レースにまつわる”人”にフォーカスし、その素顔に迫る連載『RacerzLife』。今回はレーシングドライバーの番場 琢選手の素顔に前・中・後編の3部構成で迫ります!「自分がモータースポーツに出会ったのは全くの偶然で、プロのレーシングドライバーになろうとは思ってもいなかったんです。」と語る番場選手。2011年にはSUPER GTのGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得するなど輝かしい戦績を持つ彼ですが、その始まりは、とある悲しい出来事がキッカケだったそうです。

 

2018 SUPER GT第5戦 富士GT500マイルレースにて番場選手にインタビューさせていただきました。/ ©︎Motorz

 

ガリ勉だった幼少期

 

©︎Motorz

 

1982年生まれ、2018年現在で36歳となるレーシングドライバーの番場 琢選手。

16歳からレーシングカートを始めて、そのモータースポーツ活動は今年でちょうど20年を迎えました。

決して早いとは言えないデビューですが、そこには家庭の事情が深く影響しているそうです。

 

「母は私を医者にしたかったみたいで、幼少期の頃は勉強ばっかりやっていましたね。

小2の頃から毎日塾に通っていました。学校へ行っても放課後は塾だし、友達はペンと学習机!みたいな子供でした(笑)。」

 

そんな、ガリ勉と言っても過言ではなかった番場少年に悲劇が訪れます。

 

「中2の頃に母が胃ガンで亡くなっちゃったです。それで、突然勉強漬けの日々から解放されました。

若いうちに母を亡くしてショックだったこともありますし、勉強をする理由みたいなのも分からなくなっちゃって……。だから解放というか喪失みたいな面も大きかったかもしれません。

当時、近所に住んでいた5つ上くらいだったかな?の幼馴染のお兄ちゃんがレーシングカートをやっていたんですよ。

「気晴らしに応援しに来てよ!」と誘ってくれて、生まれて初めてサーキットへ行ってみたんです。

カートレースのスピード感とか音とか、ガソリンやタイヤの匂いに衝撃が走りました。雷に打たれたというか……!

それまで机に向かって勉強ばかりの日々でしたから、世界がグッと広がったような感じで、一気にハマってしまって、自分もコレをやりたい!と(笑)。

ただ、高校受験が控えていたので、受験に合格してから本格的に始めるという約束を取り付けてレーシングカートを始めました。」

そんな経緯から、16歳というタイミングでモータースポーツ活動を開始した番場選手。

ペンをステアリングに持ち替え、新たな世界に没頭していきます。

 

レースを辞める記念にフォーミュラへ

 

小林可夢偉選手と写るFTRS時代の番場選手。 / 画像協力:番場 琢

 

16歳からスタートしたレーシングカートですが、父親との二人三脚でなんとか全日本カート選手権まで登り詰めます。

しかし、なかなか思うような結果が出せなかった、と当時を振り返ります。

 

「資金面も余裕があったとは言い難く、機材も決して良いマシンとは言えませんでした。

私自身が抜群に速かった訳でもなかったので、ワークスドライバーへステップアップ!ということもなく……。

それでもやはりカートで走ることが楽しかったし、なんとか3年くらいは参戦していましたね。

ただ、カートの世界はやはり若い才能が顕著に頭角を表すし、自分が若くないことも分かっていました。

なので、19歳の時に「もうレースは辞めよう」と思ったんです。

だけど自分の中で「どうしてもフォーミュラマシンに乗ってみたいな。」という想いが強くて、たまたまタイミングよく募集があったので、最後の記念にFTRS(フォーミュラトヨタ・レーシングスクール)のオーディションを受けてみたんですよ。

これ、もう時効だと思うから明かしますが、レーシングカートもきっかけとしてはレーサーになりたくて始めた訳じゃないし、このオーディションもキャリアのステップアップが目的で受けた訳じゃないんですよ。

確か10万円とか20万円くらいでフォーミュラカーに乗れる機会が貰えるって知って「安いな!」と思って申し込んだんです(笑)。」

 

物事のキッカケは人それぞれあるとは思いますが、1分1秒を争うこの世界で最も重要なものは結果。

そして、番場選手はこのオーディションで結果を残します。

 

「思い出作りのつもりで参加したオーディションに合格することができました。

19歳だから……2001年ごろの話ですね。ちなみに同期生は平手晃平選手でした。」

 

クルマの運転は楽しい!

 

©︎Motorz

 

こうしてフォーミュラ・トヨタでのキャリアを経た後、2003年に全日本F3選手権へステップアップします。

そして2004年も引き続き、同選手権のステアリングを握る傍ら、スーパー耐久シリーズのClassN+に参戦していたトムススピリットのアルテッツァをドライブ。

同年のシリーズチャンピオンに輝きました。

また、SUPER GTへは2006年から参戦を開始し、2011年にはGT300クラスで念願のシリーズチャンピオンに。

現在、所属している『埼玉トヨペット Green Brave』との関係は、2013年ごろから始まったそうです。

「埼玉トヨペットさんでは、同社のお客様を対象に『ケアセミナー』という安全運転講習会みたいな活動もさせて頂いています。

自分がモータースポーツ……もっと因数分解するならば”運転”をするという行為で人生が変わったというか、救われた人間なので、なんとかしてこの業界に恩返しがしたいと思っていて。

“恩返し”なんて言うと大げさに聞こえますが、要するに「クルマって楽しい!」とか「運転って楽しい!」って1人でも多くの人に伝えていく事が、レーシングドライバーである自分に出来る使命だと思っているんです。

その想いに共感してくださった埼玉トヨペットさんと一緒に、このような活動をさせてもらっているんです。」

 

マザーシャシーから制作までして投入している同チームのマークX。速さに磨きが掛かってきたとのこと! / ©︎Motorz

 

まとめ

 

「埼玉トヨペットはファンサービスNo.1を目指してるんです!」と語る番場選手。 / ©︎Motorz

 

今回は、レーシングドライバーの番場琢選手の素顔に迫る連載企画、その前編をお届けしました。

前編ではモータースポーツを始めたキッカケやこれまでのキャリアについて、詳しく話して頂きましたが、中編では最近、番場選手が始めたという、クルマの運転の楽しさを広める活動について、聞いてみたいと思います。

 

決勝当日は時計も熱中症を注意喚起するような夏日でした。 / ©︎Motorz

暖気中のピット内。 / ©︎Motorz

 

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