鈴鹿サーキットでF1が初開催される約一年前の1986年4月7日、国内トップカテゴリーで活躍し、将来を期待されるもグループA車両のテスト走行中、不慮の事故によりこの世を去った一人のレーサーがいました。その名は伝説のヒーロー、萩原光選手です。

 

 

街道レーサーからサーキットのヒーローへ

 

 

名前:萩原 光(はぎわらあきら)

経歴
1956年7月21日神奈川県小田原市に生まれる。
1971年 東海大付属相模高校入学
1974年 高校卒業。東海大学体育学部社会体育学科入学

 

萩原選手は18歳で運転免許を取得し、TOYOTAセリカLB2000GT、NISSANフェアレディZ240ZG、MAZDAサバンナRX-7など人気のスポーツカーを乗り継ぎながら街道レーサーとしてドライビングテクニックを磨きます。

そして、自宅から近い富士スピードウェイに足を運んだことがきっかけでレースの世界に魅力を感じ、その日のうちにレーサーとしてデビューすることを決意しました。

 

ADVAN東名サニー / (C) TOMEI POWERED USA Inc. All Rights Reserved.

 

デビューからツーリングカーレースでの戦歴

1977年 

7月24日:“富士ロングディスタンスシリーズ第2戦 富士500kmでレースデビューするも決勝リタイア。
8月24日:解体屋から入手し、自ら仕上げたNISSAN/B110サニーで富士フレッシュマンシリーズ第4戦 TSクラスに参戦。予選4位からスタートし決勝では一時トップに出るものの、スピンしてリタイアに終わる。

第5戦では早くも2位入賞を果たし、自身初の表彰台に上がる。

1978年 

“杉本タイヤトリイサニー”で同じく富士フレッシュマンシリーズTS-MTクラスに参戦し、9月24日の第5戦で見事優勝を飾る。
この年、鈴鹿サーキットや筑波サーキットにも遠征し、武者修行を行い年間出場回数は15戦

1979年 

ヨコハマ タイヤとスポンサード契約を締結。
4月1日:全日本筑波チャンピオンズレース第2戦で優勝。

さらに富士ロングディスタンスシリーズではクラス 優勝2回を達成。
1980年

TSクラスにADVANスターレット・東名サニーなどで出場。

1981年 

ADVAN東名サニーで耐久シリーズに参戦。

驚くべきことに、萩原光選手がレース参戦しハンドルを握っていた”ADVAN東名サニー”は現存していて、今も我々の前に勇姿をみせてくれています。

それはただのレストア保存ではなく、当時と同じく東名自動車(現:東名パワード)によりメンテナンスが行われており、JCCA主催のクラッシックカーレースの改造範囲の広い”Fクラス”に参戦しているのです。

また、A12型の直列4気筒OHVエンジンは1298ccまでボアアップが施されて、ストレートでは心地よいエンジンサウンドを響かせて元気に走りまわっている程。

このマシンは萩原光選手にとってはデビューレースを飾りレースのテクニックを学んだのがB110型TSサニーであり、とても思い入れのある大切なクルマだったと思われます。

そして現在、オーナー兼ドライバーの布浦哲哉選手はヘルメットまで萩原光選手と同じカラーリングを施してレースに参戦をし、観客の目を多いに楽しませているのです。

そんな現存する萩原光選手のB110サニーと、萩原レプリカヘルメットでドライビングを行う布浦哲哉選手の貴重な映像をご紹介させていただきます。

 

 

F3から日本のトップフォーミュラーへ

 

鈴鹿サーキットヘアピンに進入する、ヤマハエンジン搭載のマーチ86J萩原光選手。/Photo by JUNICHI KURIHARA

 

フォーミュラーカーレース戦歴

1980年

念願のF3にステップアップを果たし、“杉本タイヤマーチ793”で参戦。
5月に富士グラン250キロレース2位入賞、9月には富士GC第3戦”富士インター200マイルレース“でポールポジションを獲得し、決勝2位入賞。

1981年

F3参戦2年目にして筑波、西日本、鈴鹿で3勝達成。

マカオGPに海外遠征を果たし、予選15位から追い上げ決勝5位のリザルトを残している。

1982年

ADVAN東名マーチでFP参戦。

6月の筑波、8月のRRCチャンピオンズレース共に3位入賞を果たしている。

1983年

国内トップフォーミュラのF2参戦開始。
4月の日本フォーミュラ2選手権レースで6位入賞・年間ランキング12位。

1984年

全日本F2選手権にWalter・wolfRacingマーチ832で参戦。
1年落ちのシャーシとBMWエンジンながら健闘し5月の西日本、7月の鈴鹿ゴールデントロフィーレース共に4位入賞・年間ランキング7位。

