大きく跳ね上がったエアロパーツやピカピカの装飾ランプ、巨大スピーカーなどで装飾したバニングカー。JMD(Japanese domestic market)で独自のスタイルを確立させたバニングカーが、2000年代に入ってから減少の一途をたどっています。なぜバニングカーは、街中であまり見なくなったのでしょうか?
アメリカ発祥のバニングカー
バニングカー文化が始まったのは、1940年から1950年代にかけての間。アメリカ カリフォルニア州で、多くのサーファーがバンやトラックをオリジナルスタイルに改造して乗り始めた事が始まりです。
そんなバニングカーの黎明期は、フォルクスワーゲン タイプ2をベース車両としたバニングカーが多く、若者たちは積載部分に居住性を持たせた自由な空間を作り出し、『freedom of the road』や『Hippie』というライフスタイルにも、影響を与えていきます。
その後、時が経つにつれ、ダッジ A100やダッジ キャラバン、シボレー アストロなどのバンが続々と登場すると、バニングカーのカスタムは内装だけでなく、外装のドレスアップカスタムまでもが重要視されるようになり、1980年に映画『バン・バニング・バン』が公開されたことで、バニングカーが世界中で知られるようになりました。
日本でバニングカーが走り出したのは、1970年代または1980年代とされており、当初は富裕層の若者たちが高価なアメリカ製バンをカスタムしていましたが、徐々にトヨタ ハイエースや日産 キャラバンなどの国産バンをベースとしたバニングカーカスタムが浸透していきます。
そして日本がバブル期に入ると、バニングカーブームに突入。巨大なエアロパーツや爆音のウーハー、オーディオの搭載など、バニングカーのカスタムはどんどんエスカレートしていきました。
その後1990年代になると、有名人やアニメキャラなどをボディに描いた派手なカラーリングのバニングカーへと変貌していきます。
しかし、アメリカとは異なり日本はクルマに関する法令が厳しいため、乗用や貨物といった車両登録では、それらは明らかな違反改造車両となります。そのため、バニングカーのほとんどが、特種用途自動車の8ナンバー車でした。
8ナンバーとは
8ナンバーは、特種用途自動車の自動車区分に付与されるナンバーで、分類番号と表す数字が8で始まることから、『8ナンバー車』と呼ばれています。
8ナンバーが取り付けられるクルマは、パトカーや救急車といった緊急車両や医療防疫車、教習車といった法令特定事業車などが主ですが、一般ユーザーが購入できるキャンピングカーも8ナンバー車になってる車両が多々あります。
そんな8ナンバー登録のメリットは、税金などの維持費が軽減されるほか、1ナンバーや4ナンバーといった車両では、車検期間が1年ですが、8ナンバー車は乗用車と同じ2年になるため、税金面や車検面では非常に優遇されたクルマとなるのです。
バニングカーが消えていく理由に8ナンバー登録の規制強化
Heard you guys like weird Japanese car culture – Let me introduce you to vanning. I live in Japan and it’s still pr https://t.co/smfUufxTb0 pic.twitter.com/rfTB8sxXbn
— Power Digger (@ThePowerDigger5) 2018年9月6日
一見、違法改造に思えるバニングカーですが、合法車両も多く存在します。
車検証に書かれている全長/全幅/全高、車重、乗車定員などの構造変更を申請し、バニングカーと車検証に書かれている数値を合わせれば、ほとんどが合法車両として登録可能。
一方で、元々が8ナンバーのキャンピングカーを、構造変更申請をしないままバニングカーに改造して公道を走れば違法です。
8ナンバー不正取得が問題に
同誌に掲載されていた8ナンバーの話。税金対策の不正取得で調子にのってやっていたら規制が強化されたやつ。 pic.twitter.com/6TZm5iXU9t
— HLFish (@sorwdfish2) 2018年11月3日
1990年代後半から、8ナンバー車両の税金や保険料が安くなるメリットを受けるために、表向きはキャンピングカーや放送宣伝車、事務室車といった形で8ナンバー登録をおこない、装備を外して走行する違法行為が多発します。
そしてバニングカーやカスタムスポーツカー、さらには明らかに特殊用途に自動車ではないクルマでも、8ナンバーを取得してしまう事態に陥ったのです。
そこで国土交通省は2001年10月から、特殊用途自動車の車体の形状ごとに構造要件を制定。安易に8ナンバーを取得できなくなりました。
さらに、 8ナンバー車に登録できたとしも、キャンピングカーなどに搭載されるシンクやベッドなどは検査後に取り外せないよう、固定することなどが定められています。
バニングカーのベースは100系ハイエースな理由とは?
バニングカーのベース車両を見ると、ほとんどが100系ハイエースです。
8ナンバーの規制が厳しくなってから200系ハイエースが登場したため、200系ハイエースは新規制度の下で構造変更申請を行わなければならず、バニングカーを作るのが難しくなりました。
とは言っても200系ハイエースでもバニングカーを製作することはできますが、巨大なエアロパーツを取り付けたバニングカーは、ほとんど見受けられません。
一方で100系ハイエースは旧基準が適用されるため、今なお見かける派手なバニングカーのベース車両は100系ハイエースや同時期に販売されたバンやワゴン車ということになります。
そのため、ベース車両が古くなればなるほど中古車市場の個体数が減っていき、バニングカーはどんどん減少していきました。
バニングカー専門店であれば、確実に8ナンバーを取得できるノウハウを有するお店もありますが、規制強化と200系ハイエースの登場により、バニングカー専門店も一気に減少したといわれています。
バニングカーは日本独自のカスタム文化として発展してきましたが、規制強化という壁が、衰退へといざなう形となったのです。
まとめ
TBSで放送された深夜番組『所さんのワーワーブーブー』でバニングカーが特集された際、若者が派手なバニングカーを『カスタム費用に1000万円以上かけました!』と自慢していたのを思い出すと、なんだか不思議な気持ちになります。
バブルが始まって間もない時代だったといっても、20歳そこそこの男性がバニングカーに1000万円以上をかけられるとは、彼らはどれだけバニングカーに人生を捧げてきたのでしょうか。
当時、日本のバニングカー文化はどんどん進化していき、カスタムカーが集結する大黒パーキングエリアには、バニングカーを求めたギャラリーやメディアが集結。
バニングカーが駐車されている周辺は、ディスコ状態となっていました。
そんなカスタムカーの一時代を築いたバニングカーをほとんど見かけなくなってしまった事は、なんだか寂しいきがします。