2000年のデビューから17年間、F1という世界最高峰の舞台で活躍したジェンソン・バトン。ホンダとの密接な関係もあり、日本にも彼のファンが多く存在し、その期待に応える走りを見せてきました。実績でも歴代3位となる305戦に出走し、2009年の王座獲得など輝かしい実績を残してきました。今回は彼のキャリアだけでなく、活躍できた理由も振り返っていこうと思います。

©︎Pirelli

©︎Pirelli

ジェンソン・バトン:プロフィール

F1での通算成績

出走:305戦(歴代3位)

優勝:15回(歴代18位)

ポールポジション:8回(歴代34位)

ファステストラップ:8回(歴代37位)

表彰台:50回(歴代15位)

入賞:162回(歴代4位)

デビュー戦:2000年オーストラリアGP

©︎Pirelli

©︎Pirelli

かつて、モデルの道端ジェシカさんと結婚していたこともあり、日本でも有名なバトン。当時では異例の若さともいえる20歳で2000年にF1デビュー。ルーキーイヤーから活躍しますが、その後は苦労の連続でした。

一時はF1シート喪失の危機もあった2009年。急きょ立ち上げられたブラウンGPで大活躍し初のワールドチャンピオンを獲得しました。

2010年からはイギリスの名門マクラーレンに在籍し、ついに2016年いっぱいでF1を降りることを決断しました。

通算出走305戦と歴代3位の記録を誇りながらも、優勝数は15回と比較的多くはなかったバトン。過去活躍してきたチャンピオンの中では、そこまで輝かしい成績ではないかもしれませんが、要所要所で見せる彼の“うまさ”が光るレースでファンを魅了しました。

そんな彼の凄さをご紹介していきます。

 

類まれなる状況判断力が最大の武器

©︎Pirelli

©︎Pirelli

刻一刻と変化する路面状況を得意としてきたバトンは、荒れたレースで見事な活躍を見せてきました。

たとえマシンが非力であっても、この状況判断力で何度もチームを救ってきたのです。

2010年のオーストラリアGPではウエットからドライに変わり始めるタイミングをいち早く読み取り、ライバルより1〜2周早くピットイン。これが決め手となり、移籍後初レースながら見事勝利を挙げました。

第4戦中国GPでは小雨が降り始め多くのドライバーが緊急のピットインを行ったのですが、バトンは冷静に路面状況を読み取りステイアウト。すると雨は止み、ライバルは余分なピット作業を強いられ、終わってみれば独走で優勝を飾りました。

また、2014年の日本GPでもこの判断力が光り、大雨のなか突如ウェットタイヤからインターミディエイトタイヤに交換し、8番グリッドから5位入賞を果たしました。

このタイヤ交換はまだコースの水量が多かったため、無謀な戦略だと思われましたが、次の周にはなんと最速ラップを記録してみせたのです。

これを見た他チームは慌ててドライバーをピットへ呼び込んだのですが、その間に好タイムを出したバトンに気づけば抜き去られていたのです。

©︎Pirelli

©︎Pirelli

記憶に新しいのは、2016年オーストリアGP。マクラーレン・ホンダ勢にとっては得意ではないパワー系のサーキットながら、雨から徐々に乾き始めていくという予選Q3で、上手くタイミングを見極めて5番手タイムを記録。上位のライバルがグリッド降格ペナルティを受けたため、3番グリッドからスタートしたということもありました。

このようなエピソードは他にも尽きません。

彼は過去のインタビューで、これを経験あってのものだというコメントを残しています。

「F1まで来ると速さが増すことはほとんどないだろう。しかし、経験を重ねるとレース戦略や判断力が身に付くんだ。」

こう語ったバトンはその言葉通り、速さもさることながらレース全体を見通す力で多くの勝利を飾ってきました。

数多くのデータを把握しているエンジニアよりも、彼の感覚の方が正確にも思えるようなエピソードをいくつも残してきたのです。

 

難しいコンディションでもミスの少ないドライビング

出典:http://www.mclaren.com/

出典:http://www.mclaren.com/

先述のようにバトンが得意としているのは、路面状況が変わりやすいコンディションですが、その中でもウェットレースでの強さは現役ドライバーのなかでもトップクラスでした。

バトンがF1で挙げた15勝のうち約半数となる7勝が雨絡みのレースで、いかに彼がウェットを得意としていたかが分かるかと思います。

彼のベストレースとして語られることの多い2006年のハンガリーGPや、一度は最後尾に転落するも猛烈な追い上げを見せファイナルラップで逆転優勝を飾った2011年カナダGPも雨がレースを左右する1戦でした。

