それまでの国産車の常識を覆し、「車体やエンジンが小さくても中が広くてよく走れば、それでいい」と大ヒットになった革命的コンパクトカー、ダイハツ シャレード。しかし初代による革命はまだその序曲で、2代目シャレードはまた次々とユーザーをアッと言わせ続けたのです。

 

Photo by RL GNZLZ

 

 

もっと広くて猫科のロックンローラー、2代シャレードG11型

 

Photo by Alden Jewell

 

1983年1月、傑作コンパクトカーとしてカー・オブ・ザーイヤーも受賞したダイハツ G10型初代シャレードは、初めてのモデルチェンジを迎え、2代目G11型へと進化します。

その進化でシャレードは人々をアッと驚かすのですが、その前にパッケージングを見ていきましょう。

初代の基本的コンセプトであった、「最小のメカニズムで車室に最小のスペース効率を実現した5平米カー」という点はさらに徹底され、丸いマリンウィンドウがチャームポイントだったクーペ(3ドアハッチバッククーペ)は廃止されました。

そして全高を高めて車室内の室内高をよりゆったりとさせ、クーペの代わりに斜め後方の視界を改善、リアハッチの傾斜を立たせた3ドアハッチバックと、その5ドアハッチバック版、そして歴代唯一の3ドアバンが設定されたのです。

基本となる1リッター3気筒SOHCガソリンエンジンは小改良を受けたのみでほぼ変わらず、初代以来の「グロス55~60馬力程度ながら、8kgm前後の最大トルクをわずか2,800~3,200で発揮する優れた実用エンジン」での軽快な走りは健在。

特筆すべきはミッションで、このG11型から採用された5速ミッションは最後のシャレードとなる4代目G200系まで使われたのはもちろん、その後のストーリアや初代ブーン / トヨタ パッソ、1998年10月に登場した新規格軽自動車にも改良を加えて使い続けられました。

それは、2017年現在のコペンシリーズやミラのMT車にもその末裔が使われており、旧規格軽自動車を除けば実に30年以上もダイハツFF車(とそれをベースにした4WD車)に使われ続ける、息の長いマニュアルミッションとなっています。

 

マーチ、カルタス、ジャスティといったライバルの登場

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%94%A3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81

 

もちろん、初代シャレードの独走を他メーカーが許すはずも無く、リッターカーだけでも数社が参入しました。

手始めに1982年、マッチこと近藤真彦をCMに起用し「街にマーチがやってきた」と戦いを挑んできたのが日産 K10型初代マーチ。

続けて2代目シャレードから数ヶ月遅れてデビューしたスズキ 初代カルタスと、翌年にはFF化された2代目レックスのワイド版、スバルが珍しく開発した直列3気筒エンジンを搭載したジャスティが登場します。

これらライバルは、それぞれ各メーカーらしい特徴を持っていました。

【2代目シャレード、そのライバルの特徴】

・日産 K10初代マーチ:平凡のようで非凡な実用性の高さを誇るベーシックモデルと過激な競技用 / スポーツ用モデルの2本立て。

・スズキ 初代カルタス:GMグループの低価格世界戦略車としてヘタな軽自動車より安いリッターカー。スズキらしく高回転型DOHC1.3リッターエンジンのGTiも設定。

・スバル ジャスティ:派手なホットモデルこそ持たなかったものの、スバルらしく四輪独立懸架(四輪ストラット)で4WDが当初から充実し、後に日本初のCVT(ECVT)車も追加。

 

ふるえるぞハート!燃え尽きるほどヒート!!刻むぞ3気筒のビート!ダイハツ色のRock’n ディーゼルッ!

 

出典:https://www.youtube.com/watch?v=fQ_Svsa_Kic

 

これら個性的なライバルに対し、2代目G11型シャレードもまことにダイハツらしい飛び道具で応え、まずモデルチェンジと同時に設定されたのが1リッター直列3気筒ディーゼルエンジン「CL」でした。

そもそもエンジンメーカーとして出発したダイハツはディーゼルエンジンも得意としており、小排気量自動車用は初めてとはいえ、産業用や鉄道用ならお手の物。

そこでCB系ガソリンエンジンのディーゼル版と言えるCL系が開発されましたが、元より振動が多い3気筒エンジンにディーゼルノックが加わりバランサーシャフトではとても抑えられない振動が発生する代物となったのです。

しかし、奇抜なキャッチコピーがまた人々を驚かせるとともに、「ダイハツ流」の旗を高々とはためかせます。

“凄いビートだぜ、Rock’n ディーゼル”

これはノイズじゃない!れっきとしたロックンロール・サウンドであり、熱いダイハツ魂が刻むビートなのだッ!

