1000馬力を優に超え、最高速は400Km以上…。かつて、そんな途方もないスペックのモンスターマシンたちが世界中のサーキットを席巻した時代がありました。1982年からの10年間、「グループCカー」による世界中の自動車メーカーを巻き込んだ大戦争が勃発し、そこから数々の名車や名レースが生まれたのです。今回はそんなグループCカテゴリーを盛り上げたモンスターマシンたちをご紹介します!
世界最速をかけた死闘!グループCカテゴリーとは?
グループCは1982年から開始されたプロトタイプレーシングカーによるレースカテゴリー。
それまでのグループ5・グループ6の後継にあたるカテゴリーという位置づけで、レース距離に応じて総燃料使用量が規制されるが、あとは「何でもOK」といったユニークな特徴を備えていました。
「燃費と速さの究極のバランス」を追い求め、様々な排気量・エンジン気筒数の車両が登場する事となり、世界中の自動車メーカーが各々の方法で世界一を目指し切磋琢磨するカテゴリーへと進化していったのです。
もちろん日本メーカーも数々のグループCカーを世界へ送り出し、輝かしい戦績を残しています。
世界へ果敢に挑戦した日本のグループCカー!
Mazda 787B
日本を代表するグループCカーと言えば間違いなくコレ!
1991年のル・マン24時間耐久レースで日本車初、そしてレシプロエンジン以外で初めての総合優勝を飾った名車中の名車です。
世界で最も美しいサウンドとも言われ、世界中のモータースポーツファンに愛されています。
その心臓部には2.6リッターの自然吸気4ローターエンジンが搭載され700馬力を発生。
全域にわたってトルクフルな特性を持っており、あっという間に9000回転まで到達するため、ドライバーはシフトチェンジを忘れてしまう程であると言われています。
現在も動態保存され、世界中のイベントで素晴らしいロータリーサウンドを披露しているようです。
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Nissan R92CP
1992年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(以下JSPC)でデビューした純国産レーシングマシン。
92年のJSPC全6戦と93年の鈴鹿1000Kmに参戦し、全てのレースで優勝を獲得した日産最速のマシンです。
ミッドに搭載される3.5リッターV型8気筒ツインターボエンジンは、予選仕様で1200馬力を発生したと言われています。
日本一速い男の異名を持つ星野一義選手ですら「2度と乗りたくない」と語ってしまうことからも、R92CPが途方もないモンスターマシンであったことを窺い知ることができます。
なんと富士スピードウェイのホームストレートで時速400Kmを記録したという逸話も残した伝説のマシンです。
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Toyota TS010
1991年にトヨタが開発した新世代グループCカー。
グループCは91年から3.5リッター自然吸気エンジンへとレギュレーション変更され、それまで活躍したターボマシンは徐々に姿を消していきました。
TS010は92年からスポーツカー世界選手権(SWC)に本格参戦し、第1戦モンツァで見事優勝を飾ります。
同年のル・マン24時間耐久レースではライバルであるプジョー905に敗北を喫したものの、2位表彰台を獲得。
エンジンは3.5リッターV型10気筒自然吸気で、最終仕様では750馬力を発生しました。
美しく甲高いサウンドの持ち主であり、現在でも様々なイベントのデモ走行でモータースポーツファンを魅了しています。
まだまだ続くグループCカー!
ご紹介した国産車が戦った、世界のグループCカーを次のページでご紹介!
過激でやりすぎなマシンたちが、目白押しです!