かつて日産が大衆車ブランド『ダットサン』を日本国内でも使用していた頃、1台の小型大衆車がデビューしました。ダットサン110 / 210に対抗した初代トヨペット コロナに対し、さらに対抗するように現れたその名はブルーバード。それは後に『BC戦争』と呼ばれる日産とトヨタの激しい販売合戦が、幕を開けた瞬間でした。
初代日産ブルーバード(310型)とは?
第2次世界大戦後の自動車産業復興期、軍需から民需に戻った日産自動車は、トラックや戦前型ダットサンのシャシーを使った小型乗用車、DA型やDB型を細々と作っていました。
そして次の一手として海外技術の導入を決め、イギリスのオースチン社と提携して日産オースチン A40サマーセットの生産を始めます。
さらに1955年からはA50ケンブリッジへモデルチェンジして、引き続き部品を輸入してのノックダウン生産から完全国産化への移行に取り組みつつ、戦前型乗用車を一新するダットサン 110を同年1月に発売しました。
そのエンジンは戦前型の860ccサイドバルブしており、無事量産体制に乗ったところで、1957年7月にトヨタが初代トヨペット コロナを発売。
これが1,000ccまで拡大された小型タクシーの需要にピタリマッチする987ccエンジンを搭載していたので、日産も110のエンジンを換装。
A50ケンブリッジ用の1,489ccエンジンをショートストローク化した、988ccOHVエンジンC型を開発して搭載します。
これが1957年10月発売のダットサン210で、国際ラリー参戦や海外輸出、フェアレディの前身であるダットサン スポーツ1000のベースとなるなど戦後日産初期の傑作となりましたが、コロナや日野ルノー 4CVを駆逐すべくさらなる新型車の開発をすすめていったのです。
それが1959年8月に発売されたダットサン310、初代ブルーバードでした。
310ブルーバードの特徴
ごく短い独立トランクを持つ2.5BOXスタイルとでも言うべきダットサン 210に対し、310ブルーバードは全長50mm、ホイールベースを60mm延長して本格的な独立トランクを持つ完全3BOXの4ドアセダン、あるいは広いラゲッジを持つステーションワゴンでした。
フロントマスクこそ210のイメージを残していましたが、2トーンカラーの採用など(当時の日本車としては)スマートで斬新なデザインを採用。
エンジンは210と同じ988ccのC1型を継続して搭載したほか、ロングストローク化で1,189ccに拡大したE1型を搭載した『1200デラックス』をラインナップに加え、1960年10月のマイナーチェンジでは両エンジンとも出力を向上。
ボディはまだトラック(ダットサントラック320)と共用するラダーフレームの時代でしたが、低床フレームとセミモノコックボディを組み合わせて210より大きくなったにも関わらず軽量化に成功します。
そんな細かな改良はデビュー直後から続き、発売2か月後にはタクシー業界からの要望で後席の幅を40mm拡大して3人掛け(5人乗り)化。
ミッションも1960年のマイナーチェンジ時に日本で初めてのフルシンクロ化され、1962年4月には西ドイツのザックス社製真空機械式自動クラッチ『サキソマット』を採用したセミオートマ(2ペダルMT)を搭載するなど、当時の先進的なメカニズムをふんだんに盛り込みます。
なお、『サキソマット』は遠心力とエンジン吸入管に生じる真空圧力(負圧)を利用して、シフトレバーを操作するか、停車時に低回転域まで落ちれば自動でクラッチを切るものです。
マツダ R360クーペやコニー グッピーが既に採用していた岡村製作所製のトルクコンバーター式オートマチック・ミッションよりも効率に優れている上に燃費が良く、エンジンブレーキもしっかり効くのが特徴で、後にコニー 360などでも使われました。
なお、310ブルーバードといえばよく話題になるのが『日本初の女性仕様車、ファンシーデラックス』で、まだ女性向けの車とはどういうものなのか試行錯誤されていた時代に36点もの女性向け専用装備を搭載。
カーテンやハイヒール立て、傘立てなど女性に限らず便利そうな装備や、化粧直しに便利なバニティミラーつきサンバイザーなど、後に快適装備の定番化した装備もあり、ウィンカー作動時のオルゴールなどは、現在の音を変えられる電子ウィンカーの先駆けかもしれません。
サファリラリーにも参戦
まだレースを開催できる舗装されたサーキットなど無い時代(鈴鹿サーキットのオープンは310ブルーバード末期の1962年9月)に、性能をアピールすべき現場は海外、それもラリー競技でした。
これは、まだ東京オリンピック前で、キチンと定期的な整備を受けた舗装路が少ないことや、その荒れた路面で痛めつけられるタクシー需要が乗用車のメインだったことを考えれば、妥当な選択です。
そして、210ではオーストリアの国際ラリーに参加して完走を果たしましたが、310ブルーバードは1963年、何とアフリカまで出かけてサファリラリーに参戦。
初参戦な上に国際的な認知度も低かったダットサン(日産)での出場だったので、契約してくれる1流ドライバーや現地事情に詳しいベテラン地元ドライバーなどは皆無のためやむをえず、210に続き実験部の社員ドライバーだった難波 靖治などが、オーストラリアも参戦します。
後に追浜ワークスでラリーチーム監督となる難波はこの年で引退する身のベテランでしたが、初参戦のサファリの壁は厚く、この年は残念ながら参戦した2台ともリタイヤとなりました。
ちなみに、後にサファリラリーで大活躍するブルーバードが頭角を現すのは、次期型の410からとなります。
主要スペックと中古車相場
日産 P311 ブルーバード 1200デラックス 1966年式
全長×全幅×全高(mm):3,910×1,496×1,475
ホイールベース(mm):2,280
車両重量(kg):900
エンジン仕様・型式:E1 水冷直列4気筒OHV8バルブ
総排気量(cc):1,189
最高出力:40kw(55ps)/4,800rpm
最大トルク:86N・m(8.8kgm)/3,600rpm
トランスミッション:3MT
駆動方式:FR
中古車相場:100万~124万円(各型含む)
まとめ
ダットサン 210で当時の小型車市場を制し、310ブルーバードでも圧倒的な差をつけた1950年代後半から1960年代前半は、日産にとって『ブルーバードならトヨタを寄せ付けない』という勢いがありました。
それに奮起したトヨタが2代目コロナの途中から積極的な改良を行い、3代目コロナと2代目ブルーバードが血で血を洗うような激しい販売合戦『BC戦争』を繰り広げることになります。
その直前、盤石だった時代の初代ブルーバードは、歴代の中ではモータースポーツでの華々しい活躍にはまだ無縁の時期でしたが、本来の大衆車としてはもっとも幸福な時代だったかもしれません。
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