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日本が世界と戦えることを証明した。伝説の国産F1マシン、コジマKE007とは

1976年に日本で初めてF1が開催された際に注目を浴びたマシン”KE007″。コジマ・エンジニアリングがF1世界選手権イン・ジャパンのために製作し、国産のF1マシンとしてスポット参戦を果たしました。わずか1戦限りの挑戦となりましたが、現在でも多くの逸話を残すマシンとして知られています。今回は、その戦いを振り返っていきたいと思います。

©︎Tomohiro Yoshita

注目を集めた”国産のF1マシン”

©︎富士スピードウェイ

コジマ・エンジニアリングによって製作された国産のF1マシンとして誕生したこのマシンは、1976年に初めて日本で開催されたF1世界選手権イン・ジャパンに向けて作られ、初めてF1の日本GPを戦った国産マシンとしても知られています。

エンジンは当時市販されていたフォード・コスワース製を搭載し、ブレーキ、ギアボックスこそ海外製のものを使用しましたが、多くのパーツは国内で製作されており、先進的な技術を持ち合わせたことから海外からも注目を集めました。

まだ記憶に新しい、映画「RUSH」でもお馴染みであるニキ・ラウダとジェームス・ハントの戦いや、この年に登場した6輪のF1マシンでも知られるティレルP34など印象深いドライバーやマシンに混じって、この国産マシンは世界からも一目置かれる速さを見せたのです。

 

F1に参戦したコジマ・KE007の実力とは?

コジマ・エンジニアリングはF1世界選手権イン・ジャパンが開催される約1年前からKE007の本格的な開発に着手しました。

それから約半年が経った7月には鈴鹿サーキットで初走行に臨みます。ラップタイムこそF2の約5秒落ちというものでしたが、コジマのドライバーを務めた長谷見昌弘は「とても素性の良いマシンが出来上がった」と語り、開発は順調に進められていったのです。

その翌月からは3度に渡って、F1が開催される会場である富士スピードウェイでの本格的なテストに取り掛かりました。

©︎富士スピードウェイ

そして、ここではその前年にロータスのロニー・ピーターソンが記録したタイムを上回って見せるなど、高いポテンシャルを示したのです。

そしていよいよ本番、10月22日の予選を迎えると、KE007はスポット参戦ながら海外からも注目を集めるマシンとなりました。

この当時は金曜日に2回と土曜日に1回の計3回の予選が行われていたのですが、最初の予選で1分13秒88を記録します。なんとこのセッションで4番手に食い込む速さを見せたのです。

この結果を受けてコジマでは急遽予定されていなかった記者会見が開かれ、この時に外国人記者から「どこのメーカーがバックについている!?」という思わぬ質問が飛ぶほど、大きな衝撃をF1界に与えました。

 

予選で魅せたアタックとまさかのクラッシュ

コジマのマシンで参戦した長谷見昌弘選手(©︎Tomohiro Yoshita)

最初の予選で好成績だったにも関わらず余力を残していたコジマは、さらに上位を目指すべく2回目の予選ではトップドライバーのスリップストリームを使ってタイムを刻む作戦を敢行しました。

するとこれが功を奏し、タイムアタックの中間計測では午前よりも1秒も速いタイムを刻んだのですが、そこには思わぬ落とし穴がありました。

ラップもあとわずかとなった最終コーナーでマシンの左フロントに異変が起こり、そのままコントロールを失ったマシンは時速200kmを超えるスピードでタイヤバリアに激突!

