2019年シーズンは5年ぶりにBクラス落ちとなってしまった広島東洋カープ。2016〜2018年と3年連続リーグ優勝を果たしていただけに、野球好きであれば哀歓悲喜、様々な意見はあると思います。そんなカープと切っても切れない縁にあるのが、同じ広島を本拠地とする日本の自動車メーカー『マツダ』。今回はカープとマツダの両者に見つけた、野球好きなら知っておきたい意外な(?)共通点に迫ります!!
地元、広島に愛され続けるマツダとカープ
マツダといえばロータリーエンジンを生産していた事でクルマ好きからはお馴染みの自動