自動車メーカーごとの「最強の称号」を持つモデルには、どんな役割が求められているのでしょうか。その方向性は意外に統一されており、大抵はレースをはじめ各種モータースポーツでの「最強」を目指して作られているように思えます。逆に考えると、そのメーカーがモータースポーツへの関りをやめた時、「最強の称号」もその役割を終え、消えていくものかもしれません。ダイハツ「X4」はその典型的なモデルでした。

 

ダイハツ M312S ブーンX4  / 出典:http://mos.dunlop.co.jp/archives/rally/race-data/report_rally_4_20070601.html

 

 

ダイハツ車にとって特別な意味を持った「X4」の称号

ストーリアX4(SC車両)(出典:http://mos.dunlop.co.jp/)

 

1991年から2009年までの18年間、ダイハツが「最強」であるために存在した”X4(クロスフォー)”というグレード。

それは他メーカーの「最強の称号」とは若干意味合いが異なり、常に明確なライバルの存在がありました。

そう、スズキ アルトワークスという宿敵です。

660cc時代を迎えた軽自動車が全日本ラリーのみならず全日本ダートトライアルにも戦いの場を広げた時、それは550cc時代から変わらぬ因縁のライバル、アルトワークスと軽自動車最強の雌雄を決する舞台が広がることを意味しました。

なぜなら規則により改造範囲が制限された競技車両において、ノーマル状態でのスペックの差はそのままモータースポーツの戦場での差に表れます。クロスミッションなど各種専用パーツという「武器」を標準装備した競技用グレード”X4”は、競技規則で改造が許されない部分に最初からダイハツが手を加えた「メーカーチューンド」を意味したのです。

特にストーリアX4以降はボディや内外装を除き、ほぼ専用部品で組まれており、一般ユースで使われることが少なく生産台数もわずか。

ディーラーでも見かけることが稀なので「純正なのに改造車と勘違いされた」というエピソードもあるほど特殊な存在でした。

 

660cc軽4WDターボ激戦時代の幕を開けた、初代L210Sミラ”X4R”

 

ダイハツ L210S ミラX4R /  出典:https://www.carthrottle.com/post/w6rb98x/

 

“X4”というグレードの始まりは、意外なことに「普通の4WDターボ」でした。

旧規格660cc軽自動車第1世代のL200系ミラに当初設定されていなかった4WDターボモデルが登場した1990年11月に、”X4”と名付けられたのが最初です。

その時ボディサイドに配された”X4”デカールは、大きさや色を変えつつ最後のブーンX4まで変わらぬデザインで継承されることとなりますが、この”X4”はまだ競技用モデルではありませんでした。

その後の”X4”の方向性を決定づけたのは、3か月後の1991年2月に登場した競技用ベースモデル”X4R”。

カスタムが前提となる競技用モデルだけに内外装やタイヤは廉価グレードのものが標準で、見た目は「廉価版ターボ車」の趣きであり、搭載されたSOHC3気筒12バルブターボエンジンEF-JLも型式は標準のTR-XXやX4と同じ。

しかし、クランクシャフトやコンピューター、タービンは専用で、軽量フライホイールやクロスミッション、大径パイプのマフラーなど競技規則で改造の許されない部分にメーカー自らの手が入ったメーカーチューンドとして作られていました。

そして早速、全日本ラリーに投入された”X4R”は宿敵アルトワークスを圧倒、翌年からスズキも同様のメーカーチュンド版アルトワークスRを投入。

1993年にはスバル ヴィヴィオRX-RAも加わり、ラリーやダートトライアルで軽4WDターボによる三つ巴の熱戦が繰り広げられていくのです。

 

強力なライバルの前に涙を飲んだ2代目L512Sミラ”X4”と、ラリーで活躍した”X2”

 

ダイハツ L512S ミラX4 /  出典:http://storia-x4.com/X4-history4.htm

 

1994年にミラが4代目L500系にモデルチェンジすると同時に、ターボ / NAともにダイハツ初の、そして唯一の軽自動車用4気筒エンジン”JB”が登場。

特にターボ版のJB-JLは高回転まで小気味よく吹け上がるDOHC16バルブターボエンジンで、競技用グレード専用となった”X4”にはもちろんこのJB-JLのメーカーチューンド版が搭載されました。

そしてクロスミッションや専用タービンなど競技向け専用装備も先代”X4R”から踏襲され、再びラリーとダートトライアルで軽4WDターボの頂点を目指します。

しかし、同時期にモデルチェンジしたライバル、HB21SアルトワークスRが名機K6Aターボエンジンを搭載し、メーカーチューンドを受けて登場すると、その完成度の高さに手も足も出ない状況で、残念ながらこの代の”X4”は強力なライバルの前に涙を飲む結果に。

対照的に気を吐いたのがFF版”X2”で、歴代”X4”シリーズの中でもこの代にのみ設定された異色の2WDモデルでしたが、全日本ラリー2輪駆動部門では”X4”の鬱憤を晴らすかのように、1997年に3勝を上げる大活躍。

この”X2”は当時盛り上がっていたラリー2輪駆動部門をターゲットにしていましたが、FFゆえにジムカーナ向きでもあり、ダイハツ車オンリーのジムカーナイベント、「ダイハツチャレンジカップ」などで活躍する姿が当時は数多く見られました。

 

なりふり構わぬ打倒アルトワークス魂、3代目M112Sストーリア”X4”

 

ダイハツ M112S ストーリアX4(後期)  / 出典:http://www.jrca.gr.jp/event/2005_4wd_rd5_result.html

 

