日産復活を印象付け、歴代最高の販売台数を記録し、モータースポーツにも引っ張りだこだったS13型シルビアとは一体どんな車だったのでしょうか?

 

Photo by Antti

 

 

S13型以前~右往左往するコンセプト

 

出典:https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=41

 

初代シルビアは1965年にSP310型フェアレディの兄弟車として誕生しましたが、あくまでもデザイン優先の豪華なクーペとして誕生した経緯や時代背景もあり、わずかな台数を販売したのみで姿を消しました。

 

出典:https://www.favcars.com/nissan-silvia-s10-1975-79-photos-37683

 

その後1975年に再び登場し、「New Silvia」の名でデビューしました。

その中身はB210型サニーと共通となっており、そのうえ段階的に強化されていく排気ガス規制真っ只中だったこともあって動力性能的に秀でた部分も少なかった為、後年にはマニアックな車扱いされるような独特なスタイリングだったことも含めて決して評価の高い車ではありませんでした。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%93%E3%82%A2#/media/File:Nissan_Silvia_S110.jpg

 

そして1979年にS110型にモデルチェンジするとアメリカ的なスタイリングと豪華な装備が受けヒットしますが、1984年にS12型にモデルチェンジすると中身の進化とは裏腹に日本国内での人気は低迷。

更に1987年、日産は国内メーカーの中で唯一赤字を記録し、商品計画の立て直しを急務としたのでした。

出典:https://nissan-heritage-collection.com/DETAIL/index.php?id=271

 

起死回生の一手 901活動

 

その頃日産の開発部隊は「90年代にシャシ性能世界一を目指す」というスローガンを掲げた901活動と呼ばれる社内改革を行っていました。

その一環として1960年代中盤からスポーツ系FR車の足回りとして踏襲されてきた「フロント:ストラット、リア:セミトレ―リングアーム」というサスペンション形式を見直し、ジオメトリー(タイヤの動く軌跡)の設定が比較的自由になるマルチリンク方式を研究しており、これが良いものになりそうだという手ごたえを得たのです。

更にストラット方式に於いても従来の物より攻め込んだ設計をし、コーナリング中の対地キャンバー角の変化をより抑えた設計がなされるなど新たな試みがなされていました。

そんな中、開発されていたのがS13型シルビアだったのですが、開発初期にはブルーバードなどのコンポーネンツを流用したFFにする案もあったものの、低いボディラインの実現のためにFFではボンネット高を低くすることが出来ないという理由から従来通りのFR方式で行くことに決定。

これが後に、シルビアの運命を決める選択になるとは誰も想像してはいなかったと思います。

そして肝心のスタイリング面でも、初代を思い起こさせるような流麗なラインと、徐々に流行しつつあった丸みを帯びた女性的なボディとなりました。

内装も日産車特有の雑然とした印象のデザインを一新して滑らかな面構成のインパネと、モノフォルムバケットシートと呼ばれる体を包み込むようなデザインのシートを採用し、これまでのイメージを払拭するデザインとなったのです。

こうして1988年5月に発表されたのが、S13型シルビアでした。

 

出典:http://www.nissan.co.jp/GALLERY/HQ/INFORMATION/INFO-EVENT/?id=431

 

使命は「プレリュードの市場を奪え!」

 

 

「ART FORCE SILVIA」とキャッチコピーを掲げ、華々しくデビューを果たしたS13型シルビアはCA18DET(1800ccターボ)のK’s、CA18DE(1800ccノンターボ)のQ’s、同エンジンの廉価版J’sという構成となっていました。

グレード名をそれぞれトランプの「キング」「クイーン」「ジャック」から取っており、従来の体育会系丸出しのグレード名から脱却!

オシャレなイメージを前面に打ち出したのでした。

この大きな変化の理由はライバル車にあります。

 

 

この頃大人気だったのがホンダのプレリュードでした。

デートカーとして大学生から20代後半の男女に人気があり、日産以外にトヨタもこの牙城を切り崩そうとセリカやコロナクーペをぶつけてみたものの、なかなか切り崩せずにいたのですが、発表会の席で日産の当時の社長であった久米豊氏が名指しで「ホンダ・プレリュードの市場を戴く!」と宣言。

報道陣がどよめくという一幕もありましたが、一新されたスタイリングが功を奏し、結果、プレリュード一強のスペシャリティーカー市場を席捲!一躍人気車種となったのでした。

同年7月にはK’sのAT車をベースにしたコンバーチブルを追加。

当時需要が増えつつあったオープン仕様を用意し、こちらも人気を博しました。

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:S13_SILVIA_CONVERTIBLE.JPG

 

更に、その年の通産省(現・経済産業省)選定のグッドデザイン賞の大賞を受賞。

’88-’89の日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞するなど、同年にデビューしたY31型シーマと並び、日産復活を印象付ける1台となりました。

