イタリアの自動車メーカー、ランチア。現在の日本ではあまり馴染みはありませんが、かつては数々のラリー車によって、モータースポーツの名門と呼ばれた時期もありました。その名門ランチアが日本まで名声を轟かせたモデルが、初代ランチア デルタ。グループA時代前半のWRCを最強マシンとしてけん引した、文字通りの名車です。そのグループAラリーベース車を中心に、初代デルタをご紹介します。
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傑作ハッチバックから突如WRCの表舞台へ
初代ランチア デルタが発表されたのは、1979年。
1975年に登場した初代フォルクスワーゲン ゴルフが大人気でヨーロッパ、そして日本でも2BOXハッチバック車を盛んに作り始めていた頃です。
デルタはその中でもジウジアーロが手掛けたデザインで、フィアットグループの中でも高級車ポジションにあったこともあって、上質感のある内装も加わり好評を得た傑作ハッチバック車となりました。
そして、1980年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したのです。
その時点でのデルタは1.3~1.9リッターまでのガソリン、またはディーゼルエンジンを搭載したプレミアムコンパクトというべき5ドアハッチバック車で、後のラリー最強マシンの面影はまだ見えてこない時期。
1985年にはWRCグループB用マシンのデルタS4が登場しますが、販売促進用にデルタのイメージに近いボディを被せただけ、中身は1.8リッターツインチャージャーをリアミッドシップに縦置きして4輪を駆動する、ラリー版シルエットフォーミュラのような車でした。
しかし1986年、ツイスティなツール・ド・コルスのコースで、あまりに速過ぎたデルタS4は名手ヘンリ・トイヴォネンをもってしても制御しきれずに崖下に転落し炎上。
それにより、トイヴォネンとナビのセルジオ・クレストは還らぬ人となってしまいます。
この事件をキッカケに、かねてから「あまりに速く過激に過ぎる」と言われてきたグループBラリーマシンはいよいよWRCから姿を消すことが決まり、翌1987年からは市販車ベースで改造範囲の狭いグループAラリーマシンで、WRCは戦われることとなりました。
とはいえ、急激なレギュレーション変更でトップチームは大混乱。
特にグループAホモロゲーションを満たす生産台数を、WRCに適したマシンで達成可能なメーカーはほとんどありません。
ただひとつ、ランチアを除けば。
既にデビューから7年が経過していながらも、デルタS4が広告塔として走っていたようにまだまだモデルライフの残っていたデルタを、今度は「デルタ風マシン」ではなく、それ自身をグループAラリー仕様に仕立て上げる事にしたのです。
その作業はフィアットグループのモータースポーツ部門となっていたアバルトに託され、グループB廃止の決まった1986年5月からグループAホモロゲーションを取得するため、同年末まで5,000台を生産する突貫プロジェクトが始まりました。
最初からモータースポーツ参戦などは考慮されていなかったデルタでしたが、アバルトの情熱的努力とFIA(国際自動車連盟)による急激なレギュレーション変更を考慮した「クリスマスまでに3,800台程度を生産すればよし」という緩和措置により、どうにか達成可能に。
こうしてデルタをベースに2リッターDOHCターボエンジンを搭載。
4WD化したコンパクトな4WDターボホットハッチ、デルタHF 4WDは1987年のWRCに間に合い、何度かのバージョンアップを経ながらその後数年間、WRC王者として君臨するのでした。
グループA時代前半WRCの牽引役としてバージョンアップを繰り返したデルタ
急きょ切り替わったグループA時代に「間に合った」他のグループAラリーマシン達は万全の状態とは言えない中、デルタのグループA仕様は最初から比較的高い完成度を誇りました。
他のメーカーワークスがグループAとはいえ、ツーリングカーレースから引っぱってきたような大柄の2WDマシンや、コンパクトなハッチバック4WDでもパワー不足、あるいは4WDターボでも大柄すぎるなど何かしら間に合わせの不都合感があったなか、最初のグループA仕様ランチア デルタ HF 4WDでも、コンパクトな5ドアハッチバックボディに十分なパワーを持つ2リッターターボと4WDシステムの組み合わせは、それだけで大きなアドバンテージ。
もちろんHF 4WDも「急ごしらえ」にはすぎなかったので、ブリスターフェンダーで車幅とトレッドを拡大したHF インテグラーレ(いわゆる「8V」)エンジンをマルチバルブ化したHF インテグラーレ16Vへとバージョンアップ。
最終的には各部を強化した上でドアパネル一体型の大型ブリスターフェンダーでさらに拡幅した、HF インテグラーレ16V エボルツィオーネまで進化しました。
最初のHF 4WDではまだ通常版デルタの面影がありましたが、後のモデルになるほどいかつくなっていきました。
そして空力パーツも付与され、エンジン冷却用にフロントやボンネットには可能な限り穴が開けられて、ブレーキ排熱用アウトレットまで設けられています。
