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現在、アマチュアレーサーの登竜門として盛り上がりを見せている「富士チャンピオンレース」ですが、以前は「富士フレッシュマンレース」として開催されていました。今回はその富士フレッシュマンレースがどのようなものだったのかをご紹介致します。

出典:https://www.tsikot.com/forums/garage-150/initial-d-ae86-came-first-26425/
若手の登竜門といえるシリーズ戦
現在、富士スピードウェイにおいて開催されている富士チャンピオンレース。
この富士チャンピオンレースは、年間6戦で開催されており、アマチュアレースの登竜門となっています。
若手からベテランまで参加しているこのシリーズは、プロレーサーを目指す選手の第一歩といえるでしょう。
1967年から開催された富士チャンピオンレースは1970年に一度名を変え、1998年に再び復活!
もちろん富士チャンピオンレースとして復活を遂げるまでの18年間は空白だったわけではなく、「富士フレッシュマンレース」としてアマチュアレーサーの激しい戦いの場となっていました。
そんな富士フレッシュマンレースは、フレッシュマンと呼ぶに相応しくトップカテゴリーを目指す若手がベテランを相手に激しいレースを展開し、後に国内トップレーサーへと成長し活躍した選手が多く見られました。
今回は、この富士フレッシュマンレースとはどのようなものだったのか、そしてここから巣だち活躍した選手はどのような選手だったのかを当時の動画を交えてご紹介していきます。
激戦が繰り広げられたクラス紹介
富士フレッシュマンレースには多くのクラスが設けられていましたが、その中でも特に激戦が繰り広げられたクラスは以下のクラスでした。
TS1300クラス
TS1300クラスとは排気量1300cc以下のマイナーツーリング車両によってレースが行われたクラスです。
代表的な参加車両はA110型もしくはA310型のサニーで、当時主流だった日産のA型エンジンをフルチューンしたものが搭載されており、フルチューンされた1300cc・OHVエンジンは170馬力以上を誇ったといいます。
また、軽量だったサニーのボディーとの相性も良く軽快な走りを見せてくれました。
当時大衆車であったサニーは、その手頃な車両価格とチューニングがしやすかったことから、プライベーターや名門チューナーから注目され多くのエントラントが誕生しました。
現在でも大手チューナーであるTOMEIもこのTS1300シリーズから誕生したという経緯を持っています。
また、のちに活躍するレーシングドライバーたちもプライベーターとして参加しており、車両制作やセッティングのイロハを学びながら激しいレースを展開していたのです。
NA1600クラス
TS1300レースの後釜として1989年に新設されたNA1600クラスは、現在の富士チャンピオンレースでも開催されている長い歴史を持ったクラスです。
このクラスの特徴は、指定された1600cc以下のマシンにキャブレター装着が義務化されていることと、エンジンやボディーに大幅な改造が許されていることです。
主にトヨタAE86が多く見られ、フルチューンされたエンジン音と大きく張り出したオーバーフェンダーや前後のスポイラーなどが印象的なクラスとなっていました。
派手というより通が好む車両で争われたこのNA1600クラスは毎回激しいバトルが繰り広げられ、のちに活躍するドライバーやチューナーを育てる場となったのです。
エコが叫ばれる現代となっては時代を逆行しているようなクラスですが、「これぞレーシングカー」といえるその音や外見はレース好きの心をくすぐるのではないでしょうか。
車の速さを追及するエンジニアの「匠」とそれを操るドライバーの「匠」が合わさったNA1600クラスは、箱車最強ともいわれており「漢」のクラスといえるでしょう。
AE86クラス
その名が表している通り、トヨタの名車であるAE86によって行われるワンメイクレースがこのAE86クラスです。
4AG型のエンジンを搭載しているAE86ですが、AE111型に搭載されている5バルブのエンジンに換装が可能となっており、外装の軽量化も許可されています。
軽量でコンパクト、そしてFR(後輪駆動)だったAE86は、ドライビング技術を学ぶには最適な車両の一台とされており、のちに活躍する多くのドライバーがこのクラスに参戦し巣立っていきました。
発売より30年以上が経ってしまった現在では、現存する車両が減ってきておりプレミアもついてしまっていることから、車両価格が高いことが悩みの種ですが、いまだに根強い人気を誇っているのがAE86クラスなのです。
RX-7クラス

出典:http://www.y-yokohama.com/brand/tire/advan/
その名が表している通り、マツダのピュアスポーツカーであるRX-7によって行われていたワンメイクレースがこのRX-7クラスです。
初代RX-7であるSA22Cで争われたこのRX-7クラスは、ロータリーエンジンという特殊なエンジンで争われていたこともあり、数多くのチューナーやプライベーターの参加が見られました。
また、バランスよく仕上げられたこのSA22Cはドライビング技術を学ぶのに最適なマシンでもあり、多くの若手育成に貢献したのです。
富士フレッシュマンレースから羽ばたいた選手たち
富士フレッシュマンレースに参戦していたドライバーから、全日本のトップカテゴリーで活躍した選手は沢山います。今回はその中から6名に絞ってご紹介したいと思います。
和田孝夫

