タバコスポンサーのカラーリングを身にまとったレーシングカーやバイクを見ると、今ではノスタルジックな感覚になってしまいます。そんな中、マルボロやロスマンズと並んで人気だったのがラッキーストライクカラー。街中でラッキーストライクカラーのバイクを見ると、どうしても目を奪われてしまうのは、筆者だけではないはず!そんなラッキーストライクカラーをまとったレーシングカー・レーシングバイクをご紹介します。
CONTENTS
伝説となったスポンサーカラー!ラッキーストライクカラーとは?
What a beauty! #luckystrike tyrrell #f1 @F1 #oldschoolf1 pic.twitter.com/rxi7kmhrjm
— Riccardo Turcato (@Rturcato83) 2017年12月3日
かつて、多くのレーシングカーおよびレーシングバイクは、タバコ銘柄のカラーリングを身にまとっていました。
当時のマールボロ、ロスマンズ、ゴロワーズなどのロゴが描かれた鮮やかなカラーリングは、レーシングマシンへの憧れへと繋がっていきました。
そんなタバコ銘柄のカラーリングの中で、レジェンド級にファンが多かったのはラッキーストライクカラー!
特にロードレース世界選手権や全日本ロードレース選手権では、ラッキーストライクカラーのマシンがトップ争いの常連となり、同じカラーの市販車を限定販売すれば即完売となる程に。
また、自らの愛車をラッキーストライクカラーにペイントするライダーも多く、今となってはレジェンド級の人気とも呼べるデザインとなっています。
タバコ広告がモータースポーツから消滅
Lucky Strike BAR Honda Special Livery at the 2005 F1 Japanese Grand Prix; ENEOS, NTN, SHOWA, A https://t.co/ApcOTD3j4s pic.twitter.com/OwKYDjwTsA
— Richard Samuel (@richardlnsasia) 2016年10月12日
かつて、モータースポーツとタバコは切っても切れないものでした。
なぜなら、レースに参戦する多くのファクトリーチームやプライベートチームは、タバコメーカーからスポンサーを受け、レース活動資金をスポンサー契約金で確保していたからです。
しかし2001年9月11日、F1運営会社はタバコメーカーのすべてのスポンサー事業を2006年1月にF1から撤退させることを発表。
同時にWRC、MotoGPなど世界的なモータースポーツイベントでも、タバコメーカーのスポンサーが打ち切られていきました。
その理由は、多くの国でたばこが身体に及ぼす害を懸念し、タバコの広告を禁止した為です。
たばこ広告は禁止となってもサブリミナル広告で継続
フェラーリはタバコ広告禁止になったにも関わらず、マールボロの販売元であるフィリップモリス社と2011年までスポンサー契約を継続させました。
そこでフェラーリがとったのは、サブリミナル広告という手法です。
サブリミナル広告の意味は以下のようになります。
人間の潜在意識に訴える広告。
テレビ,ラジオ,劇場のスクリーンなどに,知覚不可能な高速または微量のメッセージを繰り返し出し,視聴者に無意識のうちに購買行動を起こさせようとするもの。
引用元:http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B5%A5%D6%A5%EA%A5%DF%A5%CA%A5%EB%B8%FA%B2%CC
フェラーリの車両には、マールボロのロゴの代わりにロゴを連想させるバーコードを印字しました。
それにはタバコ広告禁止を掲げる国から批判の声も多く上がりましたが、フェラーリはあくまでただのデザインの一部だと主張。
しかし、フィリップモリス社とのスポンサー契約が終了した2012年以降は、このデザインが採用されることはありませんでした。
サーキットを彩っとラッキーストライクカラーのマシン
BARホンダ
2000年、ホンダは1992年以来のF1復帰を果たしました。
ホンダがエンジンを供給した先は、B・A・R(British American Racing)というコンストラクターで、白を基調としたカラーリングにラッキーストライクのロゴが加えられています。
また、マシンのカラーリングは日本国旗を思わせるもので、歴代ホンダF1車両のなかでは非常に日系企業らしいデザインとなっており、2003年からはジェイソン・バトンと佐藤琢磨が加入。
そのマシンで佐藤琢磨は鈴木亜久里氏以来の表彰台獲得を果たしました。
マツダ757
マツダのグループCカーといえば、真っ先にル・マン24時間耐久レースで優勝したマツダ787を思い浮かべますが、その先代モデルに当たるのがマツダ757でした。
1986年にはラッキーストライクがメインスポンサーとなり、他のレーシングカーに比べ比較的大きかったグループCカーにはラッキーストライクのロゴが非常に目立つデザインで、記憶に残っている人も多いと思います。
エンジンは654cc×3の3ローター・エンジン13G型を搭載し、1986年のル・マン24時間耐久レースにも参戦。
この年、ル・マン以外でもイギリス・シルバーストーン1,000kmや全日本耐久シリーズにも参戦しますが、他のマシンよりパワーが劣るところがあり、全日本耐久第3戦富士500マイルで5位というのが最高リザルトでした。
ポルシェ917k
Aquest no l’havia vist mai: un #Porsche 917K vestit amb els colors de Lucky Strike. pic.twitter.com/IzWYcZKQw2
— Colla Verglas (@CollaVerglas) 2014年4月21日
