ドイツ人初のF1チャンピオンであり、最多優勝91回、7回のチャンピオン獲得など様々な記録を塗り替えてきたF1ドライバー、ミハエル・シューマッハ。日本のフジテレビにおけるF1中継では、「赤い皇帝」の愛称で親しまれていました。今回は、そんなシューマッハが駆った歴代マシンを紹介したいと思います。

シューマッハ

出典:https://www.foxsports.com.au/motorsport/formula-one/exferrari-boss-provides-rare-update-on-fighting-michael-schumachers-condition/news-story/85c34419447a5db7ca3d40bffee44390

ジョーダン191

191

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Jordan_191

1991年、第11戦ベルギーGPでF1デビュー。

予選でいきなり7位を獲得するも、決勝ではクラッチトラブルによりリタイアとなります。

シューマッハのF1デビューマシンでもある191は、その流麗なデザインと鮮やかなカラーリングにより、歴代F1マシンの中でも美しいマシンの一つとして高い人気を誇る1台です。

ベネトン B191

B191

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Benetton_B191#/media/File:2006FOS_1991BenettonB191.jpg

1991年の第12戦、イタリアGPからベネトンに移籍。

5位に入賞し、自身初のポイントを獲得します。

ハイノーズデザインは、ベネトンにおいては、このB191で初めて採用され、以降のF1マシンに大きな影響を与えました。

ベネトン B192

B192

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Benetton_B192

ロリー・バーンの手による太く丸いノーズは、スポンサーカラーであるキャメルの黄色と相まって「バナナノーズ」と呼ばれました。
(後にほとんどのチームが採用することになります。)

シューマッハはベルギーGPでF1初優勝を果たし、ドライバーズランキング3位でシーズンを終えています。

ベネトン B193

B193

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Benetton_B193

B193は、B192に変わって第3戦ヨーロッパGPから投入されました。

アクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテク装備を搭載するも信頼性に欠け、シューマッハはランキング4位でシーズンを終えました。

ベネトン B194

B194

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8D%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BBB194

この年からマイルドセブンがメインスポンサーとなり、カラーリングは水色ベースとなります。

シューマッハは開幕4連勝、8勝6ポールポジションを記録して、自身初のドライバーズチャンピオンを手にしました。

ちなみに当時のチームメイトの一人だったヨス・フェルスタッペンは、現レッドブル・ホンダのドライバー、マックス・フェルスタッペンの父親に当たります。

ベネトン B195

B195

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Benetton_B195

1995年、ベネトンはエンジンをフォードのV8からルノーのV10に変更した、B195を投入します。

ベネトンはチーム初のコンストラクターズタイトルを獲得し、シューマッハは2年連続のドライバーズタイトルを手にします。

フェラーリ F310

F310

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ferrari_F310

1996年、シューマッハはフェラーリへと移籍します。

F310は信頼性の問題があり、シューマッハは全16戦中6戦で完走できず、ドライバーズランキングを3位、コンストラクターズランキングは2位となりました。

フェラーリ F310B

F310B

出典:https://www.ultimatecarpage.com/car/191/Ferrari-F310B.html

前年の、F310の改良型。

ランキング1位で迎えた最終戦ヨーロッパGPで、2位のジャック・ヴィルヌーヴをはじき出すかのような形でコースアウトさせたシューマッハ。

この接触は重大な過失と判定され、1997年のチャンピオンシップから除外。

ドライバーズランキングをはく奪されるという、重い処分を受けました。

フェラーリ F300

F300

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ferrari_F300

F300はロリー・バーンの手によりがゼロから設計され、上方排気システムやロングホイールベースへの変更等、様々な改良が施されました。

ミカ・ハッキネンとの熾烈な競争は最終戦までもつれ込み、1998年のタイトルはハッキネンが手にするという結果となっています。

フェラーリ F399

F399

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ferrari_F399

1999年シーズンのイギリスGPで右足骨折の負傷を負ったシューマッハですが、6レース欠場後に第15戦マレーシアGPから復帰。

コンストラクターズタイトルの獲得に貢献しました。

フェラーリ F1-2000

F1 2000

出典:https://www.charitystars.com/product/ferrari-f1-2000-wheel-tyre-coffee-table-en