1985年

引き続きウォルターウルフレーシングより参戦。

萩原光選手にとって実質的に最後のシーズンとなってしまった1985年は、星野一義選手、中嶋悟選手ほか合計5台のホンダエンジンユーザーにヤマハエンジン搭載マシンのG.リース選手が加わって、BMWユーザーにとっては厳しい状況が続いていました。

そんな中、BMW勢では萩原光選手が新型マーチ85Jを手に入れ、彼自身一人のレーサーとしても勝負の年となっていたのです。

迎えた第2戦富士、萩原光選手はHONDAエンジン勢2台とYAMAHAエンジン搭載の1台を上回る予選5位につけ、好調な滑り出しをみせました。

そして決勝レースでは、序盤、1周目に長谷見選手がエンジンブロー。

16週目のエリジュ選手の左後輪のタイヤバーストなど、HONDAエンジン勢2台のリタイヤにも助けられ萩原選手はレース半ばを5位で走行していました。

その後19週目には、一時は2位に上がっていたYAMAHAエンジン搭載のリース選手が右リヤ ダンパーマウントのサスペンショントラブルから走行を断念してのリタイヤで、トップ争いから離脱。

このアクシデントにより萩原選手は4位まで浮上し、自身初となる表彰台が目前に迫ります。

レース後半、中嶋悟選手、星野一義選手が熾烈なトップ争いを演じ、その後にはK・アッチソン選手が走行。

上位3台ともHONDAエンジン搭載のマシンが走る中、すぐ後ろをTSサニー時代からメンテナンスを任せてタッグを組んできた東名チューンのBMWエンジンを搭載した萩原光選手が少しずつ距離を詰めていきました。

そしてレースは最終局面を迎え、富士の長いストレートをスリップストリームから抜け出し1コーナーの侵入でアッチソン選手をかわし、遂に萩原光選手が3位に浮上!

トップ争いと共に、その日サーキットを沸かした3位争いでしたが、次の瞬間1コーナーを立ち上がった所で惜しくもハーフスピンを喫し、萩原光選手は最終的には4位でチェッカーを受けています。

また、5月のJPSトロフィーでも、同じく4位に入りましたが年間ランキングは7位。

トップフォーミュラーでのドライバー層の厚さと、エンジンパワーに泣かされる形で終わったラストシーズンは、萩原光選手にとって、夢のトップフォーミュラーカーでの表彰台となってしまいました。

 

富士グランチャンピオンレース

 

サウンド・オブ・エンジン鈴鹿で疾走する萩原光選手の美しいGCマシン / Photo by TEIJI KURIHARA

 

富士グランチャンピオンシリーズ戦歴

1983年 

アコム・オートバックス東名MCSにて参戦した9月の富士インター200マイルレースで2位入賞など、コンスタントに入賞を重ねてシリーズランキング4位。

1984年  

東名自動車のメンテナンスを受けMCSⅤで参戦。

7月22日に菅生で開催されたノンタイトル戦“LARK東北グランチャンピオンレースで見事優勝を飾る。

シリーズ後半に、後にレイトンハウスを創設運営する丸晶興産がスポンサードを開始する。

シリーズランキング7位。

1985年  

MOBEL RACING MSCⅥで参戦。

レイトンハウスのスポンサーロゴもこの年からマシンに掲載。

開幕戦富士300kmスピードレースで3位入賞を果たし、シリーズ戦として初めて表彰台に立つ。

年間シリーズランキング6位。

富士グランチャンピオンレースシリーズは殆どのチームが1年落ちのF2のエンジン・シャシーを使ってムーンクラフト製のフルカバードカウルを装着し、行われていた日本独自のシリーズです。

また、富士スピードウェイのみでの開催のためラップタイムも異常に速くなり、わずか2000ccのマシンが数年前に開催された3000ccのF1 コースレコードを破るほどハイレベルな戦いが繰り広げられていました。

萩原光選手はそんなハイレベルなグラチャンシリーズでも確実に実力をつけ、1986年シーズンはヤマハエンジンを得てタイトル争いに加わるのでは無いかと、本当に期待されていたのです。

 

WEC優勝、そしてルマン24時間耐久レースに挑戦・・・

 

グループCカーニッサンシルビアターボCニチラ / Photo by TEIJI KURIHARA

 

耐久選手権/グループC戦歴

1983年

ニッサンシルビアターボCニチラにて参戦。
10月の世界耐久選手権WEC JAPANで、初参戦ながら7位を獲得。

1984年

引き続きニッサンシルビアターボCニチラにて参戦。
師匠の星野一義選手とペアを組む。

 

