ロードレース全盛期の90年代前半から、ブルーフォックス(ホンダ)、カワサキワークスなど国内トップチームの契約ライダーとして、10年間に渡り鈴鹿8時間耐久ロードレース選手権に参戦し、好成績を残し続けた”武石伸也選手”。その後6年間のブランクを経て、2008年に再び8耐へ復帰を果たしてからは、トッププライベーターとして10年間走り続けてきました。

 

©ChikaSakikawa

 

1992年”鈴鹿8耐”日本人初のポールポジション

 

anチームブルーフォックスHONDA RVF750  / 画像提供:武石伸也選手

 

1992年7月24日(金)三重県、鈴鹿サーキット。

気温37℃という記録的な暑さの中、コース上では日曜日に開催される鈴鹿8耐決勝レースに向けた、1回目の公式予選が行われていました。

8耐の予選は、ペアを組む二人のライダーが各自計時予選で記録したベストラップの速い方が採用され、決勝日のスターティンググリッドを決定します。

ちなみに、当時の8耐は数多くのWGPライダー(現MotoGP™️)や”世界”を目指す各国の若手ライダー、それを迎え撃つ全日本のトップランカー達が集結するレースであった為、予選でのタイムアタックが世界に自分の実力を示す絶好の機会となっていたのです。

そして予選開始後、冴え渡る走りを披露していた”ファーストフレディ”の異名をもつ元世界GP500ccチャンピオンのフレディー・スペンサー選手(ホンダRVF750)が”2分14秒057”いう好タイムを記録してピットイン。

マシンのタイヤ交換が行われている間、歩み寄るスタッフにスペンサー選手がこう尋ねます「誰がいちばん速いんだ?」

質問を受けたスタッフは、ゼッケンナンバーと共にある日本人ライダーの名前を口にしました。

「8番武石だ!」

この年(1992年)、全日本TT-F1クラスに8耐と同じワークスマシンのRVF750を使って開発目的で参戦しており、鈴鹿のコースレコードホルダーでもあった武石伸也選手(ブルーフォックス)は、予選開始早々”2分13秒842”という素晴らしいタイムをマークしていたのです。

翌日の予選2日目には、ヨシムラ(GSX-R750)の青木正直選手、ホンダ(RVF750)の伊藤真一選手ら日本人のトップライダー達も2分13秒台に突入していきます。

そして、前日の予選でトップタイムを記録した武石選手、元世界チャンピオン、フレディー・スペンサー選手によるシーソーゲームのタイムアタック合戦が繰り広げられる中、この年限りでの8耐引退宣言をしていたワイン・ガードナー選手(RVF750)は若いペアライダーにタイムアタックは任せ、あくまでも決勝に向けたセッティングに徹していました。

そのガードナーとペアを組むのは、”ホンダの秘密兵器”と言われながら全日本に参戦していたダリル・ビーティー選手(RVF750)。

21才と若いビーティー選手に周囲や観客の注目と期待が一気に集まるも、結局2分13秒台という結果に。

そんな激戦が繰り広げられる中、ポールポジションを獲得したのは、前年の8耐レコードタイムを1秒以上縮める2分12秒870を記録したブルーフォックスの武石伸也選手でした。

これは、大会15年目にして『日本人ライダー初のポールポジション獲得』という歴史的な記録が刻まれた瞬間となったのです。

 

1992年FIM 世界耐久選手権シリーズ第3戦 “コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース公式予選結果

Pos. No. Rider Rider Machine TIME TEAM
1 8 武石伸也 岩橋健一郎 RVF750 2’12.870 ホンダ
2 12 青木正直 大阪賢治 GSX-R750 2’13.100 ヨシムラ
3 33 F・スペンサー 鶴田竜二 RVF750 2’13.121 ホンダ
4 7 伊藤真一 辻本 聡 RVF750 2’13.441 ホンダ
5 11 W・ガードナー D・ビーティー RVF750 2’13.565 ホンダ
6 123 北川圭一 T・クルークス ZXR750R 2’13.922 カワサキ
7 17 宗和考宏 塚本昭一 ZXR-7 2’13.935 カワサキ
8 34 P・ゴダード M・ドーソン GSX-R750 2’14.265 ヨシムラ
9 24 青木宣篤 青木拓磨 RVF750 2’14.372 ホンダ
10 21 藤原儀彦 永井康友 YZF750 2’14.621 ヤマハ

 

 

1992年ポールポジション獲得について

 

BMW Financial Services 135 武石伸也選手 / ©ChikaSakikawa

 

ーーー 8耐、日本人初のポールポジションについて当時を振り返りながらお聞かせください。

ブルーフォックスというチームで、HRCから8耐で海外の選手が来た時に使用するRVFの開発を任されていて、それを見据えたマシンで全日本に参戦していました。

そして、8耐に向けての色々なデータを取ったり、いいのか悪いのか全日本でテストしながら鈴鹿8時間耐久ロードレースに、繋いでいくという任務を任されていたということもあり、それだけ一番長く、かつ多くRVFに乗っていたのは僕だったので・・・

