子供の頃から憧れだった『シボレー』の、ファクトリードライバーとしてのシートを獲得するも、NASCARにこだわり続けた古賀琢麻選手。何を失っても、自分にはやっぱりNASCARしか無いと決断した男の熱い気持ちの先に、どのような世界が待っていたのでしょうか。
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再び手にしたNASCARへの道
子供の頃の夢を全て叶えたかに見えた古賀選手が、そのすべてを失う覚悟で手にしたNASCARへの道。
1度は見失うも、誰よりも真っ直ぐに誰よりも純粋に目指し続けたその先で、彼はいったい何を想い何を手にしたのでしょう。
ーーー シボレーのファクトリードライバーというポジションを蹴ってまで追いかけたNASCARの道。それが、現在へと続くのですね!
ちょうどシボレーのファクトリードライバーの発表をする予定だったイベントに、NASCARシリーズのディレクターとかも出席してて、全く変わってないの、俺が出てた頃から。
「TAK久しぶりじゃん、どうしたの」って。
「実はNASCARに復帰したい。K&Nシリーズ出たいんだけど。」って言ったら、NASCARの協会が僕の為にシボレーユーザーのチームを探してくれた。
11年もNASCARレースに出てないのに、あっという間のトントン拍子で話が進んで1週間ぐらいで体制を決めてくれた。
それが今の所属チームJOHN KREBS CHEVROLET RACING。
ーーー 今まで辛いことがいっぱいあったと思うんですけど、NASCARドライバーを目指し続けられた原動力は?
辛いことはあったかもしれないけど、嫌なことは時間が解決するから忘れる。
せっかくヤルんだったら、せっかくヤラせてもらえるもんだったら全力でやりたい。僕の場合。
僕がNASCARで怪我したからって会社に融資を頂いている銀行の返済は待ってくれないし、僕がレースで具合悪くて精神的に調子が悪いからって月末の支払いも待ってくれないから。
だけど、せっかく子供の頃から憧れたレースを出来るのならNASCARかなって。
10年以上もブランクがあるのに、みんなすごい暖かく迎えてくれて。
僕って日本のバックグラウンドは何もないから、NASCARの人たちからすると、シアトルのローカルシリーズから出て来たやつだと思ってるの。
だから日本人なんだけど、シアトルの人たちが今でも凄く応援してくれている。
日本からパッとアメリカに来てキャリアがないのも、結果的にはよかったかなって感じ。
アメリカ人も僕がどれだけNASCARのことが好きか、わかってくれてる。
強く願っている事は、口に出してみると意外に道が開けていく。
しかし、夢を言葉にする事は、誰にでも出来る訳ではありません。
その強い気持ちと勇気こそが古賀選手の才能と言っても過言ではないのです。
実業家、古賀琢麻
レーシングドライバーとしてだけではなく、実業家としても活動を続ける古賀選手。
憧れのNASCARへの道を手探りで探しながら、VRドライビングシミュレーターを手掛ける会社を経営するなど、実業家としても夢を叶えてきました。
『好きな事を仕事にする。』まさにその言葉を体現するかのようなその道は、どのようなものだったのでしょうか。
ーーー 会社はいつ作ったんですか?
2004年。NASCARに出てるときだね。26、27歳ぐらい。
なんで会社をやったかっていうと、当時NASCARに乗るためには相当額のスポンサーを必要としていた。
でも財布の中に1000円も入ってなかった事がザラにあって・・・。
アメリカのNASCARで成功するために相当額をお願いに回っているのに、自分の飯ぐらいは自分で食おうと思って始めたのが会社を起こしたキッカケ。
最初はアメ車屋を始めて、中古のカマロをオークションで仕入れて、ちょっとカスタムして売ってた。
ーーー アメ車屋から、どうやって現在の会社になったんですか?
もともとはアメ車屋で始めて、それからアルミホイールの総輸入元をしてみたりしている流れで、シボレーのアフターパーツを作ることになった。
でも日本とアメリカで自分じゃなきゃ出来ないって仕事を模索している中で、現在のシミュレーター事業に出会いましたね。
ーーー 古賀さんにとってレースって何ですか?
ちょうどこの前、昔から知ってるレース関係者と日本のサーキットであった時に「もうサーキット行ってもワクワクしないんだよね。」とか言うのよ。
僕は、今だに早足になって行きたい。
アメリカのレーストラックでも、結構早足になって行っちゃうぐらいドキドキしてる。
ワクワク。そういうものかもしれない。未だに。
NASCARをドライブすることは、あれほどスリリングなことは他では感じられない。
だって800馬力で走ってるのにスライディングしながら壁の間近を走るなんて、こんな刺激的な事って他に無いもん。
子供の頃から何度も何度も通ったはずのサーキットへ行くことに、レーシングドライバーとなった現在でもワクワクできる。
そんなドライバーが、いったいどのぐらいいるのでしょうか。
ドライビング技術という才能だけではなく、その純粋な気持ちに多くの人が共感し、応援してくれる。
それが、古賀選手の魅力なのです。
まとめ
多くの人は夢があっても、やりたいことがあっても、お金が無いから時間が無いから、つながりが無いからと言い訳をして諦めてしまいます。
しかし何が足りなくても、まず行動し言葉にする。
そうやってチャンスを掴みとってきた古賀選手の挑戦は、ここからも留まる事はありません。
次はどんな無謀なチャレンジをしてくれるのか、これからの活躍にも注目していきたいと思います。
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