戦後日本自動車界が復活した時、真っ先にスポーツカーを送り出した日産。その主要市場と定めた北米で1969年、ヨーロッパのライバルにも負けない性能を安価で提供する、革命的なスポーツカーが登場しました。その名はZ、フェアレディZ。伝説の始まった瞬間でした。
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一歩ずつスポーツカーの実績を積み上げた「ダットサン」
1969年にデビューしたフェアレディZを理解するには、まず1952年(昭和27年)までさかのぼらなければいけません。
第2次世界大戦で敗北した日本が自動車産業の復興を許された時、まず必要だったのはトラック、そしてそれをベースにした商用車や乗用車でした。
しかし、その中で戦前からの名門「ダットサン」ブランドを擁する日産は、ダットサン・スポーツ DC-3というスポーツカーを発売しました。
戦前と代わり映えしないボディをトラックシャシーに架装し、貧弱な860ccサイドバルブエンジンを載せていたDC-3はお世辞にも優れたスポーツカーとは言えませんでしたが、これが戦後日本初のスポーツカーとなりました。
その後近代ヨーロピアン調のオープンスポーツカーへとデザインを変え復活、以下のように進化していきました。
1959年 S211 ダットサン・スポーツ1000
1960年 SPL212 / 213 ダットサン・フェアレデー1200
1961年 SP310 / SPL310 フェアレディ1500
1965年 SP311 / SPL311 フェアレディ1600
1967年 SR311 / SRL311 フェアレディ2000
S211以降は段階的に北米に輸出、パワーアップされ最後のSR311では最高速、加速性能ともに日本でもトップクラスに達しました。
しかし、トラックシャシーにツインキャブなどでチューンしたエンジンを載せる手法はSR311の限界を超えて「ジャジャ馬」と呼ばれたほどで、日産が近代的なスポーツカーを作るには、もう一皮むける必要があったのです。
仕掛け人「ミスターK」、北米で立つ
それなりに好評だったフェアレディですが、どうしてもボディ形状とエンジンだけヨーロッパ風に仕立てただけの模倣品に過ぎないことを、日産も承知していました。
既にSRL311で限界を超えていたフェアレディを発展的に解消させ、北米の需要に見合った高性能スポーツカーを、「ダットサン」ブランドのイメージリーダーとして開発して欲しい。
そう働きかけたのは、後に「Z-car(ズィーカー)の父」「ミスターK」と呼ばれることになる、当時の米国日産社長、故 片山 豊 氏でした。
その要望を踏まえた新型スポーツカーは、以下のようにまとまりました。
厳しくなる一方の安全基準を満たしつつ、軽量のモノコックボディ
ジャガーEタイプのようなロングノーズ・ショートデッキの美しいスタイル
シンプルで手荒に取り扱っても壊れない信頼性と高性能を両立したメカニズム
実用性が高くて手堅く堅牢、排気量アップでモアパワーに応えられるL型直6エンジン
四輪独立懸架による、スポーツカーとしての高い走行性能
スーパーで買いだめするアメリカ人向けに十分な荷室を持つ実用性
これさえあれば、北米市場でユーザーのハートを一気につかむことができるかもしれない。
ただ、当時のスポーツカーがフェアレディ以外はトヨタ 2000GTのようなスーパーカー、ホンダSシリーズなど小型車しか成立していない日本では難題でした。
しかし、片山氏の執念とも言える働きかけもあり、日産の開発陣はその課題を少しずつ克服していったのです。
ある時、アメリカのとある街を走っていたテストカーが、現地の警察に止められました。
スピード違反か…しかし警官は仕事も忘れ、興奮してまくしたてます。
「何だこの車は?!どこの何て車だ?いつ発売するんだ?出たら絶対に買うよ!」
片山氏のマーケティングは完璧だったのです。
1969年にS30フェアレディZが発売されるやいなや、安価で高性能、美しいスタイルで実用性も兼ね備えた完璧なスポーツカーとして爆発的大ヒットを記録します。
「ダットサン・Zカー」略して「ダッツン・ズィー」は北米のカーマニアにとって、永遠に忘れられることの無い名車になりました。
日本でも人気でしたが、S30フェアレディZは米国日産のプロデュースによりアメリカ人のために作られ、その要望に完璧に応えた車だったのです。
バリエーションは数種類、人気はGノーズ装備の240ZG!
