1909年に誕生し、今でもドイツ車を代表するブランドのひとつである『アウディ 』。100年以上も歴史のある自動車メーカーですが、実はその出自はかなり複雑です。今回は、そんなアウディの歴史を紐解いていきたいと思います!
掲載日:2019.9/15
アウディの歴史
前述の通り、アウディの創業は1909年のこと。
現在、ドイツを代表する自動車メーカーであり、アウディを傘下に収めるフォルクスワーゲンの設立が1937年なので、親会社よりも長い歴史を持つ、由緒ある企業なのです。
そんなアウディのロゴマークと言えば、4つの輪が重なるようなお馴染みのデザイン。
実はこれはアウディオリジナルのロゴデザインではなく、1932年に設立された自動車メーカー『アウトユニオン』のロゴを色濃く残したデザインとなっているのです。
1929年の世界大恐慌を発端とした不況の波からの生き残りを図るべく、アウディを含む当時のドイツ車4メーカーが合併し、自動車連合(アウトユニオン)として結束しました。
ちなみに、創業当初からアウトユニオン成立までのアウディのロゴマークは、三角形の上にアラビア数字の”1″が乗ったようなデザインでした。
また、アウディとは、ラテン語で”聞く”という意味で、その言葉がそのまま社名となっています。
これはアウディの創業者である、アウグスト・ホルヒ氏の苗字である”ホルヒ”をもじったモノ。
ホルヒ(Horch)はドイツ語で”聞く”という意味の”Horchen”を連想させるということから、それをラテン語に訳したものを社名に採用したのです。
天才エンジニア、アウグスト・ホルヒ
アウグスト・ホルヒは、1868年生まれのエンジニアです。
1896年には『メルセデス・ベンツ』の基盤を築いたカール・ベンツの元へ赴き、自動車生産部門の責任者として従事。
1899年には独立し、自動車整備工場としてスタートします。
そして1901年にはそこで最初の自動車を製作し、自動車メーカー『ホルヒ』を立ち上げるのです。
ホルヒのクルマは高品質・高性能であることをレース活動などを通じてアピールし、ドイツ国内外にその名を轟かせました。
しかし、技術畑出身のホルヒは、クルマへの品質や技術を追い求めるあまり、経営陣との軋轢が生じ、1909年には自ら立ち上げた会社を去ってしまいます。
アウグストが去った後の『ホルヒ』は、高級車路線を歩み始め、戦前のドイツではベンツ・マイバッハなどと肩を並べるほどの超高級車メーカーとなりました。
そして、”ホルヒ”の名前を使うことが出来なくなったアウグストは、同年の1909年に『アウディ』を立ち上げるに至るのです。
1924年当時、ドイツ国内には71社もの自動車メーカーが存在していましたが、その4年後の1928年にはわずか19社にまで淘汰されます。
そして当時のドイツ自動車業界の2大トップであった、ダイムラー社とベンツ社が合併し、ダイムラー・ベンツとなるほど、不況の勢いは留まることを知りませんでした。
そんな中、1932年にアウディ・ホルヒ・DKW・ヴァンダラーの4社が手を取り、アウトユニオンとなったのです。
アウディ・ホルヒ以外のアウトユニオン
アウトユニオンは生き残りをかけ、1934年からグランプリレースに参戦し、ライバルのメルセデス・ベンツと共にシルバーアローの名で他国を寄せ付けない活躍でブランドイメージの向上に成功。
グランプリでの活躍はヨーロッパ中に知れ渡り、また統合したブランドもそれぞれ、
ホルヒ:高級ブランド
アウディ:大型〜中級モデル
ヴァンダラー:中型〜小型モデル、スポーツカー
DKW:大衆車
という棲み分けがされていたことが功を奏し、1935年にはドイツ国内の乗用車市場の約半数のシェアを獲得するまでになりました。
ここからは、アウディ・ホルヒ以外のアウトユニオンのメーカーと、車両を簡単にご紹介します。
DKW
実はアウトユニオンが設立される際の中心的存在となったのが、DKWです。
1930年代までは世界最大のオートバイメーカーで、世界中のレースを席巻するほどの実力を持っていました。
アウトユニオンの中ではコンパクトカーと、バイクメーカーとしても活躍しており、バイク譲りの2ストロークエンジンによるパワフルな走りが魅力だったようです。
当時のツーリングカーレースやラリーで活躍していた『DKW3=6』をベースに、FRP製の軽量ボディを被せた『モンツァ』の車重はわずか780kg。
そこに900ccの2ストロークエンジンを搭載した同車は、当時5つの世界記録を樹立した名車です。
ヴァンダラー
1885年に自転車の輸入会社としてスタートしたヴァンダラーは、1902年からオートバイの生産に参入。
翌1903年には自動車の製造にも着手し、ドイツの小型自動車メーカーを代表する一社となりました。
中でも、傑作と言われているのがヴァンダラーW25Kというスポーツモデルで、スーパーチャージャーを装着したフェルディナンド・ポルシェ博士設計の直列6気筒エンジンは85馬力を発揮し、1936年当時ではかなりの高出力をマークしています。
現在も、ペプルビーチなどのコンクールデレガンスや、オークションの場で姿を見かけるように、コレクターの間では評価の高いモデルです。
NSU
アウディ・DKW・ホルヒ・ヴァンダラーの4社で始まったアウトユニオンですが、1969年にNSUもその傘下(正確にはアウディに吸収合併)となります。
同社は、第二次大戦中はケッテンクラートと呼ばれる無限軌道のオートバイを製造していたことでも知られていますが、1964年に世界初のロータリーエンジンを搭載した『ヴァンケルスパイダー』を世に送り出したことの方が知られているかもしれません。
また大衆車のプリンツシリーズは、当時のツーリングカー/ラリーシーンで活躍し、フランスのシムカ・ラリーやルノー8ゴルディーニ、イギリスのサンビーム・インプらのライバルと同様のコンパクトRRマシンとしてレースを盛り上げました。
まとめ
アウディのロゴに込められた意味と、その前身となった『アウトユニオン』、そしてその更に前身となった4つの企業まで深掘りして、アウディの歴史を振り返ってみました。
また、アウトユニオン時代にも、株主がダイムラーからフォルクスワーゲンに移ったりと、長い歴史の中で紆余曲折が激しいメーカーでもあります。
しかし、今日まで生き長らえているのは、創業者のアウグスト・ホルヒが目指したように、常に新しい技術を取り入れつつ、高い品質にこだわっているからだと言えるでしょう。
自動車メーカーにとって、次の100年は電気自動車の時代。
アウディはもう100年続いていく為に、今後どのような変化をしていくのでしょうか。
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