若きレジェンド”ケーシー・ストーナー”を知っていますか?22歳という若さでMotoGPを、世界を制した驚異のライダー。ドリフトのようにリアをスライドさせるアグレッシブなライディングスタイルで多くのファンを魅了。そして突然の引退。今回は話題に事欠かない彼の魅力に迫ります!
経歴から現在まで、一気に振り返ります!
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ケーシー・ストーナー:プロフィール
名前:ケーシー・ストーナー(Casey Joel Stoner)
初めてのレースは4歳の時に参加したゴールドコーストでのダートトラックレース。
6歳で最初のオーストラリアMotoGPクラスタイトルを獲得し、そこから彼の輝かしいレースキャリアをスタートさせます。
2001年シリーズの第8戦イギリスGPにワイルドカードでロードレース世界選手権250ccクラスにデビューし、2002年から年間参戦を開始します。
そして、2006年からMotoGPクラスへの挑戦を始め、2年目の2007年に初タイトル獲得という驚異の成績を残し、ライダーとして絶頂期であった2012年を最後に惜しまれつつも引退した、
若きレジェンド。
ロードレース世界選手権参戦期間:2001年~2012年
生年月日 | :1985年10月16日 |
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出身地 | :オーストラリア |
身長・体重 | :171㎝・58kg |
世界選手権最高峰クラスでは、06年Honda→’07年はドゥカティ→Hondaと移籍し、各メーカーにチャンピオンをもたらしました。
ケーシー・ストーナー:レース戦歴
2001 | 世界選手権デビュー |
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2002 | 世界選手権 250cc 12位 |
2003 | 世界選手権 125cc 8位 |
2004 | 世界選手権 125cc 5位 |
2005 | 世界選手権 250cc 2位 |
2006 | 世界選手権 MotoGP 8位 |
2007 | 世界選手権 MotoGP チャンピオン |
2008 | 世界選手権 MotoGP 2位 |
2009 | 世界選手権 MotoGP 4位 |
2010 | 世界選手権 MotoGP 4位 |
2011 世界選手権 MotoGP チャンピオン
2012 世界選手権 MotoGP 3位
BSB(英国選手権)に参戦中に、アルベルト・プーチに才能を見いだされてスペイン選手権に参戦する事になったストーナー。
そこから、実力だけを武器に着実にステップアップし、MotoGPにファクトリー体制でフル参戦するまでになります。
そして2007年、1983年のフレディ・スペンサー(21歳8ヶ月)に次ぐ、史上2位の若さで世界タイトルを獲得するのです。
若きレジェンド、ケーシー・ストーナーのアグレッシブな走りを動画でご覧ください。
ストーナーは、トラクションコントロールなどの電子制御技術をなるべく敬遠し、マシンを自身でコントロールする事にこだわりを持っています。
彼の、派手にリアをスライドさせるというライディングスタイルに魅了された方も多いのではないでしょうか?
若きレジェンドの美人すぎる奥様
若きレジェンド、ケーシー・ストーナー。
自身のレーシングライダーとしての伝説だけではなく、奥さんが芸能人級の美人だという事でも有名です。
奥様の名前は、アドリアーナ・トゥチーナ・ストーナー。
元々はストーナー選手のファンで、2003年のフィリップアイランドでおこなわれたオーストラリアGPで、アデレードから来たアドリアーナ(Adriana Tuchyna)という少女にお腹にサインをするよう頼まれた事がきっかけだそう。
その後2005年に、アドリアーナが16歳の時から交際を始め、2007年1月6日にはアデレードで結婚式を挙げました。
たくさんいるファンの中から、運命の出会いとしか思えないこの2人。
結婚後はストーナーが参戦するレースには全戦同行し、グリッドで傘をさす姿など、仲睦まじい姿が度々目撃されています。
現在のストーナー
2012年にMotoGPを電撃引退して以降、Hondaのテストライダーをしていたそうですが、レーシングライダーとして表に出てくることは一切ありませんでした。
しかし、2015年コカ・コーラ ゼロ鈴鹿8時間耐久ロードレースにMuSASHi RT HARC PROからの参戦が実現しました。
予選のトップテントライアルでは見事3位を獲得します。
しかし、決勝スタート後1時間で、トップ走行中に転倒、リタイヤという残念すぎる形で幕を閉じます。
(株)ホンダ・レーシング(以降 HRC)では、ストーナー選手のコメントを基に、レース終了後に回収したマシンのデータ解析およびパーツの検証を行いました。その結果、スロットルケーブルに異常があったことを確認しました。同様の事象は、これまで発生していませんでした。今回異常が確認されたスロットルケーブルは、HRCが耐久レースのために特別に採用した仕様であり、今後HRCとしては使用を中止いたします。
http://www.honda.co.jp/HRC/news/2015/news05/
ストーナーの復活を待ち望んでいたファンにとって、また彼自身にとっても残念すぎる結果となりました。
その後、2016年(今年度)、彼の古巣であるDUCATIのブランドアンバサダー兼テストライダーとして活動を開始しました。
これは、2007年にタイトルを獲得したドゥカティ×ストーナーが、マシン開発という方向から再び実現するという事。
近い将来再び、ストーナーの作ったマシンによって、DUCATIがタイトルを獲得する日が来るかもしれません。
まとめ
誰もが衝撃だった、絶頂期での突然の現役引退。
「世界チャンピオンになることが夢だった。それは楽な道のりではなかったが、素晴らしい挑戦だった。だけど、嫌いになるまでレースを続けたくない。だから、いま、辞めることに後悔はない」
ストーナーは引退を決意した時、こう語ったと言われています。
この言葉、好きな事を仕事にしたいと思った事がある人なら大半が共感できるのではないでしょうか?
そんな『人間らしさ』も、自力で夢を掴み取った後、誰からも惜しまれつつ華麗に現役を引退した天才ライダー”ケーシー・ストーナー”の魅力だと思います。