1998年10月に新規格となってから現在に至るまでの軽自動車には、多様化したユーザーの好みに合わせて数多くの個性的なモデルが存在しますが、ある意味各分野で『尖った』モデルが販売されていたのはそれ以前の旧規格660cc時代だったかもしれません。後にも先にもこんな量販車が発売されることは無いのではないか、そんな軽自動車の代表格がオートザム AZ-1 / スズキ キャラでした。
スズキが基本コンセプトを生み、マツダが育てたAZ-1
1980年代のバブル景気がいよいよ始まろうとしていた頃、国産車でもデザインや動力性能、メカニズム面で1970年代までの古い思想を投げ捨て、新しい価値観に基づいたいくつものモデルが開発されました。
その中には実際に市販されたもの、少し形を変えて世に出たもの、モーターショーで発表されてそれっきりというものまで数多くありましたが、スズキが開発していた、R/S1(1985年)およびRS・3(1987年)もそんな実験的車両のひとつです。
2台ともカルタスGTi用の1.3リッターDOHCエンジンをR/S1は横置き、RS・3は縦置きでミッドシップに搭載したスポーツカーでしたが、それぞれ東京モーターショーにコンセプトカーとして展示した後、計画は軽FRスポーツP-89(後のカプチーノ)に移行していきました。
しかし、ミッドシップスポーツ計画自体はスズキから供給されたパーツを元に独自ボディの軽自動車(2代目 / 3代目キャロル)を開発・販売予定だったマツダに引き継がれる事に。
そして同社がバブル時代に立ち上げ、短期間存在した5チャンネル体制の1つ”オートザム”ブランドの目玉とすべく、軽自動車サイズにダウンサイズ化されたミッドシップスポーツは1989年の東京モーターショーにAZ550Sportsシリーズとして出展、好評を得て発売にゴーサインが出ます。
ただし、AZ-550は分厚いサイドシルを持つシャシー上にFRPボディを載せるという、MX-04(東京モーターショー1987に出展)以来のスケルトンボディ構造も組み合わせ、3つのボディが提案されていました。
TYPE-A:ガルウイングドアとリトラクタブルライトを持つ軽スーパーカー
TYPE-B:ヒンジドアを持つ軽ライトウェイトスポーツ
TYPE-C:バタフライドアを持つル・マン用グループCマシンのデフォルメ風
当時マツダは、 717Cから767Bに至るル・マン24時間参戦用マシンが新しくなるたび頭角を現していたこともあり、東京モーターショーでの来場者評価でも市販を望む声がもっとも大きかったのはTYPE-Cだったと言われています。
しかし、現実に販売してもっとも売れると判断されたのはTYPE-Aで、これを1990年2月からの660cc規格に手直し、重量やコスト、信頼性の問題から固定式ヘッドライトに変更した上で市販されたのがAZ-1でした。
ただし、ホンダ ビート(1991年5月)、スズキ カプチーノ(1991年11月)といったライバル車の中でもっとも遅い1992年9月の発売となり、バブル崩壊が決定的と認識された頃に売り出された極めて趣味性の高い軽自動車というハンデを負う事に。
ちなみに、1993年1月にはスズキOEM版のキャラも発売されています。
ガルウイングをはじめ、異例づくめの特殊な軽スーパーカー
AZ-1 / キャラと言えばまず目につくのは軽自動車唯一無二のガルウイングドアで、それとともにミッドシップ配置がゆえに低く絞り込まれたフロント部分も相まって、軽自動車ながらスーパーカールックを成立させています。
これだけでも十分に特異なのですが、分厚いサイドシルを持つがゆえに左右席とも中央寄りになっており、エアコンなど空調の操作コンソールに至っては縦置きというレイアウトです。
また、ミッドシップ車ではよくフロントフード下に搭載されるスペアタイヤは、衝突時にステアリングシャフトを押して運転手にダメージを与えかねないため、座席後方の空きスペース(荷室)に置かざるをえませんでした。
ミッドシップというよりもほぼRRというようなレイアウトになっているため、リアにトランクスペースは無く、その代わりに広い車内荷室を持ったのですが、これが見かけによらず広くて、その広さは座席後方の荷室にスペアタイヤを置いてもなお、結構な荷物を積載する事が可能なほどでした。
もっとも、横置きFFエンジンをリア後端近くに配置してフロントの重量物も少ないにもかかわらず、ガラスエリアの広さから上部の重量が重くなってしまうのは考えどころです。
