バイクレースの最高峰MotoGP。レギュレーションにより4サイクル1,000ccエンジンを搭載したバイクで争われていますが、2001年までは2サイクル500ccエンジンが主流だったことをご存知ですか?今回はWGP(ロードレース世界選手権)の「4強時代」を築いた2サイクル500ccレーサーと、その技術をフィードバックした公道マシンであるレーサーレプリカを振り返ります。

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w76/

WGP4強と呼ばれた時代 そして4人の男たち

 

出典:http://www1.suzuki.co.jp/motor/sports/race/2017/ewc_release_001.php

1980年代から1990年代にかけてWGPでは、4強と呼ばれた4人のライダーが熱いバトルを繰り広げていました。

エディ・ローソン、ワイン・ガードナー、ウェイン・レイニーそしてケビン・シュワンツ。

彼等は激しいデッドヒートを制してそれぞれ優勝を勝ち取りますが、勝利の傍らには「マシン」の存在があることを忘れてはいけません。

当時のGPマシンは2サイクル500ccエンジンが搭載され、電子制御の技術は現在のように進歩していませんでした。

そんなマシンでライダー達は極限のバトルに挑んでいたのです。

 

YAMAHA YZR500:世界屈指のハンドリング

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w61/

1973年にデビューしたYZR500は、並列4気筒エンジンからスクエア4エンジンを経てV4(V型4気筒)エンジンを搭載することになります。

それはWGP500マシンとしてライバルメーカーに先駆けて、V4エンジンを搭載した初めてのモデルでもありました。

 

0W76

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/racing_yzr500_0w76/

エディ・ローソンがチャンピオンに輝いたYZR500は0W76(ゼロダブルナナロク)モデルになり、エンジンをアルミ製デルタボックスフレームに搭載、V4エンジンに変更されてから3代目のマシンにあたります。 YZRのV4エンジンの特徴は4つのシリンダーが縦横に並ぶスクエア4エンジンの変形であり、2つのクランクシャフトを有していました。

そして吸気システムは、従来のクランク側面から吸気を行うロータリーディスクバルブ式から排気ポートの対方向から吸気を行うクランク式リードバルブに変更、また樹脂製リードバルブの採用により滑らかな出力特性とエンジンの始動性が向上しました。

当時のWGPは押し掛けスタートであった為、エンジンの始動性は勝敗を左右する大事な性能でもあったのです。

 

0WC1

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/racing_yzr500_0wc1/

1990年シーズンは0WC1モデルで、ウェイン・レイニーがシリーズ初優勝を飾りました。

YZR500は1988年の0W98モデルからエンジンを従来の挟み角60度から70度に拡大し、それに伴いエキゾーストパイプの形状も変更されマフラーが右サイド2本出しになります。

スイングアームも左右非対称を採用し、第12戦イギリスGPでは初めてカーボンディスクブレーキが装備されて、レイニーにGP500初優勝をもたらしました。

 

RZV500R

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/rzv500r/

ヤマハは1984年に「YZR500レプリカ」として、1台のバイクを発売します。

500cc・V4エンジンを搭載した市販バイク、それこそがRZV500Rなのです。

国内仕様は馬力規制により最高出力62psに抑えられており、それを補うために軽量化に注力してアルミフレームを(海外仕様はスチール製)、また最高速度230kmの運動性能を活かすためにフロントホイールには16インチの小径ホイールを採用しました。

時代の先端をいくバイクでしたが、¥825,000という価格が影響してか販売台数が伸びず、僅か2年で生産を終える事になります。

また、RZV500RはYZR500・0W61の公道モデルとして開発され、厳密にいうとエディ・ローソンではなくケニー・ロバーツがライディングしたYZR500のレプリカになります。

 

TZR250R

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/tzr250r/#_ga=2.226151898.1589284258.1513040950-2010266318.1489117511

正式にはYZR250のレプリカモデルとしてリリースされたTZR250R。 しかしテクノロジーにおいては、YZR500と共通しています。

TZR250R・3XVモデルは、ウェイン・レイニーが優勝した翌年の1991年に、TZR250の後継モデルとしてリリースされました。

新開発の1軸クランク90度V2エンジン(V型2気筒)は、45馬力を発生。

そのパワーユニットをアルミフレームに搭載し、倒立式フロントフォークやアルミ製湾曲スイングアームなど1990年WGP250チャンピオンマシンであるYZR250の技術が惜しげもなく投入されています。

また乾式クラッチやクロスミッションなどを装備したSPモデル、100台限定のRSモデル、さらにレーシーに仕上げられた500台限定のRSPモデルも発売され、市販レーサーであるTZ250 との同時開発も話題を呼んで、パーツの流用も可能でした。

 

HONDA NSR500:バレンティーノ・ロッシもチャンピオンに輝いたマシン

 

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:HONDA_NSR500_1989.jpg

NSRとは「New Sprint-racer of Research」の略であり、その意味は「究極の新しいスプリントレーサー」を意味します。

それまでのV型3気筒エンジンを搭載したNS500の後継モデルとして開発され、1984年からWGP500に投入されました。

パワーユニットに1軸クランクV4エンジンを搭載し、吸気システムはケースリードバルブ。

1984年から1986年までのモデルはシリンダー挟み角90度エンジンを採用していましたが、キャブレターをエンジン後方にレイアウトしなければならなかったため、熱対策やメンテナンス性の悪さなど多くの弊害がありました。

