F1とスーパーGTというマシンの形もレースの形式も異なる2つのカテゴリーで活躍してきたドライバーたちをご存じでしょうか?特に2016年はF1経験者のヘイキ・コバライネン選手がチャンピオンを獲得し注目を集めましたが、他にもF1経験者が多数参戦しているカテゴリーなのです。今回はF1とスーパーGTに参戦したドライバーたちを5人、ピックアップしてご紹介します!
ヘイキ・コバライネン
F1で優勝経験もあり、世界的にも有名なドライバーであるコバライネン選手。
ルノーやマクラーレンといったトップチームから参戦した経歴を持ち、2007年から2012年までの6年間をF1で過ごしました。
なかでも2008年のハンガリーGPでF1初優勝を飾ったコバライネン選手は、F1で100人目となる優勝者ということでも広く知られています。
そんな彼がスーパーGTへやって来たのは2015年のことでした。
平手晃平選手のチームメイトとしてレクサス・チーム・サードに迎えられると、国内カテゴリーにF1優勝者が参戦するということで大きな注目を集めたのです。
しかし、スーパーGTでの1年目は期待に応えるような結果を残すことが出来ませんでした。
スーパーGTでのデビュー戦となった開幕戦・岡山では5位入賞と上々のスタートを切りましたが、その後はそれ以上の好成績を残せず総合14位で1年目のシーズンを終えたのです。
この結果を受けてコバライネン選手はチームと過ごす時間を増やし、日本で多くの作業に取り組みました。
そして、参戦2年目となった今季はその成果が目に見えて発揮され、第2戦・富士で2位に入り初表彰台を獲得すると、続く第3戦・SUGOでも2戦連続となる表彰台フィニッシュを達成したのです。
その後も安定してポイントを積み重ねると、終盤で怒涛の追い上げを見せました。
熊本地震で中止となった第3戦の振替としてツインリンクもてぎでは、またしても2位に入ると翌日行われた最終戦ではスーパーGTで初優勝を達成すると、ランキングでも見事首位に立ち参戦2年目で王座を獲得してみせたのです。
来季はスーパーGT王者として、より一層の活躍が期待されています。
中嶋一貴
コバライネン選手と同時期にF1に参戦した日本人ドライバーである中嶋一貴選手。
2007年の最終戦ブラジルGPでF1デビューを果たし、2008・2009年はF1にフル参戦しました。
そして、2011年からは戦いの場を国内へ移し、チーム・トムスからフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)だけでなく、スーパーGTにも参戦を始めます。
実は中嶋はF1参戦前の2005年にもGT300クラスで参戦経験があり、第4戦SUGOで優勝を飾った経験もあるのです。
そして、復帰という形で2011年からは、スーパーフォーミュラで激戦を繰り広げるアンドレ・ロッテラー選手とのコンビを組み、4年間に渡って参戦してきました。
3年目となる2013年には2勝を挙げ、年間ランキングで3位に入る活躍を見せたのです。
その翌年も2勝を挙げる活躍を見せ、スーパーフォーミュラと同様にスーパーGTでも戴冠が期待されましたが、2015年WEC(世界耐久選手権)へ専念するため、2015年よりスーパーGTへ出場しないことを表明しました。
以降、記憶にも新しいあと一歩で勝利を逃した昨年のルマン24時間レースだけでなく、2014年にはポールポジションを獲得するという快挙を達成。
スーパーGTと同様に、性能の異なるマシンが一斉にレースを行うWECでも力強い走りを披露しています。
まだ定かではないですが、来年はGT500に戻ってくるかも?という噂があり、また彼の走りを見るチャンスが増えそうですね。
ラルフ・ファーマン
2003年にジョーダンからF1に参戦したファーマン選手も、スーパーGTに参戦したF1ドライバーの1人です。
1996年にイギリスF3やマカオGPといったF1への登竜門と呼ばれたレースを制した経験もある彼は、1997年からフォーミュラ・ニッポンと並行して、スーパーGT(当時は全日本GT選手権)へ参戦を開始しました。
フォーミュラ・ニッポンでは初年度から表彰台を獲得するなど、まずまずの成績を残しましたが、スーパーGTでは苦戦を強いられ毎年のようにチームを移籍し、浮上のきっかけを探ることとなります。
そして、2002年が彼にとってF1へのきっかけを掴む、飛躍の1年となるのです。
参戦5年目となったファーマン選手はナカジマ・レーシングへ移籍すると開幕戦でついにGT初優勝を飾ると、この年3勝を挙げシリーズランキングで2位を獲得。さらにはフォーミュラ・ニッポンでも念願の王者に輝き、翌年ジョーダンのレギュラードライバーに抜擢されました。