F399の正常進化版として2000年シーズンを戦うF1-2000に乗ったシューマッハは、自身3度目となるドライバーズチャンピオンを獲得します。

フェラーリはコンストラクターズチャンピオンも決め、21年ぶりのダブルタイトル制覇を成し遂げました。

フェラーリ F2001

f2001

出典:https://www.skysports.com/f1/news/12433/11129813/michael-schumachers-f2001-ferrari-sells-for-7m-at-auction

2001年頃から、フェラーリ×シューマッハの盤石の体制が定着し始め、17戦中9勝、11ポールポジションという記録で4度目のドライバーズタイトルを獲得します。

フェラーリ F2002

F2002

出典:https://www.grandprix247.com/2019/06/18/schumachers-ferrari-f2002-set-to-be-auctioned/

全17戦中優勝11回、全レースで表彰台という圧倒的な戦績で、5度目のタイトルを獲得。

2002年は、ボーダフォンがスポンサーに加わった年でもありました。

フェラーリ F2003-GA

F2003

出典:https://www.suwalls.com/sports/ferrari-f2003-ga-2

2003年、マクラーレンのキミ・ライコネンや、ウィリアムズのファン・パブロ・モントーヤらとシーズン終盤までタイトル争いを繰り広げ、最終戦の鈴鹿で4度目のタイトルを獲得します。

フェラーリ F2004

F2004

出典:https://f1i.com/images/348799-schumacher-ready-to-saddle-fathers-f2004-prancing-horse.html

前年の苦境とは打って変わり、全18戦中13勝という圧倒的な記録を残してシーズン最多勝記録を更新。

5年連続で、通算7度目のチャンピオンとなりました。

フェラーリ F2005

F2005

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Ferrari_F2005

新レギュレーションにマシンがついていけず、前年までの勢いが一気に失速したのが2005年シーズン。

6年連続のタイトル記録は、フェルナンド・アロンソによって阻止されることとなります。

フェラーリ 248F1

248F1

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Michael_Schumacher_Ferrari_248F1_2006_Brazil.jpg

シーズン後半戦からの追い上げによって、前年シーズンよりも活躍を見せましたが、結果的にはフェルナンド・アロンソに2年連続タイトルを許すことになったのが2006年シーズンでした。

そしてシューマッハは、第15戦イタリアGPで引退を表明します。

メルセデスGP MGP W01

MGP_W01

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Mercedes_MGP_W01

2010年、メルセデスから電撃的にF1復帰を果たすも成績は振るわず、チームメイトであるロズベルグに大差をつけられてしまいます。

シーズン中に表彰台に上がることはなく、9位という結果に終わりました。

メルセデスGP MGP W02

MGP W02

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Mercedes_MGP_W02

ノーズが高く上方に上がったデザインが印象的なW02。

開幕から3戦連続で予選Q2敗退と結果は出ず、2011年シーズンも表彰台に上ることはありませんでした。

メルセデスAMG F1 W03

W03

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Mercedes_F1_W03

モナコGPでポールポジションを獲得するも、前戦でのペナルティの影響で決勝レースは6番手スタートとなってしまいます。

第8戦ヨーロッパGPでは3位表彰台を獲得し、これが自身最後の表彰台でした。

そして、第15戦日本GPで2度目の引退を発表します。

まとめ

7度のドライバーズタイトルを獲得するという圧倒的な戦績を記録したシューマッハは、その勝利への強い執着心から、時折スポーツマンシップに反する走りをすることもあったドライバーでした。

しかし、それも含めて彼の魅力であったのもまた事実であり、彼ほど「憎たらしいほど強い」という言葉が似合うF1ドライバーは後にも先にも出てこないことでしょう。

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