1985年 

同じくニッサンシルビアターボCニチラで参戦、

開幕戦インターナショナル鈴鹿500kmレース2位。

10月:WECJAPAN大雨の為、外国勢が出走を棄権するという事態の中VG30エンジン搭載のグループCシルビアが星野一義選手、萩原光選手、松本恵二選手で見事優勝を飾りました。

萩原光選手にとってレースの世界で師匠にあたるのは、当時“日本一速い男”といわれていた星野一義選手でした。

プライベートでも親交を深めるなか、F2、グラチャン、では圧倒的な速さを見せつける星野一義選手と唯一、ペアで出場した耐久選手権は萩原光選手にとって学ぶものが多かったのと同時に、とても思い入れのある参戦クラスだったと思います。

そして1985年、雨の世界耐久選手権で見事優勝を飾り、ふたり揃って表彰台の真ん中に立ったことは忘れられない出来事になったのではないでしょうか。

翌1986年、6月のル・マン24時間耐久レース・グループC1レースにニッサン・モータースポーツ・インターナショナルよりニッサンの新型R86Vで星野一義選手とともに参戦することになっていた萩原光選手。

5月に発表された暫定エントリーリストには、残念ながら彼の名前の代わりにTBN(to be nominated:後に指名)の三文字が並んでいました。

 

レイトンハウスレーシングチームと萩原選手

 

1986鈴鹿BIG2&4レース予選、タイムアタックする萩原光選手 / Photo by JUNICHI KURIHARA

 

1986年シーズン、マイアミブルーのカラーリングが施されたマシンとともに登場した“レイトンハウスレーシングチーム”。

これは萩原光選手の大手スポンサー会社がレーシングカーにあうロゴ・カラーリングを創成し立ち上げたブランドで、F2・グラチャン・グループA仕様のベンツなど全てのレーシングカーにこのカラーリングが施されていました。

また、チーム発足の会見ではF2・グラチャンともにヤマハエンジンを搭載して参戦することが発表されており、ついに萩原光選手の時代がやってきたのではないかと、誰もが期待をこめてそのブルーの車体を眺めていたのです。

 

1986年成績
3月9日

全日本F2選手権第1戦全日本BIG2&4レース
レイトンハウスマーチ86J/東名ヤマハ
予選5位・決勝ACジェネレーターのトラブルによりリタイア

3月23日

全日本ツーリングカー選手権レース
予選7位・決勝23周リタイア

3月30日

富士GCスーパースピードレース・レイトンハウスマーチ85J/MCS7東名ヤマハ
予選5位・決勝10周リタイア

4月6日

全日本耐久選手権インターナショナル鈴鹿500kmレース
新型マシンマーチ86S/ニッサンは予選から不調のため、萩原光選手は未走行。
救済措置のため、決勝日朝のフリープラクティスでのタイムアタックにのぞむも、オイル漏れによる出火によりリタイア

運命の一日

1986年4月7日、全日本ツーリングカー選手権のグループA車両によるブリヂストンタイヤの占有走行がスポーツランド菅生で開催されました。

前日の鈴鹿500kmレースのリタイアで、”急遽”参加することになった萩原光選手は黒沢元治選手とともに2台のグループA仕様の『メルセデス・ベンツ 190E 2.3-16』を走らせることに。

萩原光選手が乗車したのは、前日にドイツから到着したばかりの新車でいわば”シェイクダウン状態”でテストに望むこととなっていたのです。

そして午前10時から行われたテスト走行で、萩原光選手の乗車したメルセデス190Eは電気系トラブルがでてしまいピットイン。

調整後にピットアウトし順調に周回を重ね、5周目には1分00秒台と昨年のポールポジションタイムに近いかなりの好タイムをマークしていました。

迎えた6周目、1コーナーを立ち上がった萩原光選手の乗ったベンツは、突如コントロールを失い2コーナー内側をインカットしてコースを横断し、アウト側の岩盤に激突して炎上。

横転して爆発状態となった車内にとり残された萩原光選手は、残念ながらそのまま帰らぬ人となってしまったのです。

 

まとめ

 

 

その後、主を失ってしまったレイトンハウスレーシングでしたが、国内各カテゴリーにチームとして参戦を続け、F3では萩原光選手の愛弟子にあたる影山正彦選手やF3000では師匠にあたる星野一義氏が、サポートうけていたことも有名です。

国際的には1987年シーズンに英国のコンストラクター、マーチと提携し、“レイトンハウス・マーチ”としてF1にフル参戦を開始しました。

こうして、萩原光選手のレース人生を振り返ってきましたが、バブル期の日本企業のスポンサー能力の高さや、その後の日本人ドライバーの活躍等を考えると、F1グランプリのスターティンググリットにつく日本人ドライバーが、歴史上にもう一人誕生していた可能性を考えると本当に残念でなりません。

 

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