2017年SUPER GTのGT300クラスでドライバーズチャンピオンを決めた#4 GOOD SMILE RACINGのNOB谷口こと、谷口信輝選手。今回Motorzでは、谷口選手に自身の半生や様々な経緯、昨今の自動車業界について語って頂きました。バイク、ドリフトから始まり30歳でレースデビューをしてから、どんな人生を歩んできたのでしょうか?
レースを始めるキッカケは2輪から
ーーー谷口さんが車にはまったきっかけは?
基本、小中学校はBMXだったわけ、バイシクルモトクロス。
で中学の時、友達の家がモトクロス一家だったからモトクロスもちょっとやってたけど、高校生になってから免許を取ってミニバイクレースを始めて、広島でスクーターとかNSR50とかでレースをやってて、広島では結構トップ的な位置にいて・・・。
18歳の時に全国大会に出て、スクーターとNSR両方とも日本一になって、19歳からドリフトを始めたの。
男の子だから、乗り物がどんどんどんどん、自転車になりバイクになり車になりっていうのは普通じゃん?
ドリフトを何でし始めたかっていうとこになるんだけど、ある時、俺の一個上の友達とある交差点で信号待ちしてたら、目の前にハチロクが止まってて、信号が青になった時にキュキュキュキュキューって出てったわけ。「おお!」とか言って。
「車に乗り始めたら、あれぐらいはできるようになりたいよね。」みたいな話がその時にあったんだけど、ちょうど世の中にドリフトっていうものが少し流行りつつある時で、19歳の時にハチロクを買ったんだよね。
何でハチロクを買ったのかっていうとこになると思うんだけど、俺はハチロクとか全然最初嫌だったの。古いし、ぼろいし遅せえし。
俺はFCが欲しかった。かっこいいし速いし。
で、俺の従兄弟がその当時走り屋っぽいことをしてたから、従兄弟のケンちゃんに相談して、「セブンが欲しい」って言ったら、「車高いしガソリン代かかるし、セブンなんかやめろ」「ハチロク買って走れ」と。
それで、従兄弟に勧められてハチロクを買ったわけ。
「ハチロクだとパーツも豊富だし、車安いし、ハチロクで峠を攻めて、上りはもちろんだけど下りでもパワーが足りないと思ったら初めて車ステップアップしろ」って言われたわけ。
確かになあと思ってハチロク買って乗ったんだけど、そしたらすごい気に入っちゃって、結局5台乗り継いだ。
上京のキッカケはジャーナリストになりたかったから。
ーーー ハチロクで走り始めた谷口さんが上京したきっかけは?
で、ハチロク乗って峠で腕を磨いていって、ドリフトがうまくなって、いか天に出たりとか。
それをきっかけに、いろいろベストモータリングの企画に出たりとかで、何となく「谷口って奴うまい。」ってことになって、ドリ天とかホットバージョンとかにたまに呼ばれるようになったわけ。
何となくその頃に、まだ広島に住んでるけどモータージャーナリストっていうのになりたいなって思い始めて、雑誌で運転する仕事で食っていきたいなと思い始めて、それで広島を出てこっち来たいなと思ったわけ。
その時24歳の頃なんだけど、それでももう3年ぐらい広島にいて、じいちゃんも寝たきりだったから看取ってから行こうかなと思って。
それから27歳の時にじいちゃんが亡くなって、28歳になる寸前ぐらいに東京に来たわけ。
ーーー 上京してからは、どんな流れでレースの世界へ?
