ドイツ人初のF1チャンピオンであり、最多優勝91回、7回のチャンピオン獲得など様々な記録を塗り替えてきたF1ドライバー、ミハエル・シューマッハ。日本のフジテレビにおけるF1中継では、「赤い皇帝」の愛称で親しまれていました。今回は、そんなシューマッハが駆った歴代マシンを紹介したいと思います。
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ジョーダン191
1991年、第11戦ベルギーGPでF1デビュー。
予選でいきなり7位を獲得するも、決勝ではクラッチトラブルによりリタイアとなります。
シューマッハのF1デビューマシンでもある191は、その流麗なデザインと鮮やかなカラーリングにより、歴代F1マシンの中でも美しいマシンの一つとして高い人気を誇る1台です。
ベネトン B191
1991年の第12戦、イタリアGPからベネトンに移籍。
5位に入賞し、自身初のポイントを獲得します。
ハイノーズデザインは、ベネトンにおいては、このB191で初めて採用され、以降のF1マシンに大きな影響を与えました。
ベネトン B192
ロリー・バーンの手による太く丸いノーズは、スポンサーカラーであるキャメルの黄色と相まって「バナナノーズ」と呼ばれました。
(後にほとんどのチームが採用することになります。)
シューマッハはベルギーGPでF1初優勝を果たし、ドライバーズランキング3位でシーズンを終えています。
ベネトン B193
B193は、B192に変わって第3戦ヨーロッパGPから投入されました。
アクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテク装備を搭載するも信頼性に欠け、シューマッハはランキング4位でシーズンを終えました。
ベネトン B194
この年からマイルドセブンがメインスポンサーとなり、カラーリングは水色ベースとなります。
シューマッハは開幕4連勝、8勝6ポールポジションを記録して、自身初のドライバーズチャンピオンを手にしました。
ちなみに当時のチームメイトの一人だったヨス・フェルスタッペンは、現レッドブル・ホンダのドライバー、マックス・フェルスタッペンの父親に当たります。
ベネトン B195
1995年、ベネトンはエンジンをフォードのV8からルノーのV10に変更した、B195を投入します。
ベネトンはチーム初のコンストラクターズタイトルを獲得し、シューマッハは2年連続のドライバーズタイトルを手にします。
フェラーリ F310
1996年、シューマッハはフェラーリへと移籍します。
F310は信頼性の問題があり、シューマッハは全16戦中6戦で完走できず、ドライバーズランキングを3位、コンストラクターズランキングは2位となりました。
フェラーリ F310B
前年の、F310の改良型。
ランキング1位で迎えた最終戦ヨーロッパGPで、2位のジャック・ヴィルヌーヴをはじき出すかのような形でコースアウトさせたシューマッハ。
この接触は重大な過失と判定され、1997年のチャンピオンシップから除外。
ドライバーズランキングをはく奪されるという、重い処分を受けました。
フェラーリ F300
F300はロリー・バーンの手によりがゼロから設計され、上方排気システムやロングホイールベースへの変更等、様々な改良が施されました。
ミカ・ハッキネンとの熾烈な競争は最終戦までもつれ込み、1998年のタイトルはハッキネンが手にするという結果となっています。
フェラーリ F399
1999年シーズンのイギリスGPで右足骨折の負傷を負ったシューマッハですが、6レース欠場後に第15戦マレーシアGPから復帰。
コンストラクターズタイトルの獲得に貢献しました。
フェラーリ F1-2000
F399の正常進化版として2000年シーズンを戦うF1-2000に乗ったシューマッハは、自身3度目となるドライバーズチャンピオンを獲得します。
フェラーリはコンストラクターズチャンピオンも決め、21年ぶりのダブルタイトル制覇を成し遂げました。
フェラーリ F2001
2001年頃から、フェラーリ×シューマッハの盤石の体制が定着し始め、17戦中9勝、11ポールポジションという記録で4度目のドライバーズタイトルを獲得します。
フェラーリ F2002
全17戦中優勝11回、全レースで表彰台という圧倒的な戦績で、5度目のタイトルを獲得。
2002年は、ボーダフォンがスポンサーに加わった年でもありました。
フェラーリ F2003-GA
2003年、マクラーレンのキミ・ライコネンや、ウィリアムズのファン・パブロ・モントーヤらとシーズン終盤までタイトル争いを繰り広げ、最終戦の鈴鹿で4度目のタイトルを獲得します。
フェラーリ F2004
前年の苦境とは打って変わり、全18戦中13勝という圧倒的な記録を残してシーズン最多勝記録を更新。
5年連続で、通算7度目のチャンピオンとなりました。
フェラーリ F2005
新レギュレーションにマシンがついていけず、前年までの勢いが一気に失速したのが2005年シーズン。
6年連続のタイトル記録は、フェルナンド・アロンソによって阻止されることとなります。
フェラーリ 248F1
シーズン後半戦からの追い上げによって、前年シーズンよりも活躍を見せましたが、結果的にはフェルナンド・アロンソに2年連続タイトルを許すことになったのが2006年シーズンでした。
そしてシューマッハは、第15戦イタリアGPで引退を表明します。
メルセデスGP MGP W01
2010年、メルセデスから電撃的にF1復帰を果たすも成績は振るわず、チームメイトであるロズベルグに大差をつけられてしまいます。
シーズン中に表彰台に上がることはなく、9位という結果に終わりました。
メルセデスGP MGP W02
ノーズが高く上方に上がったデザインが印象的なW02。
開幕から3戦連続で予選Q2敗退と結果は出ず、2011年シーズンも表彰台に上ることはありませんでした。
メルセデスAMG F1 W03
モナコGPでポールポジションを獲得するも、前戦でのペナルティの影響で決勝レースは6番手スタートとなってしまいます。
第8戦ヨーロッパGPでは3位表彰台を獲得し、これが自身最後の表彰台でした。
そして、第15戦日本GPで2度目の引退を発表します。
まとめ
7度のドライバーズタイトルを獲得するという圧倒的な戦績を記録したシューマッハは、その勝利への強い執着心から、時折スポーツマンシップに反する走りをすることもあったドライバーでした。
しかし、それも含めて彼の魅力であったのもまた事実であり、彼ほど「憎たらしいほど強い」という言葉が似合うF1ドライバーは後にも先にも出てこないことでしょう。
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