しかしワイン・ガードナーが優勝した1987年以降のモデルからシリンダーの挟み角を112度へと変更し、シリンダー間にキャブレターをレイアウトすることに成功します。

その結果、後方2気筒をストレート形状の後方排気とすることにより排気系の取り回しなど従来の問題点を改善。

その後も進化を続け、1994年から1998年にかけてミック・ドゥーハンによりWGP500・5年連続優勝を成し遂げるのです。

NSR250R

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Honda_NSR250R_in_the_Honda_Collection_Hall..JPG

NSR500というよりRS250Rのレプリカモデルとして、1986年にV2エンジンを搭載してリリースされたNSR250R。

前年の1985年にはNS400Rがリリースされていますが、V型3気筒円エンジンを搭載しており、位置付けとしてはRS500のレプリカになります。

また、1987年11月に登場したMC18モデルは通称「88」と呼ばれ、市販レーサーのRS250Rと同時開発されました。

88はリミッターが装着されていない最後のモデルでもあり、カタログスペックでは45馬力と表記されていましたが、実測では60馬力を出したとも言われており、NSRの中でも人気のモデルでした。

上位モデルとしてマグネシウムホイールと乾式多板クラッチが装備されたSPグレードが設定され、HRC(Honda Racing Corporation)からはレース用にセットアップされたNSR250RKがリリースされています。

 

SUZUKI RGV500Γ(ガンマ):挑戦する魂

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Suzuki_RGV502%CE%93_in_the_Suzuki_History_Museum_3.JPG

2015年シーズンからモトGPに復活したスズキは、WGP500においても1983年から活動休止期間を設けました。

そして1988年シーズンからエースライダーにケビン・シュワンツを迎え、ワークスとして正式にWGP500に復活したのです。

マシンはスクエア4エンジンを搭載したRGΓ500から新設計V4エンジンを搭載したRGVΓ500と進化し、パワーはライバルに対してやや劣るシーンも見られましたが低重心設計による安定性、軽量化による操縦性には定評がありました。

またシュワンツのハードブレーキを得意とするライディングスタイルとマッチし、シケインなどの低速コーナーを勝負所として開幕戦の日本GPを優勝で飾ります。

1989年以降は排気効率を見直してエンジンのパワー特性の最適化とトルクアップを果たしてフレームとスイングアームも強化を行い、ライバルマシンと比較しても遜色のない性能に向上を遂げました。

 

RGV250Γ(ガンマ)

 

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SUZUKI_%CE%93_VJ21A.JPG

レーサーレプリカブームの火付け役となったRG250Γ。 その後継モデルとして1988年にV2エンジンを搭載し、RGV250Γはリリースされます。

クロスミッションと前後のサスペンションを強化したSPモデルでは、シュワンツが駆った500Γと同色の「ペプシカラー」も限定でリリースされNSR250RやTZR250Rと同様に人気を博しました。

そして1990年にはモデルチェンジを行い、排気デバイスを変更。

倒立フォークと湾曲スイングアームが装備されます。 またクロスミッション、乾式クラッチ、リザーバー別体式サスペンションを搭載したSPモデル、そしてSPモデルのノーマルミッションモデルであるSP2もリリースされました。

ちなみにイタリアのバイクであるアプリリアRS250は、RGV250Γのエンジンを62馬力までアップして搭載しています。

そして1991年にはマイナーチェンジを行い、1996年のモデルチェンジでRGVΓ250と車名変更を行いました。

Γシリーズも400と500をリリースしますがエンジンはスクエア4であり、RGV500Γの前身モデルであるRGΓ500のレプリカとされています。

 

AMAスーパーバイク そしてKAWASAKI

4強と呼ばれたライダーはいずれもホンダ、ヤマハ、スズキと日本製のマシンでWGP王者に輝きました。

しかし彼らのバックボーンには、もうひとつの国内メーカーの存在があったのです。

舞台はAMAスーパーバイク選手権。 AMAとは全米モーターサイクル協会の主催により行われているレースで、1976年から始まり今日まで多くのWGPライダーを輩出してきました。

そう、4強と呼ばれたライダー達もAMA出身なのです。

そしてもうひとつの国内メーカーとは、「重工」の技術を持つ、世界に誇るカワサキです。

カテゴリーにより車種は異なりますが、4人ともカワサキのマシン「Z」でAMAを戦いWGPの舞台へ羽ばたいていきました。

また、1982年にエディ・ローソンの優勝を記念して発売されたZ1000Rは名車と呼ばれ、現在でも根強い人気を博しています。

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:1982_Kawasaki_KZ1000S_KGTW.jpg?uselang=ja

 

まとめ

 

出典:https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w98/

今回は4強時代のGP500マシンと250ccレーサーレプリカを中心に振り返りました。

GP500はレギュレーションの変更により、2002年からmotoGP™へと移行し2サイクルレーサーは徐々にサーキットからその姿を消していきました。

250ccレーサーレプリカも1992年の自主規制によりパワーが45馬力(実測60馬力?)から40馬力へ下げられた事とGP500の消滅もあり生産中止になりました。

4強とともに進化を続けた2サイクル500ccレーサー。

そして、私たちの身近に存在した2サイクルレーサーレプリカ。 「最速」のために一切の無駄をそぎ落として進化を続け、そして姿を消した2サイクルマシン。

ノスタルジックな記憶にとどめるだけでは惜しい気がしてなりません。

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