日本で初めてF1世界選手権のレースが開催された時のことを知っていますか?舞台は富士スピードウェイ、そのイベントの名は「F1世界選手権イン・ジャパン」。伝説の名ドライバー、そしてマシンが一同に来日した歴史的イベントでした。今回はちょっと当時にタイムスリップしてみましょう。

©︎富士スピードウェイ

 

ハントvsラウダ。激戦の1976年シーズン

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1976年のF1は、マクラーレンに移籍したジェームズ・ハントとフェラーリを駆る前年度チャンピオン ニキ・ラウダが火花を散らす激しいシーズンでした。

第9戦イギリスグランプリまではラウダが5勝でポイントランキングを独走。2勝のみのハントに大きな差を付けていたものの、ニュルブルクリンクでの第10戦ドイツグランプリで大きな事故に見舞われます。

ハントを猛追していたラウダが2周目、時速250km近いスピードで突如クラッシュ。マシンは炎に包まれ、ラウダは瀕死の大やけどを負ってしまうのです。

ラウダは一命を取り留めましたが、続く第11戦オーストラリア、第12戦オランダを欠場せざるを得なくなります。

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一方のハントはドイツ、オランダ、カナダ、アメリカと勝ち星を積み上げ、ラウダに3ポイント差の2位まで詰め寄り1976年の最終戦である「F1世界選手権イン・ジャパン」を迎えるのです。

 

待ち望む7万人の大観衆。しかし霧と大雨を前に中止の危機に

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決勝が行われた10月24日。舞台となる富士スピードウェイは濃い霧に覆われ、空からは大粒の雨が降りしきる最悪のコンディションでした。

当初13:30に予定されていたスタートは遅れ、コースチェックの末にドライバーズミーティングで「レースの中止」が真剣に協議されます。

このレースで優勝すれば逆転チャンピオンとなるハントは、当然の如くレースの実施を熱望します。対するラウダは中止を提言。

その後、天候回復の兆しが見えたことで、15:00のスタートが正式決定。雨に打たれる7万人の観衆が待ち望む中、レースは決行されたのです。

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予選でポールポジションを獲得していたのはロータスを駆るマリオ・アンドレッティ。同じ最前列にハントが並び、その後方にラウダが続くというスターティンググリッドでした。

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予選で区間最速を記録するも、最終コーナーで大クラッシュを演じたコジマ・フォードの長谷見昌弘も、徹夜で修復したマシンで10番手という好位置からスタートを切りました。

 

ハントがスタートダッシュ!ラウダは2周目にまさかの棄権

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やや遅れて15:09に一斉にスタートした各マシン。ロケットスタートを決めたのはハントでした。ただひとり水しぶきのないクリアな視界を生かし、後続を引き離しにかかります。

一方のラウダはスタートミスで10位に後退。そのはるか後方、19番手グリッドから見事なスタートを決めたのは前年型のティレルを駆る「日本一速い男」星野一義でした。

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地元の利と”恵みの雨”を生かして強豪を次々とパスし、ヘアピンではフェラーリのクレイ・レガッツォーニさえもかわし一気に5位に浮上します。

そしてトップグループが2周目に入った頃、フェラーリのピットで信じられない光景が目に飛び込んでくるのです。

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なんとラウダがピットに姿を現し、そのままレースを棄権してしまったのです。

誰もが唖然とする中、「死ぬのは一度だけで十分さ」という言葉を残し彼はサーキットを後にします。

チャンピオンのかかったレースをラウダが放棄する程、コース上は危険な状況だったのです。視界はほとんどゼロでグリップも無いコンディション。その後エマーソン・フィッティパルディもラウダと同じくこのレースを棄権しました。

 

ハントに襲いかかるライバルたち、星野も会心の走りを見せる

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レース前、ティレルのジョディー・シェクターから「安全に抜いてやるから合図しろ」と言われていたという星野は、10周目にそのシェクターをアウト側からぶち抜くという離れ業を披露。なんと3位にまで浮上します。

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それを上回るペースで猛然と追い上げていたのはマーチのヴィットニオ・ブランビラ。13周目に星野をパスすると、16周目にはアンドレッティも抜き去り2位に急浮上します。

その容姿から「モンツァ・ゴリラ」と呼ばれたイタリア人は、ハントより2〜4秒も速いラップで猛追劇を繰り広げ、21周目にはヘアピンでついにハントをロック・オンするも、並びかけたところでスピンし、大きく後退してしまうのです。

 