ようやくF1まで上り詰めたのですが、ここでチームメイトとなったジャンカルロ・フィジケラ選手が優勝を飾るなど活躍を見せるなか、ファーマン選手はその影に隠れてしまったのです。
シーズンを終えてレースでの最高成績は第5戦スペインGPで記録した8位に留まり、わずか1年でF1から姿を消すこととなってしまいました。
それでもレースへの情熱を絶やさなかったファーマン選手は、再び日本でレースすることを決意し、2005年にスーパーGTへ復帰を果たします。
すると、その2年後となる2007年にはARTAへ移籍すると、その年3勝を挙げる活躍を見せ、参戦8年目で悲願のスーパーGT王者に輝いたのです。
その後もスーパーGTで戦い続け2013年までに通算で12勝を挙げ、スーパーGTのファンにはお馴染みのドライバーとして知られています。
高木虎之介
1998年にティレル、その翌年にはアロウズからF1に参戦した高木虎之介選手も、スーパーGTで活躍したドライバーとして知られています。
特に彼にとってスーパーGTはレースキャリアの最後を締めくくったシリーズでもあるのです。
F1から戦いの舞台を日本へ移したフォーミュラ・ニッポンでは復帰初年度に10戦8勝という圧倒的な強さで王者に輝いたことは今でもよく語られます。その非凡な才能はスーパーGTでも発揮されました。
2005年よりトヨタ・チーム・セルモからスーパーGTに参戦した高木選手は立川祐路選手のチームメイトとしてデビューを飾ります。
すると、デビュー2戦目となる富士スピードウェイで優勝を達成し周囲を驚かせたのです。この年2回目の開催となった第6戦の富士でも優勝を飾り、最終戦まで王座争いを繰り広げました。
この年の最終戦鈴鹿は雨が降る難しいコンディションとなりましたが、ここでも見事に優勝を飾った高木・立川ペアはシーズン3勝目を挙げ、高木は参戦初年度で王者に輝いたのです。
最終的に彼は2008年までスーパーGTに参戦。その年を持って現役を引退すると、2010年からは王座を獲得したセルモの監督に就任しチームを支えています。
山本左近
鈴木亜久里が立ち上げた純日本のF1チーム、スーパーアグリのドライバーとしてF1に参戦した山本左近選手もスーパーGTに参戦していたことがあります。
2005年の日本GPの際にジョーダンで金曜日のフリー走行へ参加した山本は、レギュラードライバーを上回るタイムを記録し評価を高めると、2006年のドイツGPからはスーパーアグリのレギュラードライバーに選ばれ、日本の期待を背負うこととなりました。
2007年にはスーパーアグリのシートを失いますが、第11戦ハンガリーGPよりスパイカーからF1に参戦。
その翌年にはルノーのリザーブドライバーを務めると、F1での長い経験が評価され2010年にはHRTから三度目となるF1参戦を果たしました。
彼がスーパーGTに参戦したのはF1参戦前となる2005年のことでした。
フォーミュラ・ニッポンと並行してチーム・トムスからスーパーGTに参戦したデビューした山本選手は、片岡龍也選手とコンビを組みデビュー4戦目となるSUGOで優勝を飾るという好成績を挙げたのです。
翌年にはニスモへ移籍しさらなる活躍が期待されたのですが、F1に参戦するためシーズン途中でチームを離れ、ヨーロッパへ渡ることを決意しました。
そのため約1年半という短い期間でしたが、スーパーGTで戦った彼はスーパーアグリのドライバーに抜擢され、以降戦いの場をF1へと移したのです。
近年ではフォーミュラEにも参戦するなど、世界最高峰のシリーズで戦ってきた日本人ドライバーとして知られています。
まとめ
普段はF1しか見ていない方も、実は国内でF1に縁のあったドライバーがたくさん走っていたのがわかるかと思います。
特に2016シーズンはコバライネン選手が王座を獲得し、来季はF1を引退したジェンソン・バトン選手がスーパーGTへの参戦をほのめかしており、彼がスーパーGTで走る姿を楽しみにしている方も多いかと思います。
これまでF1しか観てなかったという方には台数が多く、レースを把握しにくいと思う方もおられるかもしれませんが、馴染みのある選手だけに注目するとレースがぐっと見やすくなります。
また、現地観戦するのも年に1回しかないF1と比べても、機会が多いのも嬉しいところですね。
F1で戦ってきた名ドライバーの走りだけでなく、これから世界に羽ばたいていく選手をチェックしてみてはいかがでしょうか?
そして、まだまだF1を走ったドライバー達は多数存在するので、第2弾・第3弾をお楽しみに!
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