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三菱最後のFRスポーツ!?ステージ不問のレースで速さを見せつけた名車スタリオン

1980年代初頭、三菱自動車は技術の総力を結集した新設計のスポーティーモデル『スタリオン』を発表します。そして三菱が目指したフルラインナップターボモデルの頂点に立つクルマとして開発・設計されたスタリオンは、ラリーシーンやツーリングカーレースなど、モータースポーツの分野でも活躍し、リザルトにその名を刻みます。今回は、ハイソカーブームのバブル全盛期に、三菱自動車から販売されていた孤高のFRスポーツ『スタリオン』を紹介します。

掲載日:2019/06/04

出典:https://www.favcars.com/images-mitsubishi-starion-turbo-ex-1982-84-290737-1024×768.htm

三菱を代表するスポーティーモデル『スタリオン』誕生

出典:https://www.favcars.com/pictures-mitsubishi-starion-turbo-gsr-iii-1982-87-60648-1024×768.htm

排出ガス規制の荒波を抜けた1980年代初頭、高性能エンジンによるハイパワー時代へと向かっていた日本の自動車業界には、主要各メーカーによるターボエンジン搭載モデルの開発競争が始まっていました。

三菱自動車は、他メーカーに対抗する為、1.4リッターから2.3リッターディーゼルまでの幅広いターボ搭載モデルをラインナップを実施。

その頂点に立つべく、メーカーを代表するターボ付きスポーティーモデルの設計、開発に取り組んでいました。

そして、欧州ジュネーブショーでワールドプレミアを果たした三菱のスポーティーモデルは、『スタリオン』というネーミングで1982年5月から日本国内でも販売を開始。

スラントノーズとショートテールというウェッジシェイププロポーションに、リトラクタブルヘッドライトの組み合わせで、圧倒的な個性を主張するアメリカナイズされた独特のフォルムは、『好きな人は好き』という、決して万人向けではない三菱自動車らしいスポーティーモデルでした。

そんな『スタリオン』のシャーシコンポーネントを紐解くと、ギャラン ラムダやギャラン シグマと同じプラットフォームを利用した2ドアモデル。

しかし、現在のメーカーホームページによれば、『スタリオン』は初代ギャランGTO、ギャランFTO、ランサーセレステに続く三菱自動車のスポーティカーの第4弾とのことでした。

GSR-Xを頂点に5車種を設定

出典:https://www.favcars.com/mitsubishi-starion-turbo-gsr-x-1982-87-pictures-42993-1024×768.htm

発売当初のメーカー広報資料では、『内外の需要に応えるべくホットでスポーティー度の高い、三菱のイメージリーダーとして位置づけている』というスタリオンに対する解説がなされています。

イメージリーダー車に相応しくGX、GSR-I、GSR-II、GSR-III、GSR-Xと5つのグレードを設定。

最上級グレードのGSR-Xは、ギャランシグマに搭載されている『シリウス80』型2リッターエンジンを搭載し、電子制御燃料噴射装置とTC-05型ターボチャージャーを装着。

最高出力145ps/5500rpm、最大トルク22.0kgm/3000rpmを発揮します。

また、GSR-Xはアルミホイール、本革製ドライビングシート、オートエアコン、イコライザー付きサウンドシステムやクルーズコントロールシステムなどを標準装備。

当時のGSR-Xの標準販売価格は281万円で、ハイソカーブームの火付け役として爆発的に売れていたトヨタ 初代ソアラの価格に匹敵するほど高価なものでした。

しかし、スポーティーモデルとして開発された『スタリオン』の足まわりの味付けは高速向けで、低速での乗り心地が悪く、当時流行の兆しをみせていた高級志向で乗り心地の良いハイソカーに対して時代錯誤な存在となっていました。

その一方で、ライバルメーカーのスポーティーモデルはDOHCエンジンを搭載のターボモデルを登場させたり、総排気量の拡大が進められ、高性能ハイパワー競争が激化。

SOHCで排気量も小さい『スタリオン』は、スポーティーモデルとしての面目を保つためにもエンジン性能への対策が急務となっていたのです。

インタークーラー、可変吸気バルブ搭載のGSR-V登場

出典:https://www.favcars.com/images-mitsubishi-starion-turbo-ex-1985-86-291881.htm

1984年5月、三菱自動車は『スタリオン』に新型のインタークーラー付きターボエンジン『シリウスダッシュ3×2』を搭載した、GSR-Vグレードを追加するマイナーチェンジを実施します。

この3×2エンジンの特徴は、吸気側に2つのバルブを備え、エンジン回転に応じて開くバルブの数を変化させる事で充填効率を向上させる可変吸気バルブの原型ともいえる高度なメカニズムを装備していることです。

技術開発により飛躍的にエンジン性能をアップしたGSR-Vのスペックは、最高出力200ps/6000rpm、最大トルク28.5kgm/3500rpmを達成。

ハイソカーブームの陰に隠れていた『スタリオン』は、国内最大トルクのハイスペックエンジンを搭載して、スポーティーモデルとしての息を吹き返します。

そして三菱自動車は、まず国内モータースポーツシーンの全日本ラリー選手権にGSR-Vを投入。

1984年の全日本ラリー選手権Cクラスチャンピオンを獲得していたのはヨコハマタイヤがメインスポンサーを務めるアドバンラリーチームの三菱ランサーターボ。

1985年シーズンも、タイトルホルダーのランサーターボやスノーステージ向けの三菱コルディア4WDで参戦していたアドバンラリーチームでしたが、全日本ラリー選手権第3戦『KANSAI RALLY85』から、車種変更を行なって一気に3台ものスタリオンGSR-Vを投入し、周囲を驚かせます。

