かのACコブラの意思を継ぐ者か、新たなアメリカンドリームの始まりか、1991年にデビューした初代ダッジ バイパーには、それまで長らく悪評に祟られていたアメリカンマッスルカーのイメージを払拭するに十分なインパクトのあるスポーツカーでした。なお、3代続いたバイパーの中でも、「クライスラー バイパー」として正規輸入されたのは、初代だけです。

初代ダッジ バイパー / Photo by Mark Holloway

「強いアメリカ」の復活を自動車でも印象づけた、初代バイパー

初代ダッジ バイパー RT/10 / Photo by Eddy Clio

1990年代に入ろうかという頃、日本におけるアメリカのイメージはあまり良いものではありませんでした。

ベトナム戦争で負けたのをいつまでも引きずり、その後の戦争でもイマイチパッとしない状況。ソ連にも何か弱腰というか融和策が長く続き、日本がバブル景気に浮かれてた絶頂期にはアメリカが誇りとするアレコレを買い叩き、「そのうち日本がアメリカを買い取る」とまで言われます。

デカいアメ車に若い男女が鈴鳴りになって陽気にピクニックやダンスパーティへ繰り出すアメリカンドリームは過去のものとなり、ハリウッドも薬と暴力ばかり目立つなど、アメリカが自信を喪失していたのが丸わかりの時代です。

それが1981年に就任したロナルド・レーガン大統領が「強いアメリカ」政策を打ち出すや、とりあえず前を向いたアメリカは相変わらずひどい時代が続きつつも明るさを取り戻し、少々の事ではへこまずあらがい続けます。

するとソ連は経済的に破綻、次のブッシュ政権の時代に入った1990年には湾岸戦争で世界中の国を集めて大勝利。1991年に旧ソ連は崩壊し、日本もバブルが崩壊、気がつけばアメリカは地球上唯一の超大国に返り咲いていました。

初代ダッジ バイパーGTS / Photo by Greg Gjerdingen

初代ダッジ バイパーが生まれた1991年とはそんな時代で、「アメリカン・ドリームの夢よ再び」とばかりに光り輝く新時代のアメリカンスポーツの象徴としては、ピッタリな車です。

1970年代のマスキー法とオイルショックにすっかり音を上げて牙を抜かれ、自信のなさが表に出たのか、デザインもパッとせず、1980年代には「燃料ばかり食って走らない、曲がらない、止まらない、ダサい」とまで酷評されたアメリカ車が、「何か言ったかね?ボクは過去にはこだわらないんだHAHAHA!」とばかりに蘇ったようでした。

知性とグラマラスさを兼ね備えたデザインに、有無を言わせぬ8リッターV10パワー

初代ダッジ バイパー RT/10 / Photo by James Case

1991年頃の日本製スポーツと言えば、1989年にデビューした日産Z32フェアレディZを境に「危ないから安全なパワーで走ろうね」と、280馬力規制が始まった頃で、スカイラインGT-Rだろうがスープラだろうが、少なくともカタログで280馬力を超えてちゃイカン!という時代。3リッターツインターボでも、最大トルクはせいぜい40kgm台です。

そこにクライスラーが「ダッジ」ブランドで展開するための新時代スポーツは、平然と最高出力400馬力、最大トルク64.2kgmを誇る8リッターV型10気筒エンジンを載せてきました。

これはフルサイズピックアップトラックのダッジ ラム用として最大だった5.9リッターV8をベースに、より過激な動力性能を求めて2気筒を追加。V10化するべく開発していたエンジンをベースにアルミ製として、ランボルギーニのチューンが加わった、当時最強級の自然吸気エンジンです。

これは、当初の基本コンセプトが「1960年代に猛威をふるったシェルビー コブラの再来」だったことや、5.7リッターV8エンジンを積む最大のライバル、シボレー コルベットC4へ対抗し、圧倒的な差をつけるには不可欠なパワーユニットでした。

初代ダッジ バイパー GTS-R / Photo by RAVDesigns

それでも当初は「ダッジ」ブランドのイメージリーダーとして、期間限定生産の予定だったとも言われますが、1991年に発表、1992年1月に発売された初代前期型(SR I)はオープントップのRT/10のみの販売だったにも関わらず、ユーザーから熱狂的な歓迎を受けます。

単にパワフルなだけでなく空力的に洗練され、軽量化も追求したスマートなデザインは、「毒蛇」を意味するバイパーの名前通リの獰猛さに加え、知性も感じさせるもので、それでいてV10エンジンを搭載する長いフロントノーズは、ロングノーズ・ショートデッキの古典的スポーツカースタイルも踏襲していたのです。

そして1996年には初代後期モデル(SR II)へ移行し、さらなるパワーアップと軽量化が敢行されるなどの改良が進むとともに、「ダブルバブル」と呼ばれる独特な形状のルーフを持つクローズドボディのクーペ、「バイパーGTS」が追加されます。

GTSの登場はバイパーへレーシングカーとして必要なあらゆる可能性を付与し、レーシングモデルの「バイパーGTS-R」が登場。1997年のFIA GT選手権 GTクラスでシリーズ優勝を遂げるなど活躍し、日本のJGTC(後のSUPER GT)にもチームタイサンから1997年~2000年にかけて、GT500クラスへ参戦しました。

猛烈にパワフルなV10エンジンのFRスポーツというレイアウトは、フロントミッドシップレイアウトによる50:50の理想的な前後重量配分や、V型OHVエンジンによる低重心をもってしても、安楽な電子制御によるコントロールで楽しめる現代と違い、古のコブラ同様に誰でも簡単に扱いきれるというものではありません。

しかし、コブラの再来と言われればむしろ当たり前で、初期型にエアコンがないなどスパルタンな一面も、後のオプション追加やクーペモデルの設定によって、全く問題とされなかったようです。

主要スペックと中古車価格

初代ダッジ バイパー GTS / 出典:https://www.favcars.com/pictures-dodge-viper-gts-indy-500-pace-car-1996-321699.htm

クライスラー バイパー GTSクーペ 1999年式
全長×全幅×全高(mm):4,490×1,980×1,190
ホイールベース(mm):2,440
車重(kg):1,590
エンジン:水冷V型10気筒OHV20バルブ
排気量:7,993cc
最高出力:331kw(450ps)/5,200rpm
最大トルク:664N・m(67.7kgm)/3,700rpm
燃費:-
乗車定員:2人
駆動方式:FR
ミッション:6MT
サスペンション形式:(F・R)ダブルウィッシュボーン

 

(中古車相場とタマ数)
※2021年2月現在
RT/10:428万~・2台
GTS:588万~673万円・3台

歴代で唯一、日本へも正規輸入された「美しき毒蛇」

初代ダッジ バイパーGTS / Photo by NVitkus

初代バイパーはデビュー当時、唯一ヨーロピアンスーパースポーツにも対抗可能なアメリカンマッスルカーとしてユーザーから歓迎され、レースでも大活躍したモデル。

「ダッジ」ブランド上陸前の日本でも「クライスラー バイパー」として1997年から2003年まで、歴代モデルで唯一、正規輸入・販売されていました。

そして、それまで「力強い印象だけど、見掛け倒し」のように見られがちだったアメリカンマッスルカーが見直されるのに大きく貢献し、「強いアメリカの復活」を強烈に印象づけた車でしたが、それだけに2代目以降の正規輸入販売が実現しなかったのは惜しまれます。

「細かい事はともかく、パワーでドーンと行くんだよ!」という8リッターV10の叫びだけでなく、流麗なデザインにも包まれた「美しき毒蛇」初代モデルのデザインは、デビューから約30年が経った今もなお、新鮮です。

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