もちろん可能な限り静粛性など実用性を高める努力はなされていましたが、最後にモノを言ったのは「これはロックだから問題無い」と言わんばかりの強引なコピーでした。

なお、ロックンディーゼルことCL系にはNA(自然吸気)のほかにターボもあり、後者は1リッターガソリン並の馬力とそれを上回るトルク、優れた燃費性能を発揮。

当時の金が無い若者でも、安い軽油でガラガラカラカラ言いながら果てしなく遠くまで旅に出かけられるシャレード・ディーゼルは本当に重宝されました。

【2代目G11型シャレードのディーゼルエンジン】

※馬力とトルクはグロス値、燃費は当時標準の60km/h定地走行燃費

・共通

排気量:993cc

圧縮比:21.5

・CL10(1983年1月デビュー時より設定)

仕様:水冷4サイクル直列3気筒SOHCディーゼル

最高出力:38馬力 / 4,800rpm

最大トルク:6.3kgm / 3,500rpm

・CL50(1984年8月追加)

仕様:水冷4サイクル直列3気筒SOHCディーゼルターボ

最高出力:50馬力 / 4,800rpm

最大トルク:9.3kgm / 2,900rpm

 

「猫科のターボ」で猫まっしぐら!

 

出典:https://www.youtube.com/watch?v=fQ_Svsa_Kic

 

デビュー年の1983年9月には、ベーシックモデルやディーゼルモデルに8か月遅れで1リッターガソリンターボ車が追加されました。

そして、ライバルに先んじてターボ化によるホットハッチ化を実現したのです。

それは、まだ軽自動車(当時は550ccの旧々規格時代)にもターボ車が少ない時代で、ミラターボ(L55型)より1ヶ月早い、ダイハツとしても初のターボ車となりました。

小型タービンで低回転からブーストのかかる瞬発力あるターボエンジンで、それでいて出力、トルクともに当時のトヨタ スターレット(3代目P70系)のベーシックグレード用エンジン、1.3リッターの2E-LU並を発揮したので、遅いはずもありません。

このエンジンを搭載したシャレード・ターボは「猫科のターボ」というキャッチコピーで売り出され、リッターカーの世界にもパワー競争をもたらしたのです。

ダイハツ G11 シャレードターボ 3ドア 1983年式

※馬力とトルクはグロス値

全長×全幅×全高(mm):3,550×1,550×1,435

ホイールベース(mm):2,320

車両重量(kg):685

エンジン仕様・型式:CB50 直列3気筒SOHC6バルブターボ

総排気量(cc):993cc

最高出力:80ps/5,500rpm

最大トルク:12.0kgm/3,500rpm

トランスミッション:5MT

駆動方式:FF

 

「売れなければ全部買い取る!」DRSのタンカが生んだ世界最小グループB、926ターボ

 

Photo by Tadahiko Hyodo

 

シャレードターボには致命的な欠点がありました。

当時のモータースポーツにおけるターボ係数(ターボエンジンをNAエンジンなら何ccに当たるかと計算するための掛け算)は1.4で、993cc×1.4=1390.2ccとなるシャレードターボは1,301~1,600ccのクラスに編入され、1,600cc級のパワーがあるわけでも無いのに1クラス上のマシンと戦わざるをえなかったのです。

1,300cc未満のクラスで戦うためには排気量を下げる必要がありますが、市販車としての商品力低下が心配される上に、競技用に限定生産するとしても、グループAマシンは連続する12ヶ月間に5,000台を生産しなくてはいけないというレギュレーションがあり、とても売りさばける見込みはありませんでした。

それならばと、同じ期間で200台生産すればよく、改造規制もグループAより緩いとモータースポーツ参戦車両としては比較的規制の緩いグループB版シャレードが、ダイハツワークスのDRS(※現存せず)から企画されます。

しかしこれもダイハツ上層部から「5,000台が200台だろうと売れるわけが無い」と猛反対を受け頓挫しかけますが、最終的にはDRSの寺尾慶弘監督が「売れなかったらウチで全部買い取る!」とタンカを切ってようやく生産が決まりました。

こうして世界最小のグループBマシン、G26型シャレード926ターボは1984年10月に発売され、予想に反して限定200台はまたたく間に完売する人気となりました。

そして、本気で全車買い取るつもりだったDRSの分が無くなり、寺尾監督が焦るほどの騒動になります。

 

Photo by Tadahiko Hyodo

 

下記にスペックを一応記載しますが、これはあくまで「カタログスペック」であり、当時の自動車雑誌のレビューを見ると「カタログではありえないことが起きる」様が連発しており、スポーツランドSUGOで当時のスカイラインRSに匹敵するタイムを出したという噂も。

