京都のトミタ夢工場が開発し、1995年に登場するや瞬く間に430台のオーダーを集め、イギリスで工場を立ち上げて1997年に生産を開始したのも束の間、運輸省(当時)の朝令暮改じみた保安基準改正と撤廃による混乱で、総生産台数わずか220台で終わった「トミーカイラZZ」。その後も時代に翻弄され続けた悲劇のマシンは、まさに「夢のスポーツカー」でしたが、その夢は未だ続いているようです。

トミーカイラZZ / Photo by Zero 935

ある車好きの無鉄砲な情熱が産んだ、奇跡の軽量ライトウェイト・オープンスポーツ

なんともスパルタンなトミーカイラZZのコクピット / 出典:http://www.webcarstory.com/voiture.php?id=5814

軽量なアルミ押し出し材のモノコックフレームに、「動物的な可愛らしさや親しみやすさ」を持たせた丸みあるユーモラスな印象と、脱着可能なルーフをリアに載せられる合理性を持つ、ムーンクラフトデザインのボディを載せて、車重はわずか690kg。

しかも安価に開発できるように既存部品を可能な限り使い、リアミッドに搭載したSR20DEは、チューニングを容易にするべく、あえて電子制御インジェクションを不使用。京浜(現・ケーヒン)CRキャブ4連装で180馬力と、車重に対して十分な動力性能と、軽量コンパクトさを生かした俊敏な運動性を誇る、2座オープンスポーツカーが、トミーカイラZZです。

開発したトミタ夢工場の創業者、富田 義一が「地味にサラリーマンなんかやっていたら、いつまでもかっこいいスポーツカーなんて買えない!」と1967年に、資金もないのに京都でトミタオート商会を立ち上げ、好きなスポーツカーばかり売っていたらこれが大当たり。

持ち前の無鉄砲とすら言える情熱で、とにかく自分の好きな車ばかり売りさばいているうちに、大衆車ベースで小排気量ながら軽量で速いアルピーヌ・ルノーA108に出会い、「これなら俺でも作れるかも?」と、自力でのスポーツカー開発を夢見るようになります。

そして西ドイツ(当時)で訪れたAMG(現・メルセデスAMG)が「拍子抜けするほど町工場なのに、世界中から金持ちがAMGのチューニングカーを買いに来る」という光景に衝撃を受けると、「これは自分も自動車メーカーになれる!」と開眼。

動物的な可愛らしさをコンセプトにした曲線的なデザインはムーンクラフトによるもの / Photo by Zero 935

日産との関係を深めると、日本初のメーカー公認チューンド「トミーカイラM30」(R31スカイラインクーペがベース)を1987年に発売。

日本自動車工業会の加入メーカーではないことによる280馬力自主規制の影響を受けない立場を利用し、350馬力を誇るZ32フェアレディZベースチューンド「トミーカイラM30Z」を発売するなど、その名を轟かせました。

しかし、「このままパワー競争の流れに乗ってハイパワー車を作っていては、いつか行き詰まる」と気づいていた富田氏は、チューニングコンプリートカーとは別の、もうひとつの柱としてオリジナルスポーツカーを開発します。

そして実際の開発を主導した副社長の解良 喜久雄氏と、「2人の爺さんが夢見たスポーツカーを作ったから爺・爺」という意味で、「トミーカイラZZ(爺爺)」と名付けました。

盗作疑惑を切り抜け、運輸省に翻弄されつつ220台を生産したが…

2009年に富田氏のもとへ帰還、2017年に京都の北野天満宮で展示されたZZ II / Photo by Zero 935

トミーカイラーZZは1995年7月に東京プリンスホテルのマグノリアホールで盛大な発表イベントが行われ、「小規模メーカーから生まれた本格国産スポーツ」の登場に沸き立つと、その勢いで翌8月の予約開始から問い合わせが殺到。

430台のオーダーを集めましたが、発表直後に思わぬ方向から「疑惑」が向けられます。

それは、イギリスのメディアやカーマニアを中心とした猛烈な批判です。

「アルミ押し出し材のモノコックフレームを使った軽量ミッドシップスポーツなんて、ロータスが1995年のフランクフルトショーで発表したエリーゼと同じじゃないか!」

「また日本人が真似をしたのか!」

しかしこれにトミーカイラは「1994年の段階でプロトタイプがサーキットテストを行っており、1994年12月に発売された日本の自動車誌(カーグラフィック)にも掲載されている。ロータスの真似などできるはずもない。」と反論。

この見事な「反撃」にイギリス人もさすがに納得せざるをえず、むしろ名門ロータスに先んじた事への称賛に転じ、ついにはイギリスの国営放送BBCが取材に来日。

「NHKはこんなスゴイ車の事を知らないの?日本人って損だね。」と、目を白黒させる始末でしたが、この事態はむしろZZにとってプラスに働きます。

それまでのメーカー公認チューンド「トミーカイラ」シリーズにおいて、自動車界の先駆者が大抵そうであったように、トミタ夢工場の富田氏も当時の運輸省と猛烈なつばぜり合いを演じた経緯から「日本で公認を取って量産していたら何年かかるかわからない」と運輸省に見切りをつけており、小規模自動車生産事業者(バックヤードビルダー)に理解を示し、むしろ奨励するイギリスでの生産を決めていたからです。

そして1996年にはトミーカイラUKを設立。

搭載するSR20DEエンジンはオランダで生産されているなど、日産の部品はヨーロッパでも手に入ったことに加え、その他の小規模生産向け部品業者の手配や、最終組立を担当するエンジニアにもロータス出身者などを揃えるなど、万全の体制を整えました。