ただし基本的に1980年代後半から1990年代初期のマシンなので市販版の最高出力はHF 4WD(1986年)の167馬力に始まり、最終型でラリーには出なかったHFインテグラーレ16VエヴォルツィオーネII(1993年)でも215馬力止まり。
当時としても格別ハイパワーでは無く、例えばエヴォルツィオーネIIと同年にデビューした三菱 ランサーエボリューションなどは250馬力だったので、スペック上はかわいいものでした。
しかしそうしたスペックはどうあれ、ラリーでの実績から得られた輝かしいイメージは揺るぐことなく、現在でもデルタはモータースポーツの名門としてのランチア最後の名車として、見る者を魅了しています。
ワークス参戦を続けた間、常に王者にあったグループAデルタ
1986年、緩和措置により3,800台程度の生産に成功。
グループAホモロゲーションを取得したデルタ HF 4WDは早速1987年のWRCに出場し、開幕戦のモンテカルロで1-2フィニッシュのデビューウィンを飾ったのを手始めに13戦中9勝と圧倒的なポテンシャルを発揮します。
そしてコンストラクターズ(メーカー)・タイトルは元より、ドライバーズタイトルもデルタのユハ・カンクネンが獲得。
翌1988年は途中からHF インテグラーレ(8V)に切り替えたものの、熟成期間を置くまでも無く11戦中10勝と圧倒的勝利、ドライバーズタイトルもデルタのミキ・ビアシオンが獲得しました。
また、1989年も途中からHF インテグラーレ16Vに変更され、コンストラクターズ、ドライバーズ(またもやミキ・ビアシオン)の座はもはや不動のものとなっていきます。
翌1990年は、ドライバーズタイトルこそトヨタ ST185セリカGT-Fourのカルロス・サインツに譲ったものの、コンストラクターズはランチアで不動。
1991年もコンストラクターズはランチア、ドライバーズはユハ・カンクネンとデルタの圧倒は続きました。
そして同年9月にエヴォルツィオーネIが発表されたものの、ランチアは同年限りでのワークス撤退を表明。
1992年はマルティニ・レーシングを引き継いだプライベーターのジョリー・クラブにエヴォルツィーニIが託され、1990年同様ドライバーズ・タイトルこそサインツに持っていかれたものの、コンストラクターズタイトルはランチアがしっかりゲットしました。
その後1993年にマルティニ・レーシングが撤退した後も、デルタはプライベーターの手で参戦を続けますが、熟成の進んだトヨタのST185セリカGT-Fourや新参のフォード エスコートRSコスワース、スバル レガシィRSの後塵を拝し、これがWRC参戦最後の年になっています。
1987年から1992年までの6年連続マニュファクチャラーズタイトルの獲得と、4度のドライバーズタイトルはまさに「無敵ランチア デルタの黄金時代」というべきでしょう。
無論、WRC以外にもラリーなどで活躍しており、日本国内でも1987年~1988年に前嶋 光男選手がデルタ HF 4WDで全日本ラリーCクラスに出場、1987年10月のハイランドマスターズではクラス3位に入賞するなど、数少ないながらも実績があります。
ランチア デルタ 主なスペックと中古車相場
ランチア デルタ HF インテグラーレ エヴォルツィオーネII 1993年式
全長×全幅×全高(mm):3,900×1,770×1,365
ホイールベース(mm):2,480
車両重量(kg):1,300
エンジン仕様・型式:水冷直列4気筒DOHC16バルブ ICターボ
総排気量(cc):1,995cc
最高出力:215ps/5,750rpm
最大トルク:32.0kgm/2,500rpm
トランスミッション:5MT
駆動方式:4WD
中古車相場:359万~448万円(各型含む・ほかASK多数)
まとめ
1995年、ゲームセンターで初の本格的ラリードライビングゲーム「セガラリー」が登場した時、選べたマシンはカストロールカラーのセリカ(ST205)とマルティニカラーのランチア デルタでした。
既に1993年を最後にWRCを去っており、マルティニ・レーシングによる活動に至ってはその前年で終わっていたことを考えれば「ちょっと登場車種が古い?」と言われてもおかしくないのですが、それでも違和感を感じないほどインパクトが強烈だったということです。
WRCに興味が無い人でも、このゲームでデルタのカッコ良さに目覚めたという人もいるのではないでしょうか?
80年代後半から90年代はじめにかけて最も輝いていたラリーマシン、ランチア デルタは今でも「グラベルの王者」などと呼ばれて高い人気を誇っており、その後のラリー車には無い、カクカクと直線的で迫力のあるボディも魅力です。
それでいて決して無骨な感覚を抱かせないのは、日本ではあまり知られていないベース車の初代デルタが、いかに素晴らしいデザインだったかを表していると思います。
もっとも、2代目以降のデルタは初代がラリーで活躍しすぎたため、そのイメージが強烈で普通の乗用車としては初代ほどの成功を得られませんでした。
それを思うと、ランチア デルタにとってWRCとは栄冠をつかんだ一方、乗用車としての運命を変転させた複雑な舞台なのかもしれません。
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