これは、海外ラリーでのハイパワー競争が激化し、ランサーターボではパワー不足が否めない状況となっていたなかで、次期参戦モデルとしての足まわり等のデータ収集を兼ねてスタリオンGSR-Vでの国内参戦を開始したものです。

そんなスタリオンGSR-Vは、全日本投入2戦目の第4戦ACKラリーで羽豆宏一選手のドライブにより見事2位入賞。

第6戦九州でも3位入賞などポイントを重ね、日産フェアレディZで参戦していた神岡政夫選手とのCクラスFRターボ車対決によるチャンピオン争いを一気に盛り上げました。

スタリオンGSR-Vスペック

エンジン 水冷直列4気筒インタークーラーターボ
総排気量 1997cc
ボア×ストローク 85.0 ×88.0mm
燃料供給装置 ECI
最高出力 200ps/6000rpm
最大トルク 28.5kgm/3500rpm
サスペンション形式・前 ストラット/コイル
サスペンション形式・後 ストラット/コイル
ブレーキ前・後 ベンチレーテッドディスク
全長 4410mm
全幅 1695mm
全高 1320mm
ホイールべース 2435mm
車両重量 1240kg

衝撃デビュー‼インターTECで日本初登場

出典:https://www.favcars.com/images-mitsubishi-starion-turbo-ex-1985-86-291877.htm

1985年、日本のモータースポーツはバブル景気の恩恵を受け、華やかな全盛期へと突入していきます。

そして日本でもグループA規定の『全日本ツーリングカー選手権』が開始され、トヨタセリカXX(MA61)、AE86レビン、日産DR30スカイライン、マツダサバンナRX-7(SA22C)等、各メーカーを代表するFRスポーツモデルが参戦を開始。

三菱自動車は、11月に富士スピードウェイで開催が決定していた国際ツーリングカー選手権『インターTEC』にターゲットを定め、国内でのスタリオングループA仕様のデビューを目指します。

そのために、欧州圏での販売促進のイメージ戦略を兼ねた、イギリスのグループA国内選手権『RACブリティッシュ・サルーンカー選手権』にスタリオン(ドライバーD.ブロディ氏)で参戦しながらデータの収集を実施。

インターTECまで残り1ヶ月をきった10月中旬にイギリスで開催された『RACブリティッシュ サルーンカー選手権』最終戦に、インターTECでスタリオンのハンドルを握る予定となっていた高橋国光氏が、スタリオンでの参戦を果たしました。

結果は予選、決勝ともに燃料系トラブルが発生してしまい、予選13位、決勝9位というリザルトでしたが、インターTECに向けた予行練習には十分な遠征となりました。

そして迎えたインターTECは、BBWモータースポーツによってイギリスから持ち込まれたゼッケン6号車、スタリオンのハンドルを握ったのは、本場ETCにもスポット参戦していたD.ブロディ氏と高橋国光氏。

本場ETCから遠征してきたボルボ240T勢2台が予選でワン・ツーを占める中、予選3位には国内初登場のゼッケン6号車スタリオンが入り、富士スピードウェイの観客席からはどよめきが起こったと言われています。

続く予選4位にも、マカオGPへの遠征用に熟成を進めていたゼッケン10号車スタリオン(M・リュー/中谷明彦組)が入り、その性能を周囲に知らしめる結果に。

決勝では、残念ながらゼッケン6号車ブロディ/高橋組スタリオンは、44週目にエンジンブローを期してリタイアとなってしまいます。

一方、ゼッケン10号車のリュー/中谷組は、序盤のタイヤトラブルから着実に追い上げを演じて総合4位。

ボルボ2台、BMW635CSiに次ぐ国産勢最上位でチェッカーを受け、その耐久性を立証しました。

スカイライン、セリカXXなど並みいる国産勢を抑えての快挙は、当時の三菱自動車がイメージリーダーであるスタリオンに対して、いかに力を注いで技術開発をしていたかが感じ取れます。

まとめ

出典:https://www.favcars.com/mitsubishi-starion-esi-r-us-spec-1986-89-wallpapers-291878.htm

三菱スタリオンがモータースポーツシーンに登場する頃、時を同じくして日本のバブル景気が到来。

三菱自動車は、メーカーのイメージリーダーであるスタリオンのラリーカーやレースカーの開発に、潤沢な資金を投入していきます。

そして世界ラリー選手権の戦略機種としてプロトタイプクラスに登場したスタリオンは、三菱パジェロのパーツを流用した50:50というトルク配分のセンターデフを持つフルタイム4WDシステムを採用するまでに成長。

直列4気筒シリウスダッシュエンジン2140ccのキャパシティから、350psを絞り出すグループB規定のターボマシンとして、ポルシェ、ルノー、アウディ等ヨーロッパの一流メーカー相手に奮闘します。

一方、国内では全日本ツーリングカー選手権に3年間に渡って参戦。

ターボパワーによる豪快なドリフトを決めるFR車として活躍し、1987年ハイランドツーリングカー300kmレースで総合優勝(高橋国光/中谷明彦組)を飾るなど、創生期のグループAを代表する1台として、現在でもモータースポーツファンに語り継がれる存在となっています。

そしてバブル景気が頂点に達する1990年、三菱自動車のFF大型セダン『ディアマンテ』が日本カーオブザイヤーを獲得。

三菱自動車が、軽自動車のミニカからミラージュ、ランサー、ギャラン、そしてディアマンテまで、FF車のラインナップを再編成したともいえるこの年、『スタリオン』は、その役目を終えたかの様に、ひっそりと生産を終了しました。

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