第2次世界大戦後の日本の自動車産業は、戦後の混乱を乗り越えて1950年代からその復興期を迎えますが、その中で早くもスポーツカーを復活させようという動きがありました。そしてタクシー用途が主ながら何とか乗用車を作れるようになった頃、それは1台のオープンスポーツに結実していき、後のフェアレディ、そして現在まで続くフェアレディZへとつながっていきます。
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戦後初のスポーツカー、ダットサン・スポーツDC-3
1952年、サンフランシスコ平和条約が4月に発効され、ようやく第2次世界大戦で戦った多くの国との戦争状態が解決し、日本がその主権を回復したこの年、自動車産業も復興期を迎えようとしていました。
とはいえ、この頃のマトモな国産乗用車といえばトヨペット SF、プリンス・セダン、そしてダットサン DB-4とオオタPA / PBくらいなもので、あとは三菱がカイザー・ヘンリーJのノックダウン生産をしていたくらいです。
そんな時期にスポーツカーのような贅沢品作ろうなんて夢のまた夢。
当時は自動車需要のほとんどはタクシーかトラックという時代で、生産された国産車の多くがトラックシャシーに乗用車ボディを架装したという構造。
そんな状況なので「どうしてもスポーツカーを作りたい!」となれば、トラック共用の乗用車シャシーでなんとかこしらえるしかありません。
1952年1月に発売されたダットサン・スポーツDC-3とは要するにそんな車でした。
当時の主流なタクシーの1台として活躍していた『ダットサン DB-4』のシャシーに、MG TDミジェット風のボディを載せた4シーターオープンで、エンジンもダットサン DB-4の860ccサイドバルブ直4を搭載。
シャシーもエンジンも戦前に開発されたもので、それにイギリス製スポーツカー風ボディを何とか載せるも、MG-TDより173mm短い全長と238mm短いホイールベースでは今ひとつ締まらず、今の視点で見ると後のパイクカーに近い感覚です。
とはいえこれが戦後日本初のスポーツカーであり、その生産台数はたったの50台に留まりはしましたが、発売にこぎつけただけでも見上げたものでした。
ダットサン・スポーツDC-3のスペックと中古車相場
日産 DC-3 ダットサン・スポーツDC-3 1952年式
全長×全幅×全高(mm):3,510×1,360×1,450
ホイールベース(mm):2,150
車両重量(kg):750
エンジン仕様・型式:D10 水冷直列4気筒SV8バルブ
総排気量(cc):860
最高出力:15kw(20ps)/3,600rpm
最大トルク:48N・m(4.9kgm)/2,000rpm
トランスミッション:3MT
駆動方式:FR
中古車相場:皆無
FRPボディの実験的スポーツ、ダットサン・スポーツ1000
1957年11月1日、日本橋三越デバートの屋上で開催された『ダットサン展示会』で、同年10月に発売されたばかりのダットサン 211(210系セダン)のシャシーを使った、新型ダットサン・スポーツが公開されました。
この展示は話題が話題を呼んで多くの観客が押し寄せ、本来3日間限りだった展示会を一週間に延長する大好評イベントとなったのです。
それだけ皆スポーツカーに飢えていた!というより、運転免許を持っていない人も多かった時代なので、滅多に見る事の出来ない珍しいもの見たさだったかもしれません。
翌1958年10月には、その歴史上で1度だけ後楽園競輪場インフィールドで開催された第5回全日本自動車ショウ(東京モーターショーの前身)で生産型を発表。
そして1959年6月から翌年まで生産された20台は、そのほとんどが右ハンドルのままアメリカに送られたようです。
また、211のシャシーを使ったとはいえ、エンジンは最初のプロトタイプがDC-3や110系セダンと同じ860ccサイドバルブ、生産型は211セダンと同じ988ccOHVを搭載。
プロトタイプで25馬力、生産型で34馬力と強力とは言えないエンジンでしたが、FRPボディで車重は211より115kgも軽く、最高時速はプロトタイプの85km/hから生産型で115m/hへと大幅に引き上げられています。
ちなみに、ほとんどがアメリカでテスト販売に供されたとはいえ国内で販売されなかったわけではなく、1959年の発売時の価格は79万5,000円で、同年デビューの初代ブルーバード1000の76万9,000円とあまり差がありません。
現在の貨幣価値に換算すれば、ブルーバード1000が約337万円に対し、ダットサン・スポーツ1000は約349万円というイメージです。
ダットサン スポーツ1000のスペックと中古車相場
日産 S211 ダットサン・スポーツ1000 1960年式
全長×全幅×全高(mm):3,985×1,455×1,350
ホイールベース(mm):2,200
車両重量(kg):810
エンジン仕様・型式:C1 水冷直列4気筒OHV8バルブ
総排気量(cc):988
最高出力:25kw(34ps)/4,400rpm
最大トルク:65N・m(6.6kgm)/2,400rpm
トランスミッション:4MT
駆動方式:FR
中古車相場:皆無
初の『フェアレディ』、ダットサン・フェアレデー1200
S211ダットサン・スポーツ1000の生産期間がわずか7か月ほどで20台しか作らなかったのには理由があります。
それが1960年1月に発表された大本命のダットサン・フェアレデー1200です。
今度は鋼板製のボディで890kgと、80kgほど重量は増加したものの、ブルーバード1200用のE1エンジンを搭載。
初期型では48馬力(ブルーバード1200は43馬力)、同年10月の改良で60馬力(同55馬力)となり、先代のS211ダットサン・スポーツより約77%ものパワーアップを果たして、カタログ値で最高時速は132km/hまで向上しました!
また、SPL212 / 213の型式にある『L』が示すように全て左ハンドル車で、先代に引き続き北米でマーケット・リサーチ的に販売されますが、国内でも同仕様のまま、わずかながらも販売されたと言われています。
ちなみに車名の由来になったのが、当時アメリカで大流行していたミュージカルの『マイ・フェア・レディ』で、北米を意識しているのがよく分かるかと思います。
このS211 / SPL212 / SPL213までがダットサン210セダン系のシャシーを使った実験的なスポーツカーで、次期型ではいよいよブルーバードと同じ310系シャシーを使用するように。
そしてその名は『フェアレデー』から『フェアレディ』に変更され、いずれもその末尾に『Z』がつくようになるのでした。
ダットサン・フェアレデー1200のスペックと中古車相場
日産 SPL213 ダットサン・フェアレデー1200 1961年式
全長×全幅×全高(mm):4,025×1,475×1,380
ホイールベース(mm):2,220
車両重量(kg):890
エンジン仕様・型式:E1 水冷直列4気筒OHV8バルブ ツーバレルキャブレター
総排気量(cc):1,189
最高出力:44kw(60ps)/4,800rpm
最大トルク:91N・m(9.3gm)/3,600rpm
トランスミッション:4MT
駆動方式:FR
中古車相場:皆無
まとめ
まだホンダ・スポーツもトヨタ スポーツ800も無い時代に、いち早くスポーツカーの実験的な生産とマーケット・リサーチを意欲的に行っていたのが日産でした。
DC-3からフェアレデー1200までの販売台数は少ないものの、市場の動向を見るには十分だったようで、それを存分に生かし、日本の自動車メーカーとしては初めて、北米で好評を得るスポーツカーの輸出に成功しました。
今回の話は、現在アメリカで”Zcar”(ズィーカー)の愛称で親しまれるほどになったフェアレディZへ至るまでの前説、歌で言えばイントロに当たる程度の話です。
イントロが終わりフェアレディ(英語で”淑女”の意味)が高らかに歌い出す話は、また別な機会にしたいと思います。
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