L512Sミラ”X4”で宿敵アルトワークスRに太刀打ちできなかったダイハツワークス「DRS」は、1998年10月の軽自動車新規格移行にあたり、”X4”のベース車を軽自動車に求めませんでした。

衝突安全性向上を目的とした車体の大型化で必然的に重くなり、かつ64馬力自主規制に縛られる新規格軽自動車用660ccではなく、当時のターボ係数(排気量×1.4)を掛けても軽自動車が参戦できるクラス上限の713ccターボエンジン「JC-DET」を採用。

これは、L512S”X4”用のJB-JLをベースに専用パーツをふんだんに組み込み、1.3リッタークラス用タービン、それも高回転高出力用を組み合わせて、「低回転はスカスカだが、とにかくブン回している限りパワーが出る」という思い切ったエンジンでした。

また、エンジンが軽規格を超えるならベース車も軽自動車にこだわる必要は無く、新規格第1世代のL700系ミラとプラットフォームを共用するリッターカー、ストーリアへ変更。

軽自動車で無いなら64馬力規制も関係無く、運輸省(現在の国土交通省)の指導もあって抑えられたとも言われるカタログスペックは、それでも120馬力を発揮しました。

そして1998年2月に発売されて早々、全日本ダートトライアルの開幕戦でデビューウィンを飾るなどラリーやダートトライアルでHB21SアルトワークスRと互角の戦いを見せるようになります。

旧型ながらストーリアX4をもってしても互角というHB21SアルトワークスRの名車ぶりも際立ちますが、強力なライバルゆえに”X4”も天井知らずのなりふり構わぬ進化を遂げられたと言えるのです。

なお、このストーリアX4は他に搭載車種の無い専用ターボエンジンJC-DETのみならず、メタルクラッチ(1998年モデルのみ)、前後機械式LSDなど専用パーツを組み込みつつ、廉価グレードがベースとはいえ新車価格139万円と驚異的安価で販売されました。

エアコンやパワステ、ラジオなど快適装備のオプションを組みこめば結局乗り出し200万円程度になるとはいえ、歴代最高の「お買い得X4」の誕生です。

 

ライバルを失った孤高のX4、4代目M312Sブーン”X4”

 

ダイハツ M312S ブーンX4  / 出典:http://mos.dunlop.co.jp/archives/rally/race-data/report_rally_6_20070706.html

 

2004年にベースのストーリアが後継の新型車 ブーン(初代)に切り替わって生産終了したことで一旦途切れたものの、新型”X4”の開発は着々と進められていました。

そしてモータースポーツ関係者を集めた極秘の試乗会、カスタマイズパーツブランド「D-SPORT」を介した東京オートサロンへの出展、さらにダイハツチャレンジカップでの試作車お披露目などを経て、2006年3月に満を持して4代目ブーン”X4”が登場します。

今度はターボ係数1.7を掛けても1.6リッター以下のクラスで戦える、936ccターボエンジン「KJ-VET」を搭載(YRVターボ用K3-VETのショートストローク版)。

ストーリアX4と比較すると、機械式LSDの標準装備はフロントのみとなったものの、3速ギアのミッションブローが定番だったクロスミッション(筆者は1年に3回ブローしたことがあります)は1~4速クロスから5速フルクロスへ変えられ、ギア比も変更、お値段も2倍という強化品です。

しかし、この時点でライバルのスズキは新規格で重くなり、従来の人気を得られなくなったアルトワークスに短期間で見切りをつけており、国内外のモータースポーツは初代スイフト(海外名イグニス)に移行。

ラリーやダートトライアルでは依然として旧型のHB21SアルトワークスRが走っていたものの、プライベーター主体となってからは少なくとも全日本シリーズでストーリアX4の敵では無くなっていました。

この状況下でデビューしたブーンX4は初めて”他社ライバル不在のX4”となりましたが、プライベーターが乗り続ける先代ストーリアX4とワークス / セミワークスのブーンX4が戦うという面白い展開となっていきます。

その一方で、1,000台生産すればグループNホモロゲーションを取得可能なことからデビュー会場では「目指すはWRC」とも言われましたが、結果的に1,000台未満の生産台数で終わり、”X4”の世界デビューは夢に消えました。

それどころか、2008年に吹き荒れたリーマンショックに端を発する世界大恐慌と自動車業界大不況の煽りを受け、ダイハツはついに40年以上続けたモータースポーツの世界から完全に離脱することを決定。

モータースポーツという活躍の場を失えば存在価値も無い”X4”はその役目を終え、M312SブーンX4が2009年12月に販売終了したのを最後に、その歴史を閉じました。

 

まとめ

 

他社の”最強の称号”とは異なり、ダイハツ最強の称号”X4”とは「モータースポーツユースのみに特化して日常ユースの快適性をほとんど顧みなかった」という、1990年代以降の日本車としてはかなり特異な存在でした。

特にストーリアX4以降はオートマや豪華装備が設定される「純粋な一般向けバージョン」と呼べるグレードが無かっただけに、あまりに特殊過ぎてモータースポーツ無しには存続できなかったのです。

そんな”X4”も一度ブランド化が試みられたと思しき時期があり、2000年代中頃の一部新聞で「”X4”グレードの車種展開を広げ、スポーツイメージを高める」と報じられたこともあります。

具体的にはコンパクトSUVのビーゴ”X4”などが登場すると予想されていましたが、直後のリーマンショックが無ければ、あるいはミラX4の復活、ソニカX4やハイゼットX4などもありえたのでしょうか?

もしダイハツが再びモータースポーツに帰って来る時が来たら、”X4”も一緒に帰ってくる事を願わずにはいられません。

 

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