ライバルがクラッシュを喫するような難しいコンディションでもドライビングのミスが少なく、バトンのレースで生き残る力が発揮され、多くの勝利を手にしてきたのです。

また、ドライコンディションにおいても、彼のドライビングを象徴するスムーズなステアリングの切り方、アクセルワークはタイヤに優しいと評され、扱いが難しいと言われたピレリタイヤ導入にもすぐに順応することができました。

 

機転の利いた戦略を可能にしたチームとの信頼関係

©︎Pirelli

©︎Pirelli

バトンの奇想天外な戦略を可能にした自身の判断力だけでなく、それを円滑に遂行するためにはエンジニアとのコミュニケーションが必要でした。

そのため、彼はチームからの信頼を得ることを重要視し、特に7シーズン在籍したマクラーレンではそれを確立して見せたのです。

実は、B・A・Rに所属していた頃は戦略で他チームに出し抜かれることもあり、何度も上位進出の機会を逃していました。

彼の状況判断力は影を潜めていたのですが、2008年にホンダのチーム代表に就任し、後にブラウンGPチームを立ち上げたロス・ブラウンとの出会いが、バトンのさらなる成長につながっていくのです。

彼はベネトン、フェラーリなどでテクニカル・ディレクターとして活躍。ミハエル・シューマッハの活躍を支えた「作戦参謀」としても有名で、レース戦略において多くのことを学んだと言われています。

そして、マクラーレン移籍後にその成果が発揮され、先述のような活躍を見せていきます。

エンジニアとのコミュニケーションを積極的に行いチームスタッフを引き付けたバトンは、当初はハミルトンのチームだと言われていたマクラーレンを自らの色に染め、2011年にはエースとしてチームを牽引する活躍を見せたのです。

 

フィジカル面でも優れていたバトン、トライアスロンでは…

出典:https://www.instagram.com/jensonbutton_22/

出典:https://www.instagram.com/jensonbutton_22/

レーシングドライバーには瞬発力やスタミナといったフィジカルが必要と言われています。

バトンはトレーニングマニアであり、レース以外でも体を鍛えることを欠かしませんでした。

なかでも彼が注力していたのはトライアスロンで、2012年にハワイで行われた大会では約1200名のなかで6位入賞を達成し、周囲を驚かせました。

過去にはオリンピックを目指したいと語ったこともあり、そのコメントに劣らない好成績を何度も残しているのです。

また、日本通の彼らしく「一番(Ichiban)」という名のチームを設立したり、過去には自らが大会を主催するなど精力的な活動を行ってきました。

過去には「トライアスロンも人生の一部であり、F1のための完璧なトレーニングになっている」と語っています。

ちなみに、余談ですがとある大会でウェットスーツを忘れたバトンは、当時交際していた恋人のスーツを借りて出場したことがあり、サイズが合わなかったため気持ち悪いという理由でリタイアした経験もあるそうです。

 

例えチーム状況が苦しくても…必ず最低限の結果を出し続ける粘り強さ

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

ベネトン時代のように苦しいシーズンでも入賞を記録した(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/)

バトンは17年間という長い月日をF1で過ごし、王者に輝いたドライバーのなかでも、非力なマシンでシーズンを戦うことも少なくありませんでした。

特にベネトン時代やB・A・Rホンダでの2005年、またホンダ第3期の終盤である2007〜08年、さらには記憶に新しいマクラーレン・ホンダの初年度は、上位進出は難しいという日々を過ごしましたが、必ずどこかのレースで入賞を達成しています。

F1キャリアの中で積み重ねた入賞は162回を数え、こちらも歴代4位という輝かしい実績を残しています。

また、現役最終年となった2016年第4戦ロシアGPで10位に入り、17年間連続で入賞を果たすという歴代最長記録を樹立。

これまで、17シーズン以上をF1で戦ったドライバーは過去にルーベンス・バリチェロとミハエル・シューマッハしかおらず、17年連続で入賞を果たしたのはバトンだけなのです。(シューマッハもF1に参戦した全てのシーズンで入賞しているが、引退していた期間があるため。)

このように厳しいシーズンでも常に存在感を示してきたバトンだからこそ、305戦もF1で戦うことが出来たのです。

彼が如何にチームからの信頼を得ていたかという、一つの証明と言えるのではないでしょうか?

 

次のページは、その17シーズンにわたって奮闘したジェンソン・バトンのF1キャリアを一挙に振り返ります。

本当に苦労の連続でした。