翌年1989年には北米輸出仕様の外装を持つ3ドアハッチバックの兄弟車、180SXを追加。

1991年1月のマイナーチェンジではエンジンを従来のCA18DET及びCA18DEから新開発のアルミブロックエンジンSR20DET(2000ccターボ)及びSR20DE(2000ccノンターボ)へ変更、同時にシルビア購入者の多くを占めていた若い女性ユーザーからの要望が多かった事から、助手席側にしかなかったサンバイザー内臓のバニティミラーを運転席側にも追加するなど、装備の充実化を図ったのでした。

そうして人気を維持したまま1993年10月、S13型からS14型へとモデルチェンジし、モデルライフが終了となりました。

 

レースの世界でも人気車種に

 

S13型シルビアがデビューした当時は、モータースポーツにも熱い視線が注がれていた時期でもありました。

富士スピードウェイではフレッシュマンと呼ばれる、グループN相当のチューニングが許された下級カテゴリーにもシルビアクラスが設定されます。

そして、その後鈴鹿、西日本(後のMINE、現マツダ美祢試験場)などにもシルビア・180SXクラスが設定されるなど、モータースポーツ入門車としての役目も与えられるようになりました。

また、富士スピードウェイでのレースでは、さらに4連スロットルなどチューニング度合いを上げたカテゴリーも設定されるなど、更に盛り上がりを見せることになります。

そして1993年より開始された全日本GT選手権レース(後の全日本GT選手権、現SUPER GT)にも参戦。

主にJUNやトラストなどのチューナー系プライベートチームから参加するケースが数多く見られました。

こうしてモータースポーツ入門車として、そして市販車改造型レーシングカーとしての役目も果たしていくこととなったのです。

 

©Motorz

 

アンダーグラウンド・ヒーロー

 

その一方で主に峠族と呼ばれた人たちにも、比較的軽量でパワフルなターボエンジンを積んだ車という面が評価され、ホンダのEF系シビック・CR-Xと並ぶ走り屋マシンとしての面を見せ始めます。

そして、土屋圭市氏がブームの火付け役となり90年代初頭より盛り上がってきたVIDEO OPTION主催の「いかす走り屋チーム天国(いか天)」やCAR BOY誌が主催する「ドリコンGP」などのドリフトコンテストへ出場するベース車として、S13シルビアは注目を集め始めたのです。

 

 

その理由は、単純なドリフト走行をするにはリア駆動の車の方が扱いやすく、中でもフロントエンジン・リア駆動という形式が一番安定しているのですが、90年代初頭というのは2000cc以下の小型FR車というと1987年に生産が終了したAE86型トヨタ・カローラ・レビン/スプリンター・トレノが最後になっており、S13型シルビアはまさにそこに合致したのでした。

しかも901活動の成果で「コントローラブルで扱いやすく、ドリフト時の安定性が高い」という特性を持っていた事もシルビア人気の一因となったのです。

また、多数売れた事により、ナンバー付きのボディは数多く出回っている一方で、ほとんどがノンターボの4速AT車だったS13型シルビアもターボ付き5速MTに載せ替えられた「Q’s改K’s」が多く生まれたのですが、当時は法改正前で「改造 即ち 違法」というご時世だったので当然ながら大っぴらに走り回ることが出来ず、主に夜の峠道や埠頭などでしかその姿を見ることが出来ませんでした。

しかし、1995年11月に行われた法改正により「車検証に記載されたエンジン形式に変わりなければ過給機追加、並びにエンジンスワップ可」「車体と路面のクリアランスが90mm以上あり、バネが遊ばなければ車高調整式に変更しても可」「その他申請が必要な改造事項も手続きの簡略化」という夢のような規制緩和を受け、更にS13人気は加速。

サーキット走行などを行わない層もそんなシルビアを真似る形で「走り屋仕様」というドレスアップジャンルが出来上がるほどの人気となりました。

近年では映画「ワイルドスピード」に端を発するスポコン(スポーツ・コンパクト)ブーム以降のドレスアップトレンドとして、アメリカで日本仕様に近づける「JDM(ジャパン・ドメスティック・マーケット)仕様」というジャンルも生まれ、日本仕様であるシルビア顔にコンバートする手法も流行しています。

Photo by Alexander Tat

 

まとめ

 

時代の後押しを受け、シルビア史上最も売れたS13型シルビア。

しかし走り屋やドリフターに人気があった事により著しく数を減らし、今では改造車すら目にすることも少なくなりました。

そして、ノーマル車両は貴重な存在として扱われ、程度の良い車両にはプレミア価格が付くほどに!

その後のシルビアは、良くも悪くもS13の影響下から抜け出せず、2002年にS15型が生産終了以降絶版車となってしまっていますが、昨今復活の噂も絶えません。

今再びS13のような車を出すのは難しいかもしれませんが、是非、実現させて欲しいと願わずに居られません。

 

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