しかし実はスペック上、前後重量配分は44:56とビートと同程度で、通説のように極端にリアヘビーというわけではありません。
ただ、サスペンションジオメトリーの煮詰めが甘かったのか、あるいはロックtoロックわずか2.2回転と超クイックステアがゆえか、特にウェットコンディションでの操縦安定性は乗り手を選ぶほどであり、万人向けとは言えなかったようです。
また、同じくFF車のパワートレーンをミッドシップ化した軽スポーツ、ビートと同様の横転リスクやターボ車ゆえに補器類などが高い位置にあった上に、窓の開閉部が高速道路の料金所などでチケットをギリギリ取れる程度の小ささだったことも問題になりました。
そのため運輸省(現在の国土交通省)から型式認証に関して難色を示されましたが、天井を下に転倒して周囲が無人で救助を受けられない状態でも、乗員の意識があればガラスを内側から破って脱出可能なことを証明してどうにかクリアしています。
このように乗り手を選ぶスリリングな車ではありましたが、走り出しさえすれば、そのコンパクトさと機敏な動き、パワフルなターボエンジンによる加速はクラスを超えた走行性能を発揮し、ドライバーを魅了しました。
モータースポーツでの活躍と最高速記録
熟達したドライバーが乗れば高い運動性能を発揮するAZ-1は、もちろんモータースポーツでも活躍しました。
K4GPなど軽自動車向けのレースはもちろんのこと、全日本ジムカーナではホンダ・シティ(2代目GA2)が圧倒的性能でライバルを寄せ付けず、ワンメイク状態となっていたA1クラス(排気量1,300cc未満)で、GA2シティに挑む数少ないマシンとなったのです。
かつてGA2を相手に最高位2位を記録したこともあるダイハツ・シャレード926ターボほどではありませんが、全日本ジムカーナでも数台の参戦記録があり、地区戦以下のイベントでは上位入賞記録も残っています。
また、そのスーパーカールックから谷田部での最高速アタックでも好成績を残しており、リミッターカットしただけのノーマルAZ-1で187.26km/h、660ccのままでフルチューンしたマッドハウスAZ-1(上のInstagram画像)では、実に237.71km/hを記録。
もちろんマッドハウスAZ-1はタービンを交換して専用エアロを組んでいましたが、660cc規格のままでの最高速記録としては緑整備カプチーノ(241.69km/h)に次ぐ記録で、ノーマルではAZ-1が最速のようです。
実力的には240km/hオーバーも狙えた可能性もありましたが、フロントが軽すぎて高速での直進安定性のあるAZ-1では、フロントのダウンフォースを増やすための空力パーツによるドラッグ(空気抵抗)増加もあり、相当なパワーが必要だったと思われます。
主要スペックと中古車相場
マツダ・オートザム PG6SA AZ-1 1992年式
全長×全幅×全高(mm):3,295×1,395×1,150
ホイールベース(mm):2,235
車両重量(kg):720
エンジン仕様・型式:F6A 水冷直列3気筒DOHC12バルブ ICターボ
総排気量(cc):657
最高出力:64ps/6,500rpm
最大トルク:8.7kgm/4,000rpm
トランスミッション:5速MT
駆動方式:MR
中古車相場:78万~278万円(M2-1015など各型含む)
まとめ
バブル時代に開発されてもっとも最後に世に出た結果、軽スポーツABCトリオ(AZ-1・ビート・カプチ-ノ)の中でもっとも販売台数が少なく短命に終わってしまったAZ-1ですが、販売台数の少ない割に目立つスポーツカーということで、豊富な話題を提供してくれました。
登場からガルウイングが注目され、リトラクタブルライトの代わりに採用されたファニールックのカワイイスポーツカーという評価もあれば、実際にはかなり乗り手を選ぶ車だったこともあり、その評価は人によりかなりマチマチです。
バブル時代、それも企業規模を超えた壮絶なチャレンジの連続だった当時のマツダだからこそ発売できた車であり、今後はいかなるメーカーであれ、少なくとも内燃機関を積む軽自動車では同じような車はもう作れません。
いつかシティコミューター的な軽EVが登場した時にでも、もう一度このような遊び心のある車が登場してくれたら、面白いなと思います。
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