バルブタイミングの高回転セッティングやバルブスプリング強化、点火系のフルトラ化などで実際にはカタログスペック以上の実力を持ち、「これに追いかけられる大排気量車は、たまったものではない。」とまで言われていました。

ダイハツ G26 シャレード926ターボ 1984年式

全長×全幅×全高(mm):3,550×1,550×1,400

ホイールベース(mm):2,320

車両重量(kg):690

エンジン仕様・型式:CE 直列3気筒SOHC6バルブターボ

総排気量(cc):926cc

最高出力:76ps/5,500rpm

最大トルク:11.0kgm/3,500rpm

トランスミッション:5MT

駆動方式:FF

 

ついに実現したシャレード・デ・トマソ ターボ

 

出典:https://www.youtube.com/watch?v=fQ_Svsa_Kic

 

スーパーカーメーカーとして知られたイタリアのデ・トマソとダイハツは、1970年代から提携関係にありました。

デ・トマソ傘下のイノチェンティが作っていたBMC ミニ(旧ミニ)の近代的3ドアハッチバック版、イノチェンティ ミニにシャレード用CB系エンジンが搭載されるようになると、その返礼としてデ・トマソチューン版シャレードが作られます。

それが1981年の東京モーターショーに登場した初代シャレード・デ・トマソターボでしたが、市販化は2代目G11型を待たねばいけませんでした。

後にL70VミラTR-XXからL500系ミラ・TR-XXアヴァンツァート系まで踏襲され、東京オートサロン2016のスポーティ系展示車両に施されて話題となった、赤黒ツートンカラーの起源こそがこのG11型シャレード・デ・トマソです。

古くからのファンにとってダイハツのボーイズレーサーといえばこのカラーリング、デ・トマソブランドこそ青春というほどでしたが、もちろん通常のシャレードターボからの変更点はそれだけではありません。

エンジンこそ同じですが、サスペンションはデ・トマソ専用にローダウンされ、バンパーやテールゲートスポイラー、フロントグリルなど外装も専用品。

足元はゴールドの14インチカンパニョーロ・マグネシウムホイールが奢られ、とてもではありませんがリッターカーのスペシャルバージョンとしても過ぎた出来だったと言えます。

そしてボディサイドに入った「DETOMASO」の文字は、たとえデ・トマソ パンテーラが横に並んでも堂々とした雰囲気を醸し出していました。

 

出典:https://www.youtube.com/watch?v=fQ_Svsa_Kic

 

なお、後期型には600台限定で「白いデ・トマソ」シャレード・デ・トマソ・ビアンカも販売され、カンパニョーロ・マグホイールもシルバーだったほか、内装の天井にはイタリア地図がプリントされたオシャレな仕様となっています。

ダイハツ G11 シャレード デ・トマソ・ターボ 1984年式

※馬力とトルクはグロス値

全長×全幅×全高(mm):3,600×1,575×1,390

ホイールベース(mm):2,320

車両重量(kg):690

エンジン仕様・型式:CB50 直列3気筒SOHC6バルブターボ

総排気量(cc):993cc

最高出力:80ps/5,500rpm

最大トルク:12.0kgm/3,500rpm

トランスミッション:5MT

駆動方式:FF

 

夢か本気か?幻のミッドシップ、和製5ターボ「デ・トマソ926R」

 

出典:http://storia-x4.com/X4-history2.htm

 

究極のシャレードと言えるグループBカーの926ターボと、スーパーカーブランドのボーイズレーサー、デ・トマソターボ。

この2つを掛け合せたようなマシンが突如として1985年の東京モーターショーに登場し、話題をさらいました。

G26シャレード926ターボをベースにCEエンジンをDOHC化しましたが、その搭載位置はなんと前席の後ろ、つまりリアミッドシップで、後輪駆動

FFハッチバック車のミッドシップスポーツ化は既にルノー5ターボという前例がありましたが、もちろん日本車では初。

しかも全身にまとったアグレッシブなエアロやリア最後尾で格子状に開かれたエンジン排熱や冷却用の開口部など、ヘッドライトやルーフ部分にG11型シャレードの原型を留めるのみの「本気仕様」でした。

実際にイタリアで走行する映像も紹介され、完成度のの高さから「まさかこれでダイハツは本気でWRCのグループBに挑むのか。」との噂もありましたが、この時点でモータースポーツ活動を担うダイハツワークス、DRSは全くのノータッチ。

その名からもデ・トマソによるカスタマイズデモンストレーション、あるいはヨーロッパディーラーによる依頼で製作したとも言われましたが、真相は定かではありません。

ダイハツ G26 シャレード926R (1985年第26回東京モーターショー参考出品車)