慣れ親しんだ“鈴鹿”で、“8耐”っていうなら当然、『僕がこのオートバイに乗ったら1番速く走らせられるんだ』っていう瞬間的なスピード。

“そこ”にはホントにこだわっていました。

日本人初のポールポジションというのは、逆に意識していたのでは無くてスピードを追い求めたら結果がポールポジションだったので『ああ、そうだったんだという感じでした』。

8耐での優勝っていうのは当然狙っていましたけど、自分自身のスピードをアピールできるのは予選までだと思いますし、僕たちはブルーフォックスという、あくまでもサテライトチームなわけで8耐の体制的にいうとファクトリーチームというのがあるから、優勝するというふうになると結構ハードルは高かったですね。

振り返ると僕自身ワークスマシンに乗り始めて1年目だったので、もう勢いというか自分はとにかく速く走りたい!!そして速くなりたいという”一心”で走っていました。

 

8耐復帰のきっかけ、そしてトリックスターレーシング時代について

 

TRICK☆STAR RACING K-ZX-10R / 画像提供:武石伸也選手

 

1992年、1994年、1997年鈴鹿8耐決勝3位入賞、1993年から1995年の8耐予選連続2位獲得など、ポールポジション獲得の他にも華々しい成績を残してきた武石選手に、契約ライダー時代の印象に残っているレースを尋ねてみました。

すると意外にも「あんまり良い結果のレースって記憶に残っていないんですよね。転んで悔しい思いをしたとか、自分のミスで足を引っ張ってしまったレースで印象に残っているのはありますね。」と当時のメーカー契約ライダーの責任の重さを感じる回答が・・・。

そんな悔しさを少し残しつつも武石選手は、2002年の8耐参戦終了後に、これからの人生について再考し、何かしなくては終わってしまうのではという気持ちや、レーシングライダーとしての怪我へのリスクに対する不安などから、一度サーキットを去って契約ライダーとしての活動を終了してしまいます。

しかし数年後、地元北海道のイベントで訪れた十勝スピードウェイで、武石選手はあらためてサーキット走行の楽しさと”その場所”の居心地の良さを認識したそうです。

そして転機が訪れたのは、ある人物との再会からでした・・・。

 

ーーー 2008年に8耐に復活したきっかけを教えてください。

ライダー同士の忘年会の席で、アマチュアライダー時代からいろいろと付き合いのあった鶴田竜二選手(トリックスターレーシング代表)に会って、その時に、“もう1回8耐に出てみたいなって”という思いがあったので「8耐に出たいんだけど。」、「おまえ乗れるのか?」という感じの会話をしていたんです。その時は、酒の席での話だったんですけど・・・。

その後、しばらく経ってから連絡が入って「じゃあ、ちょっと乗ってみる?」という感じで出場したのが、実は2008年の8耐なんです。

 

ーーー 翌2009年、トリックスターレーシングで2位表彰台を獲得したレースについて

”荒れたレース”に上手く展開出来たというのもありますし、その当時はファクトリー系の息がかかったチームが、3チームくらいしか出場していなかったんですよ。

だから、自力でトップ10、上手くいって6位以内、奇跡が起きて3位以内だねって言えた時代。

その”奇跡”が起きたのがその年でした。

「今何位だぞ」とか、「前に何位がいるぞ」とかそういうサインボードも必要無かったし、雨が降ってもタイヤは換えないとか、施策が上手くドンピシャにはまって、やれることをその場、その場で精一杯やった結果、ゴールしたら2位だった・・・。

最初の頃のトリックスターレーシングって本当に小さいチームだったんですけど、それがどんどん目標に向かって転換していき、トリックスターはもっともっと上を目指したいという感じでチームが成長していきました。

 

鈴鹿8耐参戦活動休止について

 

BMW Financial Services 135 武石伸也選手 / ©ChikaSakikawa

 

ーーー 8耐参戦活動休止について

こうやって復帰してから10年間プライベーターライダーとして鈴鹿8時間耐久ロードレースに参戦してきて、その活動を休止しますという感じで、”引退”とは言いたくないんですよね。

引退っていうとなんかこう”さみしいなぁ”っていう感じで・・・。

自分自身が、気持ちの中では引退なんだろうなって思ってる部分もあるんですけど。

例えば、鈴鹿の地方選手権、サンデーロードレースとかいったものもあるじゃないですか?そういうのに出てもいいと思うんですよ。

だからまあ、鈴鹿8時間耐久ロードレースに対して、いままで1年かけてやってきたことは休止しますって言葉に変えさせてもらった訳で、自分はもうオートバイから降りますとは言うつもりはないし、まあ逆に言うと自分はバイクが好きなので、菅生の地方戦とか十勝なんかも含めて、レースをやれる様になれたらいいなって思っています。

 

ーーー 鈴鹿8耐に対する思いみたいなものがあればお聞かせください。

いままで、ライフワークとして本当に8耐があるから頑張れた部分もあるし、それが無くなるとどうなるかは・・・想像できないですね。

”最後”っていう言葉を出さないとならない時が来たのかな?