何とかドライバーは無事でしたが、マシンは左フロントを中心に大破、ほぼ全損といえるほど大きなダメージを受けてしまいます。

クラッシュの原因は、製作された時点で想定されていた速さを超えて走行したため、サスペンションがその負荷に耐え切れなかった為と見られており、上位進出のチャンスを逃すどころか、スペアカーを持っていなかったため走行は中断せざるおえず、土曜日の最終予選の出走も見送ることとなりました。

このクラッシュによりKE007が決勝を走る姿を見る事はできないと誰もが確信しましたが、チームはすぐさま修復作業に取り掛かりレースへ向けて望みを繋いだのです。

 

日本の夢を乗せて…メカニックたちの戦いが始まる

©︎富士スピードウェイ

クラッシュで大破したマシンは、サーキット外にあるガレージへ運び込まれました。そして決勝レースまでに修復することを目標にメカニックたちが作業を開始したのです。

タイムリミットは2日間足らず。国産のマシンがF1の決勝で走る姿を夢見てチームのメカニックが懸命な作業を行っていると、観戦に来ていたレースメカニックたちがスタッフではないにも関わらず修復作業の協力に集結していきました。

破損個所はモノコックにまで及んでおり、大掛かりな作業は昼夜を問わず約40時間に渡って行われました。そして決勝日の早朝、ようやく修復作業が完了したのです。そして、マシンはもはや新造と言っても過言ではないほど多くの箇所に手が加えられていたのです。

このメカニックたちの懸命な作業に心を打たれたのは、ドライバーの長谷見でした。

「みんな頼まれた訳でもないのに無給で働いてくれるんです。感謝の気持ちでいっぱいでした。」と彼は後に語り、その決意を胸にレースに臨んだのです。

 

迎えた決勝、KE007はF1で通用する速さを持っていた!?

いよいよ迎えた日曜日の決勝当日、誰もが出走は不可能だと確信していたKE007が富士スピードウェイに戻ると、スタンドからは自然と拍手が巻き起こりました。

しかしこの時、長谷見さんはマシンに異変を感じていたのです。

短期間での復旧作業だったこともあり、マシンはクラッシュの影響を完全に解消することが出来ていませんでした。アライメントのズレだけでなくモノコックは捻じれており、マシンが勝手に右側に向こうとする危険な状態だったのです。

これを受けてチームは安全性を考えて出走を再考しましたが、最終的に出走することを決断。長谷見は一回目の予選で記録したタイムにより10番手グリッドに並ぶことになりました。

マシンは完全とは言えない状況、さらには雨の影響で目まぐるしく変化する路面コンディションの中、レースはスタートします。

オープニングラップで4つ順位を落とすも、6周目に10番手まで挽回すると、路面状況の変化の為4度のピットインを行いました。最終的にはトップから7周遅れの最後尾である11位フィニッシュでしたが、レース中にKE007が記録した1分18秒23がレースでの最速ラップをだったと伝えられました。

残念ながらこの記録は数日後に誤計測だったことが判明し、ジャック・ラフィーが出した1分19秒97が最速ラップとして記録されています。しかしこれはKE007のポテンシャルの高さを証明する逸話として今でも語り継がれているのです。

予選では更なるタイムアップを望めただけでなく、マシンの状態が完全ではないにも関わらずレースで好タイムを出せたことを考えると、本来の速さを発揮出来なかったことが悔やまれます。

 

 

まとめ

©︎Tomohiro Yoshita

たった1戦のみの出場にも関わらず、日本の技術が世界で戦えることを証明したコジマ・KE007。

この翌年には改良型のKE009で再びF1日本GPへ参戦し、決勝でまたも11位という結果に終わりましたが、タイヤとのマッチングが合えばさらに上位を狙えたというマシン本来の速さを覗かせており、その原点となったマシンでもあるのです。

海外からも注目を集めるほどの素晴らしい技術が結集された1台。そして、そのドライバーとエンジニアの挑戦は今でも忘れられることなく、語り継がれています。

その挑戦に多くの人が心を打たれたからこそ、たった1戦のみの参戦でこれほど多くのエピソードを残しており、日本製のF1マシンが日本で走ることの特別さを、初めてファンに体感させたマシンと言えるのではないでしょうか。

 

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Writer Introduction
shunsuke_kawai

モータースポーツライターをさせて頂いております、河合俊佑です。10代にF1の魅力にハマり、以後フォーミュラレースに憧れを抱く。大学時代は自身でカート活動を始め、モータースポーツの面白さを体感し、魅力を伝える事を志しています。少しでもモータースポーツを楽しく、分かりやすく伝えられるよう取組んで参ります。宜しくお願い致します。

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