振動が少なく滑らかに回り、パワーを出すにも適した形式として評価の高い直列6気筒エンジンですが、最低でも2リッター級以上の大排気量エンジンを搭載する車でなければ開発する意義も薄いため、国産車メーカーで市販乗用車用直列6気筒ガソリンエンジンを開発したのはトヨタ、プリンス、日産、そして三菱が初代デボネア用に細々と作っていたくらいです。今回はその中でも、モータースポーツでも活躍した代表的なエンジンを紹介します。

トヨタ2000GTの直6DOHCエンジン、3M / Photo by Moto “Club4AG” Miwa

<1>これがなければスカGもGT-RもR380もなかった!「プリンス G7」

G7を搭載したグロリア スーパー6がレースをリードした、第2回日本グランプリT-VIクラス / 出典:https://global.nissannews.com/ja-JP/motorsports-archive-j

日産へ吸収合併されて現存しない自動車メーカーとはいえ、直列6気筒エンジンを語るなら、プリンスが2代目グロリアのスーパー6(1963年6月発売)へ搭載するため開発した「G7」は外せません。

国産の量産乗用車用としては初のSOHC直6エンジンとして、当初は高級車用エンジンという位置づけだったG7は、小型車枠に収まる当時の1.9~2リッターエンジンの中では、トヨタ クラウンの3R(90馬力)、日産 セドリックのH型(88馬力)といった1.9リッター直4エンジンより格段にハイパワーな、105馬力(馬力はいずれもグロス値)を誇りました。

しかし、グロリア スーパー6の発売前に開催された1963年5月の第1回日本グランプリでは、スカイラインスポーツや、デビューしたばかりで1.9リッター4気筒ノG2(91馬力)を積む2代目グロリアでC-VIクラスへ参戦したプリンスは惨敗。

それも、レースへ向けてチューニングや有力ドライバーとの契約で本気を出し、見事優勝したトヨペット クラウンや、2位のいすゞ ベレルはもとより、日産 セドリックにすらかなわず、最高位はスカイラインスポーツの8位という、どうしようもない負け方で、販売実績にすら影響する有様に、プリンスの首脳陣は慌てました。

そして翌1964年におこなわれた第2回日本グランプリでは、何としても汚名を挽回したかったプリンスは、1963年9月に発売されたばかりのスカイラインの大量投入を決め、トヨペット コロナやいすゞ ベレットと争うT-Vクラスに通常の1.5リッター4気筒モデルを、そして前年大惨敗したT-VIクラスへは、グロリア スーパー6を送り込んで、いずれも優勝を果たします。

G7を押し込んだスカイラインGT、第2回日本グランプリでポルシェ904を相手に「スカイライン伝説」を作った / 出典:https://global.nissannews.com/ja-JP/motorsports-archive-j

さらにプリンスはGTカークラスも制するべく、本来4気筒エンジン用だったスカイラインのエンジンルームを拡大すべく、フロント部を延長。

グロリア スーパー6用のG7エンジンを強引に詰め込むのみならず、ウェーバーキャブ3連装で125馬力へとチューンした「スカイラインGT」を投入しました。

結果は、どこからともなく現れた刺客、ポルシェ904に圧倒的な差をつけられつつ、途中ドライバー同士の示し合わせもあって、1周のみスカイラインGTがポルシェの前を走り、「泣くなスカイライン、鈴鹿の華」と翌日の新聞に見出しが踊る、”スカG伝説”の幕開けとなりました。

S54型スカイラインGTは、その後GT-Bやシングルキャブレター版GT-Aといった量産モデルを輩出しつつ、G7B’Rと呼ばれるレーシングチューン版を搭載してレースを席巻。

規則変更でトヨタ1600GTの後塵を拝するまで、活躍を続けました。

日産と合併前のプリンスで実用化された、最初で最後のスポーツ用エンジンとなったG7ですが、その活躍あらばこそ、その後のスカイラインGTやスカイラインGT-R、R380といった直6搭載スポーツカーやレーシングカーの開発につながったわけで、もしG7がなければ、現在のR35GT-Rも存在しえなかったかもしれない、それほど重要な直列6気筒エンジンです。

その後のR380用GR8や初代/2代目スカイラインGT-R用S20も、直列6気筒エンジンの名機なのは間違いありませんが、ここではその原点たる「G7」を推したいと思います。

<2>2000GTから”3000GT”70系スープラ3.0GTターボAまでの栄光をつむいだ、トヨタ M型

国産乗用車用で初の得列6気筒DOHCエンジン「3M」を搭載したトヨタ 2000GT / 出典:https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/entering_the_automotive_business/chapter1/section3/item2.html

