前編では、片岡選手がモータースポーツに足を踏み入れるきっかけ、そして4輪ドライバーへの道のりについて紹介しました。今回は、現在のレーシングドライバー”片岡龍也”に至るまでの軌跡に注目していきたいと思います。
スーパーGT~箱車の世界へ~
スカラシップを獲得し、フォーミュラートヨタに参戦しながらスーパーGT300クラスへの参戦を開始した片岡選手。
そのシートを獲得する為に、いったい何を思い、何を決断し、どういう行動を起こしたのでしょうか。
ーーー 元々GT300クラスへの参戦を目標に定めていたのですか?
片岡:翌年500に乗りたいと思っていた、でも、何にもやらないと300で参戦することになるなと思っていて、どうすれば良いかと考えた…。
唯一300のチームで知っている人がいるのはシグマテック、同じ名古屋出身で、子供の頃から知っているので、コーヒーでも飲むかとピットに誘ってもらいたくて、ピットの前を10往復ぐらいした(笑)
やっと、コーヒーには辿り着いたけど、自分から乗せてくれなんて言う勇気は無いので「お前1000㎞乗ってみるか?」って言われた時は心の中で大きくガッツポーズでした。
ーーーそして、トントン拍子にGT500クラスにステップアップ出来たという訳ですね?
片岡:そこでチャンスをもらって、その結果がうまく評価されて翌年にはフォーミュラー日本とGT500にデビューしたけど…
ここからは中々苦難の時代なんだけど…とにかく結果が出なくて。
GT500は1回だけ左近と組んで優勝したけど、中々常勝できるような強さは持てなかった。
フォーミュラーの方に関しては結局2位が最高で優勝することが出来なかった。
デビューイヤーで表彰台に乗ってたりはしたんだけど、結局勝つことには至らなかった。
振り返ってみると、トントン拍子にステップアップしすぎて、しかも今ほど若い人を使う環境にはなかったから、自分が色んな環境に上手く馴染めず背伸びしてしまった。
自分に引き出しが無くて、どこかで必ず上手く行かないから、だんだんふてくされるわけじゃないけど、メーカーのプレッシャーもあるしで負の連鎖で結果がでない。負の連鎖で結果が出ないし楽しくない。
本来は一番いい環境に居るはずなのに、楽しくない。
その時代がいったん終わって、GT300にBANDOで乗ることになって、いきなり開幕戦で優勝して、そのままシリーズチャンピオン取って、この前年までとのギャップは何だろう?と思いつつも久しぶりに楽しいシーズンだった。
ーーー欲しかったGT500のシートを手に入れてからの負のスパイラル。
今考えると、あの時こうしてれば良かったな~と思う事はありますか?
片岡:う~ん。今考えても難しいけど負の連鎖や自分も未熟でハードルの高い環境だった。
あの時代に与えられた環境の全ての状況をひっくり返すだけのパワーは、あの歳では難しかったかな~と思うけど、今の頭を持っていったら何とかできたかもしれない。
でもそれは、もう過去のことで歴史は変えれないし…。
トントン拍子に行き過ぎたからこそ、才能があったからこその挫折。普通に聞くと贅沢な悩みですが、レーシングドライバーとしてトップに登りつめて行くには、運やタイミングもかなり重要となるのです。
夢と現実
念願だったGT500のシートをトントン拍子に手にするも結果を出せず、GT300に戻った片岡選手はその年、GT300クラスでチャンピオンに輝きます。
しかし、500に再度挑戦するという夢を諦めきれなかったのです。
ーーー負のスパイラルを経験し、それでもGT500に挑戦したかった?
結局環境を変えれないないまま自分の力不足を感じつつ、GT300でまたチャンピオンを獲って、その次の年も同じチームで300をやったけど、次の年はイマイチな結果で終わってしまった…。
タイミングよくBANDOHが500にチャレンジする事になって、自分ももう一度500にチャレンジしたいって思った。
BANDOHは新規で500へ挑戦するから金銭的に苦しかった、本来はドライバーを持ち込みで乗らせたいとと思っていたと思うけど、今まで一緒にやってきた経緯もあるし、とりあえず僕には持ち込みが無い状態で乗れた、ただ給料も払えないと。結果少しもらったけど…ちょっとだけね(笑)
でも、夢を追うという部分で500にかけた。
結果震災の影響もあり、5月のGWのどしゃぶりが開幕戦になった。
雨が功を奏し上手く3位になって、「あれ?人生こっからうまく転がっちゃう?」って思たけど、そうは問屋がおろさなかった。
そこから先はなかなか苦難のシーズンだった。
ーーー現在のGOODSMILE RACINGへ移籍したきっかけは?