また、なんかこうライダーとしてではなくて、例えば自分のチームとかを作って、8耐にのぞめたらいいなっていう夢はありますけど、それはそんな簡単ではないじゃないですか?

サーキットに限らず、ライディングスクールだったり、どんなオートバイでも乗っている事が大好きで、そういった”楽しさ”をこれから他にも伝えていきたいという思いはあります。

”8耐”以外のことでモータースポーツに携われることって有ると思うので、そういった事を目指していくべき年齢になったんだと思うんですよね。

インタビュー実施日2018.7.26 / 場所 鈴鹿サーキットパドック

 

まとめ

 

BMW Financial Services 135 チーム / ©ChikaSakikawa

 

2018年7月27日(金)三重県、鈴鹿サーキット。

26年前と同じ記録的な暑さの中、コース上では日曜日に開催される第41回鈴鹿8時間耐久ロードレース決勝に向けた、1回目の予選が行われていました。

武石伸也選手は、最後の8耐に『BMW Financial Services 135』からBMW S1000RRを駆り挑戦。

チームメイトである、クリスチャン・イドン選手に変わってマイケル・ラバティ選手が、予選のタイムアタックにコースインして行きました。

複数のライダーが同じマシンを操る耐久レースでは、それぞれが乗り易い様に1台のマシンをセッティングしていかなければなりません。

セッティングはあくまでもお互いの妥協点を探す作業で、各ライダーはテクニックを駆使してマシンを操ります。

しかし、僅かなフィーリングの違いからか、時にいとも簡単にマシンに裏切られてしまうのです。

迎えた予選、マイケル・ラバティ選手がコースインして間もない逆バンクでフロントからスリップダウン。

本番用のマシンを損傷してしまいます。

マシントラブルにより、もう1台のスペアマシンで予選に出走した武石選手は、絶対にマシンを壊さないようにレーシングスピードで走るという難しい闘いに挑み、1回目の予選を無事に走り終えました。

そして2回目の予選はイドン選手に続き、1回目は計測無しの”No Time”となってしまっていたマイケル・ラバティ選手が、スペアマシンでタイムを刻み、3人の平均タイムが算出され予選24番手を獲得。

決勝を見据えた武石選手は、自身最後の予選走行枠をキャンセルしてコース上には現れませんでした。

 

©ChikaSakikawa

 

台風の影響により安定しない空模様の中、スタートが切られた今年の鈴鹿8時間耐久ロードレース。

予選のアクシデントにもBMW Financial Services 135チームは上手く対応し、ライダー3人のコミュニケーションも上々で、決勝のリザルトには期待がかかります。

そして、途中激しい降雨でウエットになったりドライになったりと難しい路面コンディションのなか、武石選手は高いレベルで安定した走りを披露して自身のセッションを走り終えました。

レース中盤、タイヤトラブルでピットインを余儀なくされるアクシデントなどもありましたが、マイケル・ラバティ選手、クリスチャン・イドン選手も共にコンスタントな走りを披露し、BMW Financial Services 135チームは、見事総合15位でチェッカーを受けたのです。

 

2018 FIM世界耐久選手権シリーズ最終戦“コカ・コーラ”鈴鹿8時間耐久ロードレース

決勝レースリザルト

 

Pos. No. Team Type Laps TotalTime
1 21 YAMAHA FACTORY Racing YZF-R1 199 8:00’01.728
2 33 Red Bull Honda with Japan Post CBR1000RR 199 8:00’32.702
3 11 Kawasaki Team GREEN ZX-10RR 198 8:01’43.310
4 95 S-PULSE DREAM Racing・IAI GSX-R1000 196 8:00’02.311
5 5 F.C.C TSR Honda France CBR1000RR 196 8:01’04.467
6 94 GMT94 YAMAHA YZF-R1 196 8:01’48.403
7 22 Honda Asia-Dream Racing CBR1000RR 195 8:00’05.666
8 19 KYB MORIWAKI MOTUL CBR1000RR 195 8:01’15.526
9 111 Honda Endurance Racing CBR1000RR 194 8:00’45.594
10 12 YOSHIMURA SUZUKI MOTUL  GSX-R1000L8 194 8:01’14.582
11 71 Team KAGAYAMA U.S.A  GSX-R1000L8 194 8:01’53.734
12 2 SUZUKI Endurance Racing Team GSX-R1000 193 8:00’12.004
13 39 BMW Motorrad 39 BMW S1000RR 193 8:00’37.749
14 121 MERCURY RACING BMW BMW S1000RR 192 8:01’22.389
15 135 BMW Financial Services 135 BMW S1000RR 191 8:00’19.911

 

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