1997年より「国さん」の愛称で知られる日本レース界のレジェンド高橋国光氏率いる「チ-ム国光」とタッグを組み、JGTC(全日本GT選手権)から現在のSUPER GTまでホンダワークスの一員として全国のサーキットを転戦しているレイブリック。今回はそんなレイブリックの軌跡を振り返りたいと思います。

 

出典:http://www.teamkunimitsu.net/download.html

 

 

RAYBRIG NSXデビュー戦

 

Photo by Yamato.

 

1992年、まだ高橋国光氏が現役のレーシングドライバーだった頃にチーム国光は設立されました。

設立当初はポルシェで参戦していましたが、1996年からホンダNSXでJGTCへの参戦を開始。

NSXで参戦して2年目にはレイブリックとタッグを組み、現在も続投されているコンビネーションでレース活動をスタートしたのです。

このシーズンの成績は第5戦と第6戦の菅生で見事に2位表彰台を獲得し、ホンダワークスとして速さを見せつけました。

 

レジェンドドライバー高橋国光氏現役ドライバー引退

 

出典:http://supergt.net/archive/classic/supergt.net/jgtc/ex/gtc_cham/2000/cha00_7/007qrep.htm

 

1999年、18歳から41年間2輪/4輪レースで駆け抜けて来たレジェンドドライバーが現役引退を表明しました。

この年の高橋国光氏の相棒は飯田章氏。

もちろん、操るのはレイブリック NSXでした。

このシーズンの開幕戦は鈴鹿サーキットで、レース結果はリタイア。

しかし、第2戦富士スピードウェイでは2位以下に圧倒的な差を付けて優勝を飾っています。

そして第6戦TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)では予選2位の好ポジションから決勝レースをスタートし、5位入賞でレースを終えました。

この1999年シーズンを持って、今もなお日本中のレースファンから愛される高橋国光氏は引退。

レース後に行われた引退セレモニーでは、沢山のファンやレース関係者に惜しまれながらも熱い声援が送られました。

 

新生チ-ム国光

 

©鈴鹿サーキット

 

2000年シーズンよりチーム国光は新生チーム国光として再出発します。

昨シーズンまでチームオーナー兼ドライバーだった高橋国光氏が監督に就任する事に。

そして、レギュレーションの変更に伴ってマシンとカラーリングも一新。

現在も見るレイブリックカラーのマシンとなりました。

そして、ドライバー陣から高橋国光氏が抜ける事により、服部直樹氏を起用します。

このシ-ズンのレイブリックはNSX全車に新型のトランスミッションが投入された事もあり、シ-ズンを通して好調でした。

 

意匠変更、そして全日本GT選手権ラストイヤー

 

 

2002年シーズンのレイブリックNSXは、意匠変更を行いました。

それまでは市販NSXのリトラクタブルヘッドライトをベースに、レース用ヘッドランプに改造したものを使用していましたが、このシーズンからは空力やボディデザインに合わせたヘッドランプ形状へと変更しています。

また、2004年シーズンは全日本GT選手権のラストイヤーで、ドライバーにアメリカ帰りの中野信治氏を招き、レイブリックNSXとして全日本GT選手権ラストイヤーを走り抜けました。

 

SUPER GT開幕!!

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E3%81%AESUPER_GT

 

2005年シーズンよりSUPER GTとしてのレースシリーズがスタートしました。

チーム国光率いるレイブリックNSXも、新レギュレーションに合わせてマシンを作り上げています。

開幕初年度はチーム国光初の外国人ドライバーコンビを起用。

開幕戦岡山、第3戦セパン(マレーシア)、第4戦菅生とポイント圏内でレースを終える活躍をし、存在感をアピールしました。

このシーズンでは、途中でエンジンをスイッチ。

それまで使用されていたターボエンジンからNAエンジンへと変更されました。

それにり、第5戦茂木では予選から好調!

NSXが予選1-2-3と独占する形となり、決勝レースに期待が高まります。

そして決勝レースは多くの人が予想した通り、NSXが活躍し、レイブリックNSXはトップでチェッカー!

レイブリックNSXとしては、1999年シーズン以来の優勝を勝ち取りました。

 

レイブリックNSX引退!!

 

出典:https://supergt.net/pages

 

2009年シーズンは、NSXラストイヤーとなりました。

NSXの生産終了と新型マシンの開発などの理由により、惜しまれながらこの年を持って引退したのです。

ラストイヤーでは、昨シ-ズンに続いて井出有治と細川慎弥というドライバーコンビで参戦。

NSXは有終の美を飾ったのです。

 

HSV-010投入

 

出典:http://www.honda.co.jp/SuperGT/race2010/rd01/report/

 

2010年シーズンよりチーム国光は、ホンダワークスの一員としてHSV-010へマシンをチェンジ。

HSV-010は本来であれば、次期NSXとして市販化されるはずだったモデルでした。

しかし、不景気の影響で市販化を断念。

同時に本田技研工業社内で開発されていたレーシングマシンだけが残ったのです。

SUPER GTの本来のレギュレーションであればホモロゲーションを取得していないマシンはレースに使用できません。

しかし、参戦するマシンがない(旧NSXでは勝てない)事情をGTAが救済処置として考慮。

HSV-010の使用許可が下りたのです。

そして、レイブリックHS-Vとしての初年度は開幕戦で3位表彰台を獲得した他、シ-ズンを通して活躍。

最終的に、ドライバーズランキング8位でシーズンを終えています。

 

NSX CONCEPT-GT

 

出典:http://acuraconnected.com/2014/04/07/gallery-nsx-concept-gt-debuts-in-super-gt-round-1/

 

2014年シーズンからは、昨シーズンまで使用していたHSV-010からNSX CONCEPT-GTへマシンをチェンジ。

次期NSXモデルをベースとしたGTマシンとしてデビューを果たしています。

また、このシーズンのSUPER GTでは、車両レギュレーションが大きく変わりました。

GT500クラスレギュレーションとして、DTMドイツツーリングカー選手権と車両レギュレーションを統一。

その事も影響しマシンチェンジに至ったのです。

このレギュレーション変更は日本を代表とするレースであるSUPER GTが、より世界的なレースとなる事を目的としての変更でした。

そして、開幕前にはSUPER GTがDTMと同じくスプリントレースに変更されるという噂も流れました。

しかし、最終的に日本の耐久レースブームを考慮し、レースそのものの形式変更は行われていません。

 

2017年シ-ズン

 

©Chika Sakikawa

 

そして今シ-ズン。

シ-ズンも折り返し地点に来ていますが、ホンダワークスの一員としてレイブリックは活躍を見せています。

残り2戦となった2017シーズンでは、どんなレースを見せてくれるのか?レイブリックNSX-GTに注目です。

 

まとめ

 

いかがでしたか?

JGTCの時代から、高橋国光氏率いるチーム国光とレブリックは共に歩んで来ました。

そして、時代の流れによりマシンも進化しています。

レイブリックの今後の活躍にも注目してみてくださいね。

 

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