ヨコハマ(タイヤ)さんとBANDOHの500クラスが初めてだったし、中々思い通りの結果が出ず、でも少しづつ良くなっているし、まだ(GT500に)トライしたいな~と思ってたところでしたが、グッドスマイルさんから「一緒にやりませんか?」って話があって。
もう1年500にトライするか、グッドスマイルに移籍するかかなり迷ったけど、考えた結果300クラスで、チャンピオンチームのグッドスマイルでチャンピオンを目指そうと思った。
正直500でもう1年やってみたいけど、毎回苦しい最下位を争う状況から急に何かが良くなるとは思えないし、ドライバーとしては優勝を狙うことができる環境でレースをしたいと思い、グッドスマイルに移籍を決めました。
あとね、ここだけの話だけどグッドスマイルの給料が良かったね(笑)
個人スポンサーとかはあんまりいないから、チームから給料をもらえないとヤバい状況だったしね。
チーム体制や資金状況によって、ドライバーのテクニックだけでは勝てない現実。それでも夢を取るか現実を取るか、究極の選択に迫られた時に、勝てる体制と給料という選択に、片岡選手の人間味を感ると同時に親近感を覚えます。
決断の繰り返しが創り上げたレーシングドライバー”片岡龍也”
上手く行った時も行かなかった時も全て自分で決断し、踏ん張りどころでは踏ん張って、ギリギリの綱渡りのような人生だけど、渡ればその先にいい繋がりがあったと語る片岡選手はどのように、今のポジションをつかみ取ったのでしょうか。
ーーー今までの人生でしてきた決断の基準は?
悩むけど五分五分では絶対ないから、こっちの方がいいよな!っていうチョイスをする。
でもやっぱりって思うこともあるけど、でもって言うのは守る方の選択肢だから、攻める方をチョイスする。
常に環境に変化を与える方向で挑戦している事が多いかな。
常に想いを伝えたり、想いと言うより感じた事をストレートに伝えたり。
時に重要な意見を求められてない時でも、人と話す機会があれば、「こう感じた、こう思っている。」って事を伝える。
それが正しくても間違っていても素直にストレートに言う事で、人の記憶に自分の存在や考えが残っていれば、なにか新しい仕事がある時に適任者として抜擢してもらえたりする。
新しい仕事というのはすごくチャンスだから、そこでやっぱりいい仕事をするようには心がける。
その繰り返しがドライバーとしての信用を積み重ねているんだと思う。
ーーー普段レーシングドライバー以外に何か仕事はしていますか?
レーシングスクールやイベントゲストとか、TVの取材とかはしているけど、それらの仕事はレーシングドライバーに付随して得られる収入なので、メインの収入としてはドライバーとしての契約金。
あとは、ヤマハカートチームでチーム代表を務めてる。これは仕事というよりは、代表を務める人がいなくなったこともあり、代表をやって欲しいと。
カートチーム自体、予算が全くないから給料もありません。なんだったら移動経費もありませんと。
でも、いいよって。ここの原点が無ければ今の自分は無いから、恩返しのつもりで協力するよって始めました。
翌年から出世して移動経費は出して貰えた(笑)
ここでの無償でもやるというスタンスだったり、指導している内容だったりを評価してくれている人も居たりする。狙ってやっている訳では無いけど全てが繋がっているんだと思う。
YAMAHAワークスからFTRSレッスンに受かってレーサーをやっているというルートを踏んだのは、基本的に自分しか存在しない。
だから、その流れ全てを経験しているのは自分にしか分からない部分で、その経験を活かし今の若い子にアドバイスをするスタンスです。
後は、FTRSの講師にも復活しました。1回見に来ればと言われたことが有って、呼んでくれなきゃ行けません、て話から講師にしてもらえました。
そこで感じた、色々なことを意見させてもらったら、お前が責任を持って直せよっていうことになり、FTRS主任講師に就任する事になったんです。
ーーー後輩などに教える技術はどこかで学んだ?