プリンスG7エンジンが実用化された頃、トヨタでも2リッターSOHC直列6気筒エンジン「M型」を開発しており、1965年11月に2代目クラウンへ初搭載されました。

最高出力105馬力(以下、いずれもグロス値)はG7と同等、クラウンSに搭載されたツインキャブのM-Bなら125馬力と、同時期発売の2代目日産 セドリック「スペシャル6」(115馬力)を上回り、2年遅れでようやく実現した高級感ある直6エンジンの搭載が実現しています。

しかし、M型がその高性能で世間を驚かせたのは1966年の第3回日本グランプリにてデビューし、2台のプリンス R380に次ぐ3位表彰台へ登ったのをはじめ、2ヶ月後の鈴鹿1000kmで優勝するなど、順調に名前を知らしめた後、1967年1月に発売された「トヨタ2000GT」用の3M型でした。

3M型は、国産市販乗用車初のDOHCエンジンで、「ヤマハチューンのトヨタ高性能エンジン」という図式を確立した初期の傑作エンジンでもあります。そして、当時の国産2リッターエンジンとしては、もちろん最強の150馬力を発揮!

価格はクラウンの倍、当時の大卒初任給で約7年8ヶ月分なので、現在なら約2,000万円に相当することから、国産初のスーパーカーとも言われています。

そんな2000GTですが、耐久レースや速度記録への挑戦では強かったものの、アメリカでのレース参戦結果は、肝心の3Mエンジンがまだまだポテンシャル不足で、世界の壁を感じさせられる事になりました。

セリカGT-Fourデビューまでの代役としてWRCへ参戦していたこともあるグループAの70スープラ。3リッター直6ターボのFRでは重くて大変だっただろう / 出典:https://www.favcars.com/wallpapers-toyota-supra-liftback-safari-rally-a70-1987-78838.htm

その後も排気量の拡大、排ガス規制への対応、EFI(電子制御燃料噴射)化、3M以来のDOHC化などの改良を続けながら使われていったM型シリーズですが、その最終到達点となったのが、70系スープラや2代目ソアラへ搭載された3リッター直列6気筒DOHC24バルブEFI インタークーラー付きツインターボの「7M-GTEU」です。

もはや初期の2代目クラウン搭載時どころか、2000GTの3Mと比べても別物といってよいほど進化を極め、JTC(全日本ツーリングカー選手権。後のJTCCとは別)へ出場するグループAのホモロゲーション用に500台限定で1988年8月に販売された「スープラ3.0GTターボA」では、後の280馬力自主規制に迫る最高出力270馬力へ達しました。

また、グループAマシンとしての70スープラは、JTCのデビュー戦でみごと優勝。

その実力を証明してみせましたが、その後は海外勢やスカイラインGTS-Rなどにかなわず、BNR32スカイラインGT-Rがデビューすると、世代差を認めて撤退。短期間の活躍に終わっています。

JZ系エンジンのデビュー前には、直列4気筒エンジンにレースで活躍した名機が多い印象が強いトヨタですが、その中でも3Mや7M-GTEUは、当時の日産直6にも対抗できる数少ない直6エンジンでした。

<3>“Zカー”人気の原動力ともなり、初の国産乗用車用ターボにもなった日産 L型6気筒

L24を搭載してレースやサファリラリーで大活躍した初代フェアレディZ / 出典:https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/release-3aa78e15f1600e402c914303295b2b0d-130917-04-j

トヨタのM型と同期で、2代目セドリック スペシャル6が初搭載となった日産のL型6気筒(※4気筒バージョンもある)は、プリンスのG7系を含む初期の国産直列6気筒エンジンでは、M型と並ぶ量販エンジンとして、さまざまな車種で広く使われました。

230こと3代目セドリック/4代目グロリア以降の日産/旧プリンス高級セダン、3代目C10以降のスカイラインや2代目以降のローレルなど、アッパーミドルクラスセダンのスポーツグレードで多用される一方で、スポーツエンジンとしての名声を高めたのは、1969年に発売された日産S30 フェアレディZです。

主要市場の北米向けに開発された、実用性とスポーツ性を兼ね備えた3ドアファストバッククーペだった初代フェアレディZは、日本の小型車枠に収まる2リッターのL20搭載車もラインナップしつつ、当初スポーツモデルとしては初代スカイラインGT-Rと同じ直列6気筒DOHCエンジン「S20」を搭載したZ432をラインナップし、レース用のZ432Rもありました。

しかし、合併後も摩擦の絶えなかった日産と旧プリンス双方の技術陣の間に挟まれた煽りをモロに受けたZ432は、最高速こそスカイラインGT-Rに勝ると言われたものの、振動面やバランス面での熟成不足なのか、車体とエンジンのマッチングがうまくいかなかったと言われています。