しかし、いよいよ生産を開始し、1997年にはZZ量産型のプロトタイプを完成させた頃、運輸省が突如として「保安基準を改正し、ヨーロッパ製小規模生産車にも、北米基準の衝突安全実験を義務付ける」と言い出したのです。

そんな事になればイギリス製のZZも完全再設計となり、仮にそうしたとしても当初のコンセプトからはかけ離れてしまうのは確実で、富田氏はやむなくトミーカイラZZの生産中止と、トミーカイラUKの閉鎖を決断します。

ところが案の定、「日本はまた非関税障壁を始める気か!」とヨーロッパ各地から猛烈な抗議が巻き起こり、その外圧に屈した運輸省はわずか半年で問題の保安基準改正を撤廃しますが、その頃にはトミーカイラZZをオーダーしていたユーザーへ、生産中止を告知した後でした。

そのため「今からでも買うなら作る!」と再開したオーダーに応じたのは230人。当初の430人からはだいぶ減ってしまいましたが、「それでも欲しい」という熱烈なユーザーのために、ついにトミーカイラZZの量産が始まります。

結局、総生産台数220台、うち国内登録206台という実績を残してトミーカイラUKは閉鎖。富田氏率いるトミタ夢工場には約4億円もの負債が残り、報道番組で「朝令暮改で日本のバックヤードビルダーを潰した運輸省」と批判する特集さえ放送されたものの、どうにもなりませんでした。

日本初の量産EVスポーツとして、GLMにより復活したEV版「トミーカイラZZ」 / Photo by Zero 935

さらには、関係が深かかった日産の経営悪化とルノー傘下入りが確定。それに伴い決定間近だったとも言われる日産との大型プロジェクトも頓挫してしまい、ZZ後継の「ZZ II」は開発部門ともどもオートバックスの関連会社ASL(オートバックス・スポーツカー研究所)へ渡り、同社が開発・販売を試みて後に頓挫するスポーツカー「ガライヤ」の開発車両RS-01となって、ZZ IIの夢もまた潰れてしまいます。

ASL「ガライヤ」の市販頓挫後、ASLへ預けられていたZZとともにRS-01も富田氏の元へ「帰還」。再びZZIIとしての姿を名実ともに取り戻しますが、その頃には既にトミタ夢工場は倒産(2003年)していました。

しかし、その後再就職したエンジニアを通してトミーカイラの事を知った京都のEVベンチャー企業「グリーンロードモータース(現・GLM)」により、トーカイラZZのデザインをリファインした上でEVスポーツとして復活させる事が決定。

旧世代最後の国産スポーツ的存在だったトミーカイラZZは、新たなパワーユニットを得た国産初の新世代EVスポーツカーとして2013年に発売されるなど、夢は再び走り出したのです。

主要スペックと中古車価格

トミーカイラZZ / Photo by Zero 935

トミーカイラZZ 1997年式
全長×全幅×全高(mm):3,630×1,740×1,100
ホイールベース(mm):2,375
車重(kg):690
エンジン:SR20DE 水冷直列4気筒DOHC16バルブ CRキャブレター4連
排気量:1,996cc
最高出力:132kw(180ps)/6,900rpm
最大トルク:192N・m(19.6kgm)/4,900rpm
乗車定員:2
駆動方式:MR
ミッション:5MT
サスペンション形式:(F・R)ダブルウィッシュボーン

(中古車相場とタマ数)
※2021年5月現在
トミーカイラZZ(初代):ASK(価格応談)
トーミカイラZZ(GLMのEV版):ASK

いつか燃え尽きようとも、疾れ!

トミーカイラZZ/ 出典:http://www.webcarstory.com/voiture.php?id=5814

無鉄砲とも言える情熱のままにひたすら走り続け、ついに夢を実現させた!と思われた瞬間に絶望へ突き落とされたり、少し立ち直ったり、でもやはり沈んで行ったりと、歴史の荒波員翻弄され続けた富田氏とトミタ夢工場、そしてトミーカイラZZ。

形はともかく、思い浮かべた夢とだいぶ違う中身となり、GLM自体も近年はZZなどの完成車事業を見直し、プラットフォーム事業へ注力するなど波乱はありそうなものの、まだまだ全てが途絶えたわけではありません。

2013年にはEV化で動力性能を向上させた新生「トミーカイラZZ」として再出発し、2017年5月に京都の北野天満宮へZZ IIを展示した富田氏も「(ZZ IIを)あと5台作る!」と意気軒昂だったようで、解良氏と2人で「爺さん2人が作ったからZZ(爺爺)」と名付けたとはいえ、まだ40代後半だったあの頃から20年以上たっても、まだまだ盛んです。

そうした矢先、全世界を襲った新型コロナウイルス禍でまた先の見えない世の中になってしまいましたが、「ZZは滅びぬ、何度でも蘇る」のか、それとも今度こそ眠りについてしまうのか、今後も目が離せません。

※なお、本稿執筆にあたり、富田氏が2007年より続けているブログ「富田 義一 車お宝話 ライフ・チューニング 〜これからの挑戦〜」を拝見して感銘を受けるとともに、富田氏による執筆部分を内容の参考とさせていただきました。重厚なエピソードの数々で日本自動車史の一端を彩っているこのブログはかなりボリューム満点ですが、クルマ好きなら読んで飽きないオススメです。