東京に来た時、別にまだレーシングドライバーとかになりたい夢なんか微塵もなくて、レースの世界なんて全然別世界だから。
バイクのレースで日本一になった時にね、ミニバイクレースだから大きいバイクのチームからも「うちのチームに来い。」みたいな引き合いはいっぱいあった。
その当時は、レースっていうのは趣味でやってるから楽しいわけであって、仕事としてやると「スポンサーとかああいうのが重たくて嫌だ」みたいな、そんなこと言ってた。
俺の周りで2輪のレーサーって借金の人しかいなくて、レース=借金ってイメージがあったから、借金嫌だしと思って。
その時に、大きいバイクのレースに行くのかドリフトするのか迷ってて、知り合いが「トランスポーターに俺のボンゴ60万で買わないか?」っていう話と、友達が働いてた車屋で売ってたハチロク60万で買うかを迷って、ハチロクいったんだよね。
そこからバイクじゃなくて車の方の仕事が始まった。
で、上京してきて、まず最初に「今度こっちの方越してきたんで、仕事あったら下さい。」みたいな編集部回りをしたわけ。
最初の頃は、もちろん仕事なんかあるわけもなく、アルバイトをその辺でしながら暮らしてて、だんだんだんだん雑誌の仕事が増えてきて、29歳の時に、バケットシートのBRIDEの厚意でというか、「媒体絡めてちょっと草レース出てみない?」って言われて、シビックで鈴鹿のクラブマンレースっていうのに出たわけ。
で、その時は西コースのスプリントっていうのに出て、予選4番手で決勝1番獲っちゃったの。
「ああ楽しかった。」って終わったんだけど、その半年後に同じように「また媒体絡めてクラブマンの300キロ耐久やらないか?」って言われたの。
で、そのレース出たら、また勝っちゃったの。そしたら、バイクの頃の血が沸いたりして「レースがやりたい。」ってなっちゃって。それが28歳の頃かな。
29の時に、アルテッツァワンメイクレースっていうのがこの世に始まるっていう時に、あれに出て初年度チャンピオンを獲りたいなと思ってスポンサー活動を始めたの。
それで最初JICっていう所がスポンサーしてあげるとかっていう話で出れそうだったんだけど、開幕戦のちょっと前ぐらいに「ごめん」とか言って、「5ZIGENのフォーミュラニッポンにスポンサーすることになったから、無しで。」って言われて「ええ⁈」って。
で、そのアルテッツァワンメイクの初年度出れなくて、その年はレッドラインっていうオイルメーカーの堀江さんっていう人が、タレントのヒロミさんを使ってヴィッツレースをやると。
そのヴィッツレースをやるのに、「ヒロミさんは忙しくて全部出れないから、ヒロミさんが乗らないとこを乗らないか?」って言われたの。
「やることなくなったし、是非!」みたいな感じで、ヴィッツレースに4回ぐらい出たの。
それが2000年かな。ヴィッツに4回ぐらい出て、翌2001年にレッドラインの堀江さんが「アルテッツァやりたいんだろう?」とか「S耐乗りたいだろう?」って言って、レッドラインカラーのアルテッツァ両クラスに出たの、アルテッツァワンメイクとNクラスと。
で、それがシリーズでレース始まった最初の年、2001年。
その時も、スーパーテクノっていうガレージに「お前を押し込んでやるんだけど、ちょっとタダでは無理だ、お金持ってこい。」「500万持ってこい。」って言われて、俺バイトで何とか暮らしてるだけのくそ貧乏だから一生懸命スポンサー活動して、何とか500万集めて持っていって「これで乗らせてください。」と。で、乗らせてもらうことになったんだよね。
その時雑誌にちょくちょく出てたから、それを何とか武器にいろんなとこに50万とかちょっとずつスポンサーしてもらって、何とか500万集めて持ってって…基本は知ってるところに当たってみたわけ。
知ってるとこか紹介かしか、飛び込みなんか無理だから、「とにかく俺はこのレース出たい。」とか言って、「ここでチャンピオン獲って、いつかGTにも出たい。」みたいな話とか言って応援してもらって、2001年にアルテッツァワンメイクとS耐のアルテッツァに出た。
その時のスーパーテクノのレッドラインアルテッツァは、タイヤはダンロップだったの。
その時のライバルチームで強かったのがアドバンカラーの織戸学・飯田章組で、あっちがチャンピオン、うちらがランキング2位の年だったんだけど、その2001年、俺がレースを始めた年の11月にマカオグランプリっていうのに行ったの。
そこで、本当はRSRアルテッツァに織戸学さん、アドバンアルテッツァに飯田章さんが乗るはずだったんだけど、ドタキャンというか急に章さんが出れなくなったわけ。
で、俺に「乗らねえか?」って話が来て、その年ダンロップで頑張ってきたのに、アドバンからオファーをもらって乗らせてもらって、マカオグランプリ出て4位だったんだけど、俺のドライビングをチームがすごく認めてくれて、翌年2002年、織戸君と俺がアドバンアルテッツァで組んでチャンピオン獲ってっていう。それが2年目かな。
デビュー翌年にはGT選手権参戦
ーーー そこからとんとん拍子にステップアップして行ったんですか?
