ダットサン 110 / 210や初代ブルーバード(P310系)でトヨペット コロナを圧倒していた日産ですが、2代目ブルーバード(P410系)ではピニンファリーナ・デザインの尻下がりボディが大不評。後にビッグマイナーチェンジを敢行して修正するも、コロナに逆転を許してしまいます。その一方で、サファリラリーでは最悪の条件下で結果を残し、『ラリーのブル』という名声が高まる最初のモデルとなりました。
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デザインの失策でコロナに逆転を許した2代目ブルーバード(ダットサンP410 / P411)
初代ブルーバードは未だダットサン 210以前のトラック共用ラダーフレームを使った旧態依然なメカニズムではありましたが、低床フレームとセミモコックボディを組み合わせた軽量化や、ごく初期のセミAT『サキソマット』でイージードライブに挑戦した意欲作でした。
そのため前作ダットサン 210に引き続き小型タクシー業界で好評だったほか、個人ユーザー需要にも対応して大衆車としても成功。
日本初の女性向けグレード『ファンシーデラックス』の設定などで勢いをつけ、ライバルのトヨペット コロナに販売台数で圧勝します。
その勢いを駆り、ブルーバード初のモデルチェンジで1963年9月に登場した2代目P410系では、ピニンファリーナがデザインした丸目4灯ヘッドライトの斬新なイタリアンルックスが話題となり、日産は大ヒット間違い無しと自信を持って発売。
しかしテールの『尻下がりデザイン』がユーザーからは大不評で、発売当初はともかく次第に販売台数はテールと同じく尻下がりのラインを刻むようになっていきました。
重厚さ、スピード感を欲したユーザーに対し、流麗で美しく艶かしいデザインは完全に『外した』と言えるものだったのです。
また、翌1964年9月に発売された3代目トヨペット コロナが『アローライン』と称する直線的デザインで、好評を得る事に。
結果的にユーザーの心をつかんだ3代目コロナがブルーバードの市場を奪い去り、1965年1月、販売台数でコロナに初敗北した2代目ブルーバードは次第にコロナに太刀打ちできなくなり、やがて2度と販売台数クラストップへ浮上できなくなりました。
その後1966年4月のビッグマイナーチェンジで『尻下がり』のテールデザインは修正されたものの、販売台数クラストップへの返り咲きという根本的な解決は『スーパーソニックライン』を持つ次世代P510型を待たねばなりません。
なお、2代目410の失策でブルーバードはBC戦争に敗北し、以後コロナの天下になったというイメージがありますが、実際には510(3代目)や610(4代目 / ブルーバードU)、910(6代目)でもコロナに勝っていた時期があり、BC戦争は激化しながら続いていくことになります。
中身はモノコックボディや新エンジンで刷新、『SS』や『SSS』も登場!
デザインではとんでも無いオウンゴールを決めてしまった2代目ブルーバードでしたが、中身の方も意欲的で、こちらはユーザーからも受け入れられるものでした。
・日産初のフルモノコック構造でラダーフレームを廃し、大型化による重量増加を抑制。
・ボディタイプは4ドアセダンと5ドアワゴンのほか、後に2ドアセダンと5ドアバンを追加。
・当初のエンジンラインナップは1リッターのC型と1.2リッターのE1型2種類。
・後にC型やE1型は廃止され、1.3リッターのJ13型や1.6リッターのR型(後のH16型)を追加。E1からJ13へ基本エンジンを変更したのがP411型。
・発電機をダイナモ(直流発電機)からオルタネーター(交流発電機)へ変更して電源安定。
・原始的なオートクラッチ式3速セミAT『サキソマット』を引き続き設定、ボルグワーナー式3速ATも追加。
・1.2 / 1.3リッターの『SS(スポーツセダン)』と1.6リッターの『SSS(スーパースポーツセダン)』、2種のスポーツセダンを追加。
310系は基本的には同種のフレームでダットサントラックやスポーツカーのフェアレディ、シルビア(初代)を生みましたが、さすがに初代からモノコックを採用していたコロナに比べて構造的には古く、ここでようやくフルモノコック化されたことになります。
そして特筆すべきはエンジンにSUツインキャブを装着した1200SS(E1・65馬力)や1300SS(J13・72馬力)、1600SSS(R型・90馬力)といったハイパフォーマンスなスポーツセダンを設定してレースやラリーでの活躍を宣伝し、スポーツイメージを高めた事でした。
完走台数88台中わずか9台!過酷なサバイバルラリーを戦い抜いた411ブル!