結局、北米向け主力で2.4リッター版L24を積んだ240Zがレースでも活躍。

雨のレースでめっぽう強く「雨の柳田」と呼ばれた名手 柳田 春人を生むなど、スカイラインGT-RやB110サニークーペなどとともに、日産のレース活動の一翼を担いました。

そんなL型もマスキー法以来の排ガス規制対策に追われ、触媒装着やEGI(電子制御燃料噴射)などの対策を施されるもらパワーダウンやレスポンスの悪化は著しくなります。

それでも高級車やフェアレディZなどの輸出向けは、2.8リッター版L28などの排気量アップで対応するも、2リッターEGI版L20Eを搭載したスカイラインGT(5代目C210)など、トヨタやいすゞのようにDOHC仕様をラインナップしなかった事で、ライバル車のCMで「名ばかりのGTは道を開ける」とまで揶揄される屈辱を味わいました。

国産乗用車初のターボ車の1台、430型セドリック4ドアハードトップ ターボ ブロアム / 出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/motorz.production.assets/wp-content/uploads/2016/09/http-www.tomeipowered.comBTEindex.phptomei-history2735.jpg?id=201

その屈辱を晴らしたのは1979年10月、セドリック/グロリアへ初搭載された、国産乗用車用では初のターボエンジン「L20ET」です。

名目上は現在のダウンサイジングターボと同じく「大排気量車並にパワフルだけど燃費がいい」という環境エンジンという触れ込みでしたが、それとは裏腹にブーストをかけると目に見えてみるみる下がる燃料計と、代わりに轟然と加速するパワフルさで、面目を保ちました。

ただしL型エンジンの絶頂期はこのターボ化あたりで、その後も1980年代半ばまで搭載は続いたものの、新世代エンジンとして開発されたV型6気筒のVG系や、V6移行期のつなぎ役として後継になったRB系へと後を譲っています。

しかしその後もL型6気筒エンジンは、その頑丈さを活かしたチューニングベースとして、自然吸気高回転志向のメカチューンから、大排気量ターボチューンまで、チューニングカー用エンジン黎明期の傑作と言われるポテンシャルを発揮。

人気漫画「湾岸ミッドナイト」の主役級マシン、悪魔のZこと初代S30フェアレディZ用にも、3.1リッターツインターボ化されたL28改が使われるなど、現実でも創作でも旧車チューニングには定番の存在となり、ただのチューニングベースというだけでなく、アナログな感性に訴える伝説級エンジンとして扱われています。

<4>言わずとしれた最強の国産直6エンジン、日産 RB26DETT

名機RB26DETTを引っさげて登場するや、無敵の強さを誇ったBNR32スカイラインGT-R / 出典:https://global.nissannews.com/ja-JP/motorsports-archive-j

前項で紹介したように、日産の直列6気筒エンジンは、新世代のV型6気筒エンジンVG系へ置き換えられる事に一度は決まり、1983年6月に発売されたY30型セドリック/グロリアから順次搭載開始となります。

それにより、それまで6気筒エンジンを積めなかったFF車の大排気量も、可能となりました。

しかし、FR車については直列6気筒エンジン搭載車も残して段階的な移行を図るとともに、「保険」をかけることとなり、新世代とはいえ開発コストはVG系へ集中していた事から、L型ベースの鉄製エンジンとして低コストに開発された新世代エンジン「RB系」が登場します。

L型の市販車用では果たせなかったDOHC24バルブ化も可能となったRB系は、その当初、初期のVG系とともにあまり評判のいいエンジンと言えなかったものの改良を重ね、直列6気筒のフィーリングを好むユーザーから愛されるエンジンに進化。

結果的には、VGが軌道に載るまでのつなぎではなく、さらに新世代のVQ系へ更新されるまで使われ続けました。

そのRB系エンジンの中でも超別格な存在で、BNR32スカイラインGT-Rがレースで勝つために開発され、タイヤサイズなどの規則の制約から最適とされた2,568ccとして、DOHC24バルブツインターボ化されたのが「RB26DETT」です。

そして1990年にBNR32がグループAレース(JTC)へ参戦するや、それまでフォード シエラなど外国車勢に圧倒されていた国産スポーツが、もはやそれらを寄せ付けないほどの強さを知らしめたGTカー最強マシンの原動力となり、グループA終了後のJGTC(全日本GT選手権)でも引き続き活躍しています。

1994年のデイトナ24時価レースへ参戦したBNR32スカイラインGT-R / 出典:https://global.nissannews.com/ja-JP/motorsports-archive-j