コンディション回復とともに、トップグループに波乱が訪れる

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徐々に路面が乾きはじめたレース中盤、スパートを続けてきた各車はレインタイヤの磨耗に苦しみ始めます。

星野も例外ではなく、ずるずるとペースを落とした後に限界を迎えピットイン。7周した後に再びピットに滑り込むも「スリックタイヤが準備されていなかった」ことにより無念のリタイアを喫します。

長谷見もタイヤで苦しんでいましたが、ピット後の26周目には1:18:23というファステストラップを記録!星野に負けじと激走を続けますが、やはりタイヤが持たず再度ピットインとなり、後方グループへと沈んで行ったのです。

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12番手グリッドから堅実に2位へと浮上し、マクラーレン1,2体制を築いていたヨッヘン・マスは36周目の300Rでクラッシュ。

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代わりに2位へと浮上し猛追を始めていたのは、6輪マシン・ティレルP34を駆るパトリック・ドュパイエでした。

20周目あたりからタイヤ温存の為にペースを落としていたアンドレッティも、47周目に3位へ復帰します。

50周を消化したトップグループは、ハント-ドュパイエ-アンドレッティの順となり、4位には堅実な走りでポジションを上げていたレガッツォーニの姿もありました。

 

レース終盤、独走のハントにトラブル発生

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ドュパイエは尚も1周2秒ずつ差を詰めるペースで激走していましたが、この時ハントのタイヤは限界に近づいており、急激にペースダウン。

62周目、ついにハントは後方2台に抜かれて3位に後退し、68周目にはピットインを余儀無くされ5位でコースに復帰します。

ハントがこのレースで5位以下になると、無条件でラウダのワールドチャンピオンが決定してしまうのです。

一方のドュパイエも同様にタイヤが限界を迎え、ハントよりやや速い64周目にピットイン。5位までポジションを下げるも残り3周で2番手に返り咲くのです。

その間、労せずしてトップの座を奪ったアンドレッティは、ピットには入らず順調に周回を重ねていきました。

 

ハントがニュータイヤで猛追。ゴール後に自分の順位を知らされる

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残すところ5周、ハントは前走車を誰とも分からず無我夢中の猛追を続けていました。

というよりも「チャンピオンを逃した」という悔しさと怒りに我を忘れ、100Rでマシンを真横にスライドさせるほど激しい走りをしていたのです。

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そして迎えた73周目、最後はアンドレッティが見事な作戦勝ちのトップチェッカーを受けます。

これは、ロータスにとっては久しぶりの勝利となったので、ボスであるコーリン・チャップマンも喜びの余りコースへと駆け出しました。

次いで2位には終盤に好走を見せたドュパイエが続きます。

自分の順位が分からずチェッカーを受けたハントは怒り狂ってマシンから降りると、「お前がチャンピオンだ!」というクルーの言葉でようやく自分が「3位に上がっていた」事実を知らされたのです。

彼はピットに入った後、4位を走るレガッツォーニと3位のアラン・ジョーンズを知らぬ間にパスしていたのでした。

©︎富士スピードウェイ

また日本勢は、サーティースからスポット参戦の高原敬武が堅実な走りで9位、長谷見は手負いのマシンで11位とそれぞれ完走を果たします。

そして、完走こそ果たせなかったものの、星野がこの日見せた走りは伝説として語り継がれることになりました。

 

3月12日、開業50周年記念イベント「富士ワンダーランドフェス」開催!

©︎富士スピードウェイ

日本初のF1レース開催をはじめ、様々なレースの舞台となった富士スピードウェイで記念イベント「富士ワンダーランドフェス」が開催されます。

この当時走っていたマシンも登場予定。さらにグループCかーやGC、ツーリングカーなども集まる、大注目のイベントとなります。

入場は無料。

滅多に見られない往年の名車たちが集うイベント、目が離せません!

 

まとめ

頻繁に事故を起こすことから一時は「ハント・ザ・シャント(壊し屋ハント)」というニックネームも付けられたジェームズ・ハント。F1デビューから3年目、29歳にして初のタイトル獲得となったのです。

正反対な性格から”永遠のライバル”とも言われていたハントとラウダの対決は、タフなレースの末に思わぬ形で決着を迎えました。

また星野・長谷見・高原らの好走も7万人の観衆の目に焼き付き、多くの人の記憶に今も刻まれています。

必ずドラマが生まれる、過酷な雨の富士スピードウェイ。再びこの地でF1が見られる日を望まずにはいられませんね。

 

参考文献:「日本の名レース100選 Vol.001 ’76 F1イン・ジャパン

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