カートショップに務めていた経験がある。YAMAHAワークスの時にレース以外の日はカートショップに務めていたから多くの方にカートの指導をしてきた経験が役に立っている。
初めてカートに乗る人を教えたり、レースに出ている人にアドバイスしたり、子供とか大人とか関係なく人に幅広く教えるって事を自然とやっていたって事が大きいかも。
YAMAHAワークスをやりながら3年間カートショップで働いたのが唯一の社会経験だと思う。
電話の出方、レジの打ち方、お客さんにはさんを付けなさいとか。超基本的な社会のマナーをそこで学んだ。この経験も大きかった。
少しだけど一般常識を身に付ける事が出来たんじゃないかな。
成功しても変化を求め続け、義理や人情を大切にし、結果的にチャンスをつかみ取って来た片岡選手。どんな状況でも現状に満足しない攻めの姿勢が大きなチャンスを次々に引き寄せ、吸収し、次のチャンスに確実に生かす。そうして日々進化し続ける彼の姿勢に多くの協力者が現れるのは当然なのかもしれません。
片岡龍也流、チャンスを掴む為に必要な事
チャンスは多かれ少なかれ、誰にでも訪れます。そこで大切なのは、そのチャンスに気付けるかどうか、そしてタイミングを逃さず決断できるかどうかではないでしょうか。
ーーーチャンスを引き寄せる為に心がけていることはありますか?
時間が許す限り人と会うチャンスがあれば会う!誰とかじゃなくて、とにかく人に会う。
人に会うと色んな刺激があるし、たまたま会った事によって、「あ!そうだ!今ちょうど人探してたんだ!やらない?」って話も無くもないし。
たまたまそれをきっかけに、じゃあ応援するよ!ってスポンサーになる人もいるし。
例えば後輩なら後輩で、こいつこういう事向いてるな~と思えば、俺には関係ない話でも人を探している人がいて、こいつと合うなと思えば紹介するし、基本的には横のつながり縦のつながり。
それぞれが理想のwinwinで、いい紹介をすると感謝をされる。感謝をされるという事は、1日1善ではないけど、いい流れが来る。
そういう意味では普段からとにかく嘘無く、自分のいいと思うものはいいし、悪いと思うものは悪い。自分の基本的な物差しだけ変えなければ、人からの信用は失わない。
こっちではそう言ってて、あっちではこう言ってたら絶対ばれる。え?何でそんなウソつくの?みたいな簡単な嘘をつく人も多い。だから自分はそうならないように気を付ける。
基本的に嘘をつかずに真剣にやっていたら、いずれチャンスは巡ってくる。そのチャンスが巡って来た時に、頑張るだけ。
ーーーチャンスを掴める人と掴めない人の差は何だと思いますか?
ちょっとした運とちょっとした心がけだよね。ほぼ平等に最初の1歩は同じに来ている。
最初の1歩をつかんだ人は2歩目があるけど、1歩目をつかんでないと2歩目はない。
1歩目がつかめなかった人に来るもう1歩は、歩幅が小さかったりするから、いかにチャンスをロスなく掴んでいけるか。
以前グッドスマイル安藝社長や片山右京監督にも話を聞いたら、みんな俺はラッキーだったって言う。
ラッキーを掴めるのが力なのか?そもそもラッキーを引き寄せる力があるのか分からないけど、この仕事をやろうと思った事がラッキーの始まりなのかもしれない。
誰も成功できる保証がある訳じゃないけど成功する人はする。
ちょっとしたひらめきとタイミングで、同じ事だって時代が1年ずれたら当たらない。結局、成功者は強運という事なのかな。
チャンスを引き寄せるためには人と会う事。それは、どんな世界でも言える事ではないでしょうか。確かに運も必要だと思います。しかし、1人で部屋に籠っていたら、運すら動かないのではないでしょうか。行動する事こそ成功するための第一歩なのかもしれません。
まとめ
日本のトップレーシングドライバーの1人として活躍中の”片岡龍也”。
その軌跡を本人へのインタビュー形式で紹介していくこのシリーズ。今回は、片岡選手がスーパーGTに参戦を開始してからの葛藤、そして現在までの道のりをまとめてみました。
変化を求め、攻めの姿勢を貫き通したかと思えば、潔く諦める所は諦める。カートを始めた時から変わらない、その決断の早さとタイミング、そして行動力が現在の成功に繋がっている事を強く感じます。
そんな片岡選手は、いったい何を想い、何処を目指してレースをしているのでしょうか。
次回はそこに焦点を当てていきたいと思います。
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