1960年代終盤から1970年代前半にかけ、ポルシェはプロトタイプカー・ポルシェ917を送り出し、1970年にポルシェ917Kと呼ばれるモデルが登場しました。
ポルシェ917は、映画『栄光のル・マン』で主演俳優スティーヴ・マックィーン氏と共に使用された事で名高いレーシングカーです。
917では水平対向12気筒4,907ccエンジンを搭載していましたが、917Kでは排気量を4,998ccまで向上。
上の画像のラッキーストライクカラーの#3ポルシェ・917Kは、リチャード・アトウッド(Richard Attwood)氏とデイブ・チャールトン(Dave Charlton)氏ーが南アフリカ・キャラミレーシングサーキット9時間耐久レースに出場していたときのものでした。
スズキRGV-γ500
スズキRGV-γ500は、1990~1995年の間ラッキーストライクカラーでロードレース世界選手権500ccクラスに出場し、1993年にはアメリカ人ライダー ケビン・シュワンツがタイトルを獲得。
ケビン・シュワンツのライディングで印象的だったのは、コーナーリングでマシンを極限まで倒しこむ独特のライディングフォームで、レースで完走すれば優勝、それ以外は転倒リタイヤに終わるような攻めのライディングスタイルは、多くのファンを魅了しました。
ヤマハYZR500
Team Lucky Strike Roberts#89
Yamaha YZR500#OWA8
Wayne Rainey#3
Kevin Magee #5 pic.twitter.com/pW6U1aiMuW— 2T Racing (@2TRacing) 2014年11月30日
現役時代『キング』と呼ばれたアメリカ人ライダー ケニー・ロバーツは、1979~1982年まで3年連続WGP500ccクラスでチャンピオンを獲得し、引退後にレーシングチーム『チームロバーツ』を結成。
チームが結成された1986年からラッキーストライクがスポンサーにつき、ランディ・マモラ、マイク・ボールドウィン、ウェン・レイニーがラッキーストライクカラーのヤマハYZR500で鮮やかなライティングを披露してくれました。
カワサキ ZX750R /ZX7RR
ラッキーストライク カワサキ
柳川明選手と3位表彰台
トップ15がワークスマシンな時代よ
俺20歳 (笑)若っ#8耐#ラッキーストライクカワサキ
#2 pic.twitter.com/kPls88QSr6— 藤原克昭 『喝能』 (@katsuaki37) 2017年2月23日
ライムグリーンカラーでおなじみのカワサキですが、ワークスチームで伊藤ハムやラッキーストライクカラーのマシンもありました。
カワサキワークスチームは、1995年と1997年の鈴鹿8時間耐久レースでラッキーストライクがスポンサーにつき、マシンは1995年がZXR750R、1997年がZX-7RR。
1995年は柳川明・藤原克昭ペアが2位、1997年は梁明・武石慎也ペアが3位を獲得。
ラッキーストライクカラーで好成績をおさめました。
ホンダRVF750
ホンダが鈴鹿8時間耐久レースにワークス参戦していた際の1998・1999年はラッキーストライクがメインスポンサーとなり、ホンダRVF/RC45で出場していました。
当時、ホンダワークスが鈴鹿8耐で圧倒的な速さを誇っていた時期で、1998年は伊藤真一/宇川徹ペア、1999年は岡田忠之/アレックス・バロスペアが優勝を獲得!
4名は全員ラッキーストライクカラーのツナギで、表彰台の一番上に立ちました。
スズキRGV-γ250
#52#motoGP
1996 GP250 suzukaRGV-Γ250 yasunori numata pic.twitter.com/8l468rEKSw
— こっせ (@Rothmans_0318) 2014年1月27日
ラッキーストライクは世界戦のみではなく、全日本ロードレース選手権でもスポンサー活動を行っていました。
全日本ロードレース選手権GP250でスズキワークスのRGV-γ250が走っていた頃のSUZUKIワークスはラッキーストライクカラーでした。
当時、スズキワークスのRGV-γ250の開発ライダー兼エースライダーだったのは故・沼田憲保氏。
1991年から全日本ロードレース選手権GP250クラスにフル参戦していた沼田氏は、原田哲也、岡田忠之、宇川徹、青木宣篤など強豪ライダーがひしめく中、まだ非力なスズキRGV-γ250で上位に食い込む活躍を見せます。
そして1995・1996年には2年連続でシリーズチャンピオンを獲得し、トップを快走するラッキーストライクカラーのRGV-γ250を見せつけました。
その後、沼田氏が4ストロークマシンに乗り換えてからは、ST600クラスや鈴鹿8時間耐久レースにも出場。
しかし2007年9月4日に岡山国際サーキットで転倒し、胸部破裂で帰らぬ人となりました。
まとめ
時代が錯綜し、モータースポーツも多くの人に見てもらえるようコンプライアンスを重視するためのタバコ広告排除は、苦渋の選択だったと思います。
しかし、モータースポーツの楽しさを伝えてきたのは、メーカーや選手だけでなく、スポンサーを務めたタバコメーカーの貢献も大いにあった事は言うまでもありません。
その中でもラッキーストライクは多くのレーシングチームへのスポンサーを積極的に行い、その選手やマシンが我々を魅了し続けてくれました。
今後もラッキーストライクカラーの名車たちは我々の憧れのマシンとして、モータースポーツの歴史と記憶に残る存在で有り続ける事でしょう。
[amazonjs asin=”B007LU6J6Q” locale=”JP” title=”zippo(ジッポー) LUCKY STRIKE WALL 黒マット 1999年製造”]
Motorzではメールマガジンを配信しています。
編集部の裏話が聞けたり、最新の自動車パーツ情報が入手できるかも!?
配信を希望する方は、Motorz記事「メールマガジン「MotorzNews」はじめました。」をお読みください!