は少なくありません。
それでも琢磨はこのレースに挑み、表彰台の頂点に立ったことで世界的な評判を勝ち取ったのです。
ちなみに2016年から大会名称が「FIA F3 ワールドカップ」となり、名実ともにFIA公認の”F3頂上決戦”となりました。
ハコから2輪まで!!多種多様な開催レースがアツい
マカオGPで行われるレースは、F3だけでは決してありません。
2016年のレースウィークは11/17〜20の4日間で行われ、この期間中に「FIA F3 ワールドカップ」の他に「FIA GT3ワールドカップ」、「モーターサイクル・グランプリ」、ツーリングカーで争われる「ギア・レース」など、実に7つもレースが開催されました。
特にFIA GT3ワールドカップは世界的に盛り上がりを見せるGT3規定による、文字どおり頂上決戦で、新たなメインレースとして注目が集まっています。
モーターサイクル・グランプリも、伝説の「マン島TT」に勝るとも劣らない命がけのバトルが展開されており、その迫力はまさに鬼気迫るものがあります。
過去にはWTCCのラウンドも開催されるなど、時代に合わせた「頂上決戦」の舞台としてもはやルマン、インディー500などと肩を並べる世界有数のイベントへ成長を遂げたといっても過言ではないのです。
まとめ
「マカオ・グランプリ」の魅力、感じていただけたでしょうか?
1年にたった一度きりの舞台だからこそ、参戦するドライバーの誰もが特別な思いでこのイベントに挑んでいます。
特に、F1へのオファーを勝ち取る最大のチャンスであるF3ワールドカップは、過去のウィナーや出場者を見ても「数年後のF1トップ争い」が一足以上も先に繰り広げられていることは少なくありません。
そして、これだけのイベントが安いツアーを活用すれば10万円弱ほどで見に行けるのも、同じアジアに住む日本人の特権と言えるでしょう。
レースに肩までどっぷりの夢の4日間!モータースポーツを愛する人なら、最高のリゾート体験になるのではないでしょうか?
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