日本のモータースポーツ業界に置いて、レジェンドと呼ばれるドライバーは複数名いますが、その中でも、最も長い期間現役で走り続けた伝説の選手、高橋国光さんをご存知ですか?1958年に18歳で2輪のモータースポーツに参戦をはじめ、1964年には4輪へ転向。以降1999年までひたすらトップカテゴリで戦い続けた”鉄人”のような選手、”国さん”こと高橋国光さんが乗ったマシンを8台ピックアップしてご紹介します。

掲載日:2018/11/11

出典:http://vital.sakura.ne.jp/

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高橋国光とは

 

出典:https://www.youtube.com/

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1940年1月29日、現在の東京都小金井市に生まれた高橋国光さん。

76歳の現在も、チームクニミツの監督としてスーパーGTに参戦しており、”国さん”の愛称で親しまれています。

18歳からモータースポーツの世界へ飛び込み、2輪4輪ともに世界の舞台で戦い続けたその姿はもはや”名選手”などではなく”レジェンド”と形容するほうが正しいかもしれません。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

2輪時代の国光さん(右)(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

 

1958年、18歳の時に2輪の国内レース、第1回全日本クラブマンレース・ジュニア(350cc)クラスに参戦し、セニアクラス(排気量350cc以上のクラス)を上回るタイムで優勝。翌年にはセニアクラスへ参戦して見事優勝。

併催の第3回浅間火山レースでも2位を獲得し、1960年からはホンダのワークスライダーになり、世界GPであるロードレース世界選手権に参戦を開始。

翌年の1961年には250ccクラスで日本人初の世界GP優勝。参戦した10戦は全勝という驚異の成績で、21歳で世界を制します。

 

出典:http://www.honda.co.jp/

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そのまま国内トップライダーへの路を登り続けると思われた翌年1963年。開幕から2連勝と勢いに乗って迎えた第3戦マン島TTレースで激しく転倒。意識不明の重体となり、生死の境をさまようことに。

奇跡的に一命をとりとめ、回復後に2輪モータースポーツに復帰するも、以前の速さは発揮できませんでした。

 

出典:http://vital.sakura.ne.jp/N

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そして1964年、4輪へ転向。

誰もが憧れた日産のワークスチームである追浜ワークスに入ることとなり、R380やスカイライン2000GT-Rを駆って国内ツーリングカーレースで活躍し続けました。

当時、北野元さん、黒澤元治さんと並んで「日産三羽ガラス(追浜ワークス三羽ガラス)」と呼ばれ、絶大な人気を誇っていました。

ちょうどこの頃、”ドリキン”こと土屋圭市さん(現在はスーパーGT、ARTAエグゼクティブアドバイザー)は、高橋国光さんが駆るハコスカGT-Rがドリフトしてコーナーを駆け抜けていく姿に衝撃を受け、一瞬でファンになったと語っています。

その後も国内トップカテゴリのフォーミュラやツーリングカーレースで活躍を続け、常にトップドライバーとして君臨しつづけます。

4輪になってからはF2やF3000、JSPC、JTC、JGTCなど、国内が中心でしたが、世界戦への参戦も継続。

 

出典:http://www.revscene.net/

1996年 JGTC参戦車両のADVAN BP NSX(出典:http://www.revscene.net/)

 

1977年にはF1日本GPにスポット参戦、1995年には、以前から参戦し続けていたルマン24時間で、土屋圭市選手、飯田章選手とともにホンダ・NSXを駆りクラス優勝(総合8位)。

翌年1996年は、それまでポルシェで参戦し続けていたJGTC(全日本GT選手権)もルマンのマシンをベースに作成したNSXで参戦。この時は今のGTでもお馴染みのレイブリックNSXではなく、ADVAN BP NSXでした。

そして1999年、この年のJGTCを以て現役引退を表明。

ファンだけでなく、師として仰いだ多くの選手に見送られながら、レーサー人生に終止符を打ちました。

この時59歳。後のインタビューなどでは「まだ走りたかった。」と語っており、”鉄人”のようなバイタリティを持っていると同時に、ただただモータースポーツが、サーキットを走ることが好きなんだと痛感させられます。

 

出典:http://www.teamkunimitsu.net/

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現在では、自身のチームである「TEAM KUNIMITSU」の監督として、スーパーGTに参戦中。

生涯現役を地で行く姿に、ファンも非常に多い名監督の一人です。

 

簡単に経歴を振り返ったところで、今回は、そんな伝説のドライバーである高橋国光さんが乗った名マシンを8台ピックアップしてご紹介いたします。

 

1961年:世界を制したホンダ・RC162

出典:http://www.honda.co.jp/

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1961年に、ロードレース世界選手権の第2戦西ドイツGPで高橋国光さんが駆り、日本人ライダーによる世界戦初優勝を獲得したマシンが、このホンダRC162。

並列4気筒DOHC、排気量は249ccのこのマシンは、14000回転で45馬力以上のパワーを発生していたと言われており、レーシングマシンと言えど驚異的なスペックでした。

同時期の市販車で言うと、250ccクラスのバイクの中で高性能であったホンダ・CB72スーパースポーツでさえ24馬力だったので、どれだけ高性能だったのかがわかるかと思います。

車両重量は126kg。最高速は220km/h以上。非常に高いスペックを保ったこのグランプリマシンは参戦した10戦は全戦全勝。

ホンダの技術力の高さと、高橋国光さんのライディングテクニックの両方が光っていました。

 

1970~1972年:日産・スカイライン2000GT-R

 

出典:https://gazoo.com/

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スカイライン神話を産むこととなった初代スカイラインGT-R。通称ハコスカGT-R。

2リッター直列6気筒DOHCのS20エンジンを搭載し、日本グランプリをはじめとした国内のツーリングカーレースで49連勝したことは、モータースポーツファンの中では今も語り継がれる伝説です。

 

出典:http://nissan-heritage-collection.com/

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この頃が「追浜ワークス三羽ガラス」と呼ばれていたころ。

高橋国光さんが駆るゼッケン15、青いハコスカは数々のコーナーをドリフトしながら駆け抜け、多くの人を魅了しました。

日産のワークスがハコスカで参戦を開始したのは1970年から、49連勝をマツダ・サバンナRX-3に止められた後に50勝目を獲得したのは、この15番のスカイラインGT-R、高橋国光さんでした。

 

当時の様子がわかる貴重な映像はこちら。カーナンバー57番が高橋国光選手です。

 

 

モータースポーツの生きる伝説・高橋国光選手が駆ったマシンたち。

次のページでは、F1からNSXまで、一気に振り返ります。