S30フェアレディZには、いくつかのバリエーションがありました。
まず基本形は2人乗り。
海外仕様は2.4リッターSOHC直6のL24エンジン搭載型(ダットサン240Z)。
日本仕様は2リッターSOHC直6のL20エンジン搭載型(フェアレディZ)と、その豪華仕様(フェアレディZ-L)。
日本仕様のみ、スカイラインGT-Rと同じ2リッターDOHC直6のS20エンジン搭載型(フェアレディZ432およびレース用のZ432R)があり、後に240Zも追加されました。
1974年には全長とホイールベースを延長した4人乗り(フェアレディZ 2by 2)も追加。
輸出仕様に関しては、後に排ガス規制の影響でパワーダウンする分を補うため、2.6リッターのL26(260Z)、2.8リッターのL28(280Z)へと排気量を拡大しています。
日本で特に人気があったのは、1971~1973年まで販売されていた240Zおよび、フロントグリルに流線型のカバーをかぶせる「Gノーズ」を装着した240ZGでした。
レースやラリーなどモータースポーツでの活躍
待望の「国際的に通用するスポーツカー」として登場したS30フェアレディZは、モータースポーツにも積極的に投入され、「ダッツン・ズィー」の評価を高めていきました。
S30時代のレースは国内が中心
国内レースでは主に240Zが活躍、鈴鹿や富士のレースで幾度と無く優勝を飾っています。
特にS30のレースで名を上げたのは「Zの柳田」と言われた柳田 春人選手で、雨のレースを特に得意としたことから「雨の柳田」とも言われ、S30フェアレディZの活躍では必ず名前の出る1人です。
ちなみに息子の柳田 真孝選手もレーサーで、ハセミ・モータースポーツからSUPER GTに参戦、Z33フェアレディZで2003年にGT300のシリーズチャンピオンを取った頃は、「二代目Zの柳田」「二代目Z使い」とも呼ばれ、親子2代にわたりフェアレディZで活躍しました。
サファリーなどで大暴れ
国際モータースポーツでは、当時日産が得意としていたラリーフィールドに240Zを投入。
5,000kmにおよぶ過酷な長距離ラリーだった当時のサファリラリーで、名車ダットサン510ブルーバードの後を継いで早々の1971年と、1973年にも総合優勝の栄冠を得ています。
当時のサファリでは1.6リッターのブルーバードにハンディを与えるべく高速ステージを増やしていましたが、日産はそれを覆すため大排気量の240Zを投入したのが図にあたり、ライバルをぶっちぎりました。
これは同時に、S30フェアレディZが安価で高性能なだけでなく、信頼性の面でも極めて優れたスポーツカーであることの証明となり、その名声を一層高める事になったのです。
その後はチューニングベースとしても活躍
主なモータースポーツでの活躍は、1970年代で終えたS30フェアレディZでしたが、同時期流行り始めたL型のターボチューンやメカチューンのベース車としても活躍を続けました。
L型チューンで代表的だったのはL28改3.1リッターツインターボなどで、実在したチューニングカーをベースに主人公マシン「悪魔のZ」として登場した漫画「湾岸ミッドナイト」など、現実でも架空でも「伝説のマシン」として語り継がれる存在になっています。
もちろんRB26DETTなど最新エンジンスワップの対象になることもありましたが、S30に一番よく似合ったのは、やはりL型エンジンではないでしょうか。
S30フェアレディZ 代表的なスペック
日産 HS30H フェアレディ240ZG 1972年式
全長×全幅×全高(mm):4,305×1,690×1,285
ホイールベース(mm):2,305
車両重量(kg):1,010
エンジン仕様・型式:L24 水冷直列6気筒SOHC2バルブ
総排気量(cc):2,393
最高出力:150ps/5,600rpm
最大トルク:21.0kgm/4,800rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:FR中古車相場:328~1,080万円
まとめ
あまりの大人気から伝説的存在となったS30型フェアレディZは、その後熱狂的な「Zカー」ファンも生みました。
1996年に北米でZ32が販売中止になった時には、北米日産が新旧パーツを寄せ集めた再生版「ビンテージZ」を販売。
1999年にはZ復活を願う全米オーナーズクラブのバックアップで、240SX(S14シルビア)をベースにした北米オリジナル「240Zコンセプト」が北米国際オートショーに展示される事態にまで発展しました。
そうしたZファンの中に、1人のブラジル生まれの男が含まれています。
ミシュラン北米CEO(最高経営責任者)時代にZ32フェアレディZを愛車にしていた彼の名は、カルロス・ゴーン。
経営危機に陥っていた日産へCOO(最高執行責任者)としてルノーから送り込まれ、瞬く間に再生した男です。
彼の肝入りで2002年、新生日産のイメージリーダーとして復活し、デビューしたZ33フェアレディZは、近代的ながらS30フェアレディZを彷彿とさせる姿でした。
ミスターK・故 片山 豊 氏による情熱の結晶が、数十年の時を経て日産を救いZを蘇らせた、そう考えると、S30フェアレディZが自動車界の歴史で果たした役割は、決して小さくないと思いませんか?
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