※馬力とトルクはグロス値

全長×全幅×全高(mm):3,850×1,640×1,360

ホイールベース(mm):2,320

車両重量(kg):非公表

エンジン仕様・型式:CE(改?) 直列3気筒DOHC12バルブターボ

総排気量(cc):926cc

最高出力:120ps/非公表

最大トルク:非公表

トランスミッション:5MT

駆動方式:MR

 

G11 / G26シャレード、モータースポーツでの活躍

プジョーが来ると「シャレードに似てる」と言われたサファリでの活躍

 

出典:http://storia-x4.com/X4-history2.htm

 

2代目シャレードの代表的なモータースポーツでの活躍といえば、シャレード926ターボによる活躍と言いたいところですが、意外にも同車がグループBマシンとして戦ったのは1985年サファリでの1台のみでした。

もちろんこの時はグループB・クラス5(1,300cc以下)でクラス優勝 / 総合12位という成績を残していますが、同時にグループA・クラス2(1,301~1,600cc)でもクラス優勝 / 総合13位(ほかに完走しクラス2位も1台)と遜色無い成績を残しています。

現実問題として小排気量クラスは参加台数自体が少ないので最低でもクラス上位入賞は当たり前でしたが、そもそも走行距離5,000kmを超える当時のサファリはコンパクトカーで完走自体が困難であり、この1985年もランチアやアウディが全滅した中で5台中3台も完走させた「快挙」には違いありません。

このように、シャレードによるモータースポーツ活動は必然的に「総合順位」よりも「耐久性の証明」を主眼としており、「ロックンディーゼル」も海を渡りサファリの地を駆けています。

もちろんNAのディーゼルではさすがに鈍足過ぎてタイムアウト、完走扱いとならずディーゼルターボでどうにか完走というレベルでした。

そこで、「タイムアウトまでの時間を伸ばすよう主催者に掛け合うべき。」と進言するスタッフに対し、「ダメでもいいじゃない、それが競技っていうもんなんだから、自分に規則を合わせようってほうがみっともないよ。」とDRS寺尾監督は笑い飛ばしたそうです。

しかし、その地道な活動が後に、3代目シャレードで1993年サファリの奇跡を産むことになります。

グループBに参戦を開始した、プジョー205T16を見た現地のギャラリーがこう言ったのです。

「あれ、シャレードに似たマシン(プジョー205T16)が来た。」

総合優勝を争う天下御免のトップカテゴリーマシンより親しまれたシャレード、それだけでもサファリに渡った甲斐がありました。

 

国内モータースポーツでの意外な活躍、GA2シティに食らいつけ!

 

出典:http://storia-x4.com/X4-history2.htm

 

一方、国内モータースポーツでは全日本ラリーで926ターボに有利なクラスは無く、1,600cc以下のBクラスで戦う事を余儀なくされたので、シャレードターボ、同デ・トマソターボともに、あまり活躍はできませんでした。

そうなると気を吐いたのは日産 K10初代マーチが主なライバルとなった1,000cc以下のAクラスで、1983年から1986年までベーシックグレードが参戦した23戦中12勝を上げる大健闘!

それでは926ターボの出番が無いかと言えば、意外なところにありました。

それがジムカーナで、1,300cc以下のA1クラスでスズキ カルタスやトヨタ スターレットが名車ホンダ GA2シティに駆逐されて後、シャレードを使うレギュラードライバーはさすがにいなかったものの、スポット参戦で上位に食い込める当時唯一のマシン(その後もオートザム AZ-1くらい)だったのです。

シャレード926ターボの全日本ジムカーナ最上位は2位と、名車GA2を相手に互角の戦いができた数少ないマシンとして記録されています。

 

まとめ

 

日本のコンパクトカーに、あるいは日本車の車づくりに大きな影響を与えた初代シャレードは確かに革命的でしたが、「歴代シャレードで、初期のコンセプトを守りつつもっとも個性的と言えたのは?」といえば2代目G11型です。

リッターカー初のホットハッチ、スーパーカーメーカーにチューンさせたデ・トマソ、世界最小のグループBカー、独創的なリッターディーゼルでしかも欠点を逆手に取ったキャッチコピー、つまりある意味ハッタリで成功。

同時期に登場したミラTR-XXも含め、「ダイハツの熱さをリアルタイムに実感できる青春時代を送ったカーマニア」にとって、ダイハツを見る目は他の世代と大きく異なるかもしれない、それくらい2代目G11ダイハツ シャレードは熱く輝いていました。

単なるトヨタ傘下の低価格実用車メーカーと見られがちなダイハツのこうした一面を知ってしまい、マイノリティなダイハツファンになってしまった人が、あなたの周りにもいるかもしれません。

 

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