2代目ブルーバード(P410 / 411)でもっとも派手なモータースポーツの舞台は、アフリカで開催され、後に大幅短縮されるものの当時は5,000kmもの長距離、それも劣悪な道路状況下で完走しなければいけない高速サバイバルイベント、サファリラリーでした。
サファリラリーは耐久性を証明するにはうってつけのイベントだったため、後に日本車も多数参戦するようになるこのラリーへ日産は1963年から参戦しており、以下の成績を残しています。
1964年:P410ブルーバード1200が5台参戦、全てリタイヤ
1965年:P410ブルーバード1200SSが3台参戦、全てリタイヤ
1966年:P411ブルーバード1300SSが4台参戦、2台完走し総合5・6位、クラス1-2フィニッシュ
中でも過酷だったのは1966年の『第14回東アフリカ・サファリラリー』で、豪雨により泥濘と化した道無き道との戦いを強いられるという超ヘビーウェットコンディション。
まだハイパワー4WDなど無い時代だったので、ノソノソ走っても泥の海に沈むかコースアウトしてクラッシュするかで88台の参加車は次々と脱落していき、完走したのはたった9台という文字通りのカーブレイクラリーでした。
そんな地獄のような状況でP411ブルーバード1300SSは2台が完走を遂げます。
それもビリでは無く総合5・6位、クラス1-2フィニッシュという立派な成績を残し、後のP510ブルーバードSSSが大活躍し『ラリーのブル』の異名を取るようになる最初の活躍を示したのです。
なお、このラリーの様子を実録した『栄光への5,000キロ』(著:日産実験部長・笠原 剛三)は、後の510ブル時代(1969年)に石原 裕次郎主演で映画化されています。
また、P410/411ブルーバードはラリーだけでなく、国際的なツーリングカーレースにも投入されました。
こちらはマカオグランプリを走るブルーバードで、国際レースでは他にもバサースト500マイルレース(1966年)などに参戦しています。
もちろん当時盛んにレースが行われるようになっていた日本でもP410 / 411ブルーバードはレースに参戦。
1964年の第2回日本グランプリではT-IVクラスの大半がブルーバードという状態で、もちろん勝者はブルーバードの田中 健二郎。
翌年以降、第3回、第4回日本グランプリにも参戦しますが、スカイラインGTと同じツーリングカークラスとあっては二線級戦力というのも致し方無いところで、目立った戦績は残せていません。
主なスペックと中古車相場
日産 P411 ブルーバード 1300SS 1965年式
全長×全幅×全高(mm):3,995×1,490×1,440
ホイールベース(mm):2,380
車両重量(kg):915
エンジン仕様・型式:J13 水冷直列4気筒OHV8バルブ SUツインキャブ
総排気量(cc):1,299
最高出力:53kw(72ps)/6,000rpm
最大トルク:100N・m(10.2kgm)/3,600rpm
トランスミッション:3速MT
駆動方式:FR
中古車相場:48万~100万円
まとめ
デザイン上の問題とライバルのモデルチェンジの成功で苦境に立たされた2代目P410/411ブルーバードですが、『SS』や『SSS』の登場でモータースポーツでの巻き返しに成功し、次世代510ブルーバードによるBC戦争での再逆転に繋げます。
モータースポーツで大きな成績を残せば宣伝面でも優位に立ち、しかも国際的ビッグイベントのサファリラリーで耐えて耐えて耐え抜いた末の完走とクラス優勝により、耐久性を証明して見せたのは天晴れでした。
中古車市場ではやはり過去のイメージを引きずり、310や510など文句のつけようがない歴史的車種ほど高値がつけられてはいませんが、それゆえオールド・ブルとしては手頃な価格で狙い目かもしれません。
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