出典:http://www.jloc-net.com/index.html
日本を代表するほぼすべてのレースにおいてレギュラー出場を果たした和田孝夫氏は、富士フレッシュマンレースTS1300クラスが原点となっています。
当初プライベーターとしてTS1300に参戦していた和田氏は、プライベーターゆえのトラブルなどで苦労したようですが、その活躍が日産の目に留まり日産のワークスドライバーとして戦うこととなるのです。
当時、日本の最高峰クラスとされていた全日本F3000選手権やGC(グランチャンピオンレース)などでチャンピオン争いを展開するも敗れてしまうなど残念な場面もありましたが、1986年には鈴木亜久里氏とコンビを組んで参戦した全日本ツーリングカー選手権(グループA)でシリーズチャンピオンを獲得するなど、日本を代表する一人として活躍した選手のひとりであり、富士フレッシュマンレース出身選手として大成功を納めた選手の一人ともいえるでしょう。
土屋圭市

©TOYOTA
「ドリフトキング」と呼ばれている土屋圭市氏は、1984年の富士フレッシュマンレースのAE86クラスでシリーズ全勝という無敵の強さを誇り、全日本ツーリングカー選手権などの上位カテゴリーへステップアップしていきました。
アドバンカラーのAE86を横に向けながら超高速コースの富士スピードウェイを走る姿は、見る者の度肝を抜き「ドリフトキング」という愛称で親しまれる存在となったのです。
富士フレッシュマンレース出身の土屋圭市氏のその後の活躍はこちらをご覧下さい。
ドリフトを日本中に広めた男。ドリキンこと土屋圭市氏が乗ったレーシングカー6選
織戸学

出典:https://supergt.net/
現在でもGT300のランボルギーニに乗り現役で大活躍している織戸学選手は、富士フレッシュマンレースのNA1600クラスに参戦しており、その経験が上位カテゴリーへのステップアップの足掛かりとなっています。
激戦区であったNA1600クラスに参戦していた織戸選手は、若さや経験の浅さから他の選手に揉まれ苦労をしたそうですが、その苦労が実り1992年に激戦のNA1600クラスでチャンピオンを獲得!
その後、全日本GT選手権やスーパーGTに参戦し日本の最高峰であるGT500で優勝を飾る活躍を見せたり、アメリカのメジャーレースであるNASCARにも参戦するなど、その活躍は国内だけに留まる事を知りません。
アマチュアレーサーの祭典である富士フレッシュマンレースから羽ばたいた織戸選手の今後の活躍に期待したいですね。
竹内浩典

出典:https://supergt.net/pages
全日本GT選手権でシリーズチャンピオンを獲得し、スーパー耐久では6度ものシリーズチャンピオンを獲得した竹内浩典氏は、1989年のAE86クラスでもシリーズチャンピオンを獲得しています。
竹内氏は、このAE86クラスでチャンピオンを獲得後、様々なマシンに乗りレースに参戦していますが、その戦績が物語っているようにどんなマシンでも乗りこなしてしまう器用さを見せていました。
フォーミュラーに近いといわれ、もはや箱車とはいいがたくなっている現代のGTマシンと比較して、箱車らしさの残ったスーパー耐久などの車両で大活躍を見せた竹内氏は、日本を代表する箱車使いといえるのではないでしょうか。
木下みつひろ

出典:https://m.facebook.com/profile.php?id=100009245338369&fref=ts
2003年にGT300クラスでチャンピオンを獲得した木下みつひろ氏は、1990年のNA1600クラスでシリーズチャンピオンを獲得しています。
雑誌などで車のメカニズムについてコラムを執筆している木下氏は、車両セッティングなどに優れた能力を持っており、現在ではサスペンションやタイヤの開発などに携わり活躍中!
その優れた感覚は、超激戦だったこのNA1600クラスで鍛えられたといっても過言ではないでしょう。
山路慎一

出典:https://m.facebook.com/profile.php?id=402624413274036
競技長を務めるなどなにかと富士スピードウェイにゆかりがあった山路慎一氏は、1990年のRX-7クラスでシリーズチャンピオンを獲得しています。
富士フレッシュマンレースにはプライベーターとして参戦していいましたが、資金をすべて自身で賄っていたため非常に苦労したそうです。
普通ならあきらめてしまうような過酷な環境の中、その強い精神力で逆境を跳ね除け見事にシリーズチャンピオンを獲得した山路氏は、それを足掛かりに上位カテゴリーへステップアップしていきました。
2001年にはGT500クラスで初優勝を飾るなど、富士フレッシュマンレース出身を代表とする選手となったのです。
1998年に富士スピードウェイにて行われた全日本GT選手権においては、クラッシュして炎上したマシンから選手を救出したこともあり、富士スピードウェイと山路氏は何かの縁で結ばれていると思えることが多くありました。
残念ながら病のためこの世を去ってしまいましたが、今も山路氏は富士スピードウェイを見守っているのではないでしょうか。
まとめ
富士フレッシュマンレースを振り替えってみましたが、いかがでしたか?
現在では、レーシングカート出身のドライバーが主流となってきていますが、一昔前はこうしたアマチュアレーサーが参戦する箱車レースが盛り上がりを見せていたことをお分かりいただけたのではないかと思います。
レースに対するアプローチは人それぞれですが、やはりそこでチャンピオンを獲得する選手は別格なのかもしれません。
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