日本には8つもの乗用車生産メーカーがあり、激しい競争の中から優れた車種を生み出し現在に至っています。そしてその多くは、創業時から自動車を生産していた訳ではなく、他業種からの転身という意外なルーツを持っています。いったいなぜ自動車を作ることになったのでしょうか?そして、どんな困難があり、どのように克服して現在の地位を築き上げてきたのでしょう。世界に名だたる日本の自動車メーカーの生い立ちを見ていきたいと思います。

掲載日:2017/05/08

Photo by Kenji SAITO

トヨタ自動車(Toyota Motor Corporation )

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A#.E5.89.B5.E6.A5.AD

トヨタは織物機械の会社だった

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日本のトップメーカーであるトヨタ自動車のルーツは、現在も本社が置かれている愛知県。創業者の豊田佐吉が興したトヨタ自動織機が始まりでした。つまり、織物を作る機械の会社だったのです。

その織物機械の会社であるトヨタ自動織機内に、自動車部が設置されたのが1933年。そして設立した自動車部の中心になったのが佐吉の息子喜一郎氏だったのです。

トヨタとしては自動車は未知の分野でしたが、鋳造・機械加工技術等のノウハウはあったので、それを活かして、ついに2年後の1935年11月に「G1型トラック」、翌1936年には同社初の量産乗用車であるAA型乗用車を完成させました。

 

急いで造ったトラックは前途多難な出来

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1934年、商工省と陸軍省から国策上の理由によりトラック製造に取り掛かる事を余儀なくされます。当時、軍の依頼は絶対的な命令だったので乗用車の生産は一時中断することになりました。時間がなかったために間に合わない部品については、シボレー、フォードなどの市販の補給部品を利用して造ることになります。

1935年8月25日に完成したトラックの試作第1号の走行試験では、リアアクスルの溶接部が折損する不具合が発生し、さらに発表のため愛知県から東京の芝浦に向かった車両は、途中でステアリング・サードアームが折損する故障が発生するなどトラブルが続出します。

そして芝浦の会場には発表当日の21日午前4時に到着したという前途多難な一号車が、世界に名だたるトヨタ自動車の始まりとなりました。

本田技研工業株式会社(ホンダ、Honda Motor Co., Ltd.)

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目指したのは、世界一のオートバイメーカー

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4輪車の販売台数においては世界第7位のホンダですが、2輪車においては生産台数、規模ともに世界一を誇ります。

そして創業のルーツも、もちろん4輪車ではなく2輪車でした。

もともと自動車修理工だった本田氏が、たまたま友人が預かっていた旧陸軍の無線機発電用エンジンを見た本田氏が自転車に取り付けるというアイデアを思いつきます。そして、これこそが現在のホンダを生むことになる決定的瞬間となるのです。

1948年9月24日、本田宗一郎は浜松市に本田技研工業株式会社を設立。

創業時に目指したのは、世界一のオートバイメーカーになることでした。それは、初の市販製品「ホンダA型」、そして1958年8月のスーパーカブC100の発売によって現実のものとなりました。

 

初の4輪車はスポーツカーと軽トラック

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出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BBT360

4輪車に進出したのは、ホンダ製オートバイが世界で認められた後の1963年。軽トラックの「T360」「スポーツカーS500」が発売されました。

軽トラックは国策のために造られましたが、その中身はミッドシップレイアウトにエンジンを搭載するスポーツトラック。

S500は世界を舞台に戦うにはスポーツカーでなければならないという思いから作られたそうです。

 

まだまだ登場する日本の自動車メーカー!

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