レーシングエンジンとしての素質は、外圧による改造制限の緩和でチューニング熱が高まっていたストリートのチューニングカーでも、いかんなく発揮されます。

もともと300馬力級で開発されたものを自主規制で(少なくともカタログ上は)280馬力を謳っていただけのエンジンなので、マフラー交換など吸排気程度のライトチューンで容易に300馬力オーバーが可能と言われるなど、チューニングカーの世界を急速に塗り替えていきました。

市販車用としては2002年まで販売されたBNR34までの各種スカイラインGT-Rと、ステージア260RSに搭載された程度でしたが、それらが絶版になった後も1,000馬力オーバーすら可能な直6チューニングベースの王様として、現在も君臨しています。

RB26DETTは普通のRB系とは名前とシリンダーブロックの素材以外のほとんどが別物とも言われますが、少なくとも途方もない大パワーを生み出すチューニングベースとしての素質はRB系の、そしてその原型となったL型の資質を受け継いでおり、日産直6エンジンの伝統を忠実に受け継いだ最高峰エンジンと言えるでしょう。

<5>最後の国産直列6気筒ターボエンジンとなるか、トヨタ 1JZ-GTE

最後の国産直6ターボエンジン、1JZ-GTEを搭載したマークIIブリット / 出典:https://www.favcars.com/toyota-mark-ii-blit-x110w-2002-04-images-113914.htm

日産最後の直列6気筒エンジン「RB」系が登場した後も、しばらくは旧世代の「M」系および、新世代ながら2リッターに特化した小型直6「G」系を併用していたトヨタですが、いよいよ進化の限界に達した「M」系に代わる新世代直列6気筒エンジンとして「JZ」系を開発します。

1990年には最初の2.5リッター版1JZ系がマークII3兄弟やソアラ、スープラなどへ、1991年には3リッター版の2JZ系がクラウンやアリストなどに搭載されていき、M型を更新していきました。

その中で特筆すべきは2.5リッターDOHC24バルブターボの1JZ-GTEで、同3リッターの2JZ-GTEと異なって開発にはヤマハが携わり、長期的には2リッターターボの1G-GTE後継とされつつ、その初期にはむしろ3リッターターボの7M-GTEU後継として置き換わっています。

排気量の差で最大トルクこそ2JZ-GTEには及ばないものの、初期には軽量セラミックツインターボで抜群のレスポンスを誇り、後には可変バルブタイミング機構とシングルターボ化で、低回転域でのトルクの高回転域のパワーやレスポンスを両立。

後にチューニングベースの名機としてRB26DETTと並び称されるのは2JZ-GTEの方が多いものの、市販車向けの素性やバランス、フィーリング面では1JZ-GTEが好まれ、2JZ-GTEが80スープラとアリストへの搭載にとどまったのに対し、2~3リッター級の車種多数へスポーツエンジンとして搭載されたのは、1JZ-GTEでした。

また、最後の2JZ-GTE搭載車である2代目アリストが2005年8月で販売を終了すると、ステーションワゴンのマークIIブリットで1JZ-GTEを搭載するグレードが「最後の国産直6ターボ車」となり、2006年5月に生産を終えると同時に、国産直列6気筒ガソリンターボ、そして国産直列6気筒スポーツエンジンの歴史は幕を閉じています。

直列6気筒エンジンが見直されている現在、国産直6復活は実現するか?

国産直6エンジン最高の名機、日産RB26DETT / Photo by Alexander Nie

2021年3月現在、直列6気筒の国産ガソリンエンジンで、市販車へ搭載されているものはありません。

最後まで生産されていたクラウンセダンのマイルドハイブリッド車(1G-FE)が2008年4月で廃止されて以降、国産車のガソリンレシプロエンジンはV型か、直列でも4気筒か3気筒のみになりました。

ただ、最近は衝突安全技術の発達と、電動化の絡みで縦置きエンジンにマイルドハイブリッドシステムや電動スーパーチャージャーなどを搭載するなら直列6気筒の方が有利と見直されており、直6エンジンをやめずに続けてきたBMWはもとより、一時は全廃したメルセデス・ベンツも直6エンジンのマイルドハイブリッド車を復活させています。

日本でもマツダが次期MAZDA6や次期CX-5用に直列6気筒エンジンを開発中と言われており、夢のある話であると同時に、マツダの規模で採算が取れるのかと心配する声も少なくありません。

ともあれ国産直列6気筒エンジン復活の可能性は、まだ消えたわけではないのです。

新時代の直列6気筒エンジンが登場するとして、今回紹介した名機のような伝説を残すエピソードが生まれるかどうか、楽しみに待ちたいと思います。

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