1年目は、アルテッツァワンメイクとアルテッツァでしょ?2年目はアドバンカラーアルテッツァとRE雨宮のJGTC(現:SUPER GT)乗ったの。
で3年目、1000キロでサードのスープラにも乗せてもらったの。そういう感じで、割とトントントンといったね。
昔から速さに関しては求めるタイプだったから、ドリフトはしてたけどドリフトだけでも駄目だし、速いだけでも駄目だし、俺が総合的に昔から言ってるのは、「男たるもの車の運転するからには誰よりもうまく運転したい。」と。
ドリフトも誰よりもうまくドリフトしたいし、速く走るのも誰よりも速く走りたいと。
だからドリフトはできるけど遅いのも駄目、速く走れるけどドリフトができないのも駄目みたいな、トータル的に運転のうまい人になりたいっていうのが俺のスローガンだったから。
あとは運転に美学も求めてるから、汚い運転は嫌なの。
ずっとハンドルをキコキコキコキコやってるのも嫌だし、それはドリフトもグリップも両方ね。だから、四六時中運転のこと考えてたし。
毎日クルマに乗ること自体が練習
ーーーなるほど、両方知ってるからこその速さなんですね。練習とかってあんまりされないんですか?
やっぱり速さについて急成長したのは、スーパー耐久で2001年に相方と組んで、データロガーっていうものを見れて、相方とロガーを重ねて、ここでブレーキして曲げてアクセル踏んでっていう・・・。
今まではそんなの知らないから、感覚だけじゃん?それでロガーっていうものを知ったりとかして成長したね。
昔から、こういう車とかで走るんだったら速さに自信あったけど、レーシングドライバーって、レーシングカーでサーキットという、この限られた世界の中では速いんだよね。
レーシングドライバーから得るものも吸収させてもらい、昔から貪欲に人のいいとこは素直に認めて吸収させてもらおうっていうタイプだから。
車って、練習ってできないんだよ。できないだろ?ゴルフとかサッカーとか野球とかと違って、コツコツコツコツ練習なんかできないんだよ。
今でこそシミュレーターっていうものがあるから夜でも雨でも雪でもできるけど、基本的にサーキットに行って走ってっていったら、時間とお金と、あとは自分のタイミングでうまくいかなかったりとかあるじゃんね。
だから、いい軌道に乗れれば乗れるほどプロドライバーとアマチュアの差はどんどん開くんだよね。
(スーパーGTの)GT500のワークス系になればテストテストテスト、いい車、ニュータイヤ、テストテスト、勝手に速くなっていくよね。
そういうある程度のエスカレーターまでいったら、死ぬほど走るから勝手に速くなる。
普通の人っていうのは、限られた量しか乗れないから、いい条件でなかなか乗れないし・・・。
プロになれば勝手に、今は俺も毎日サーキットにいるし、いろんな車乗るし、勝手にうまくなるよね。
まとめ
谷口信輝選手の半生について、ご本人の口から語って頂きました。
知ってるよ!ってこともあれば、そうだったんだ!といったこともあったのではないでしょうか?
今回は前編としてレース活動をメインとした内容とさせて頂きました。
後日公開致します後編では、カスタムカー事情や昨今の自動車業界について谷口選手ならではの目線で語って頂いていますので、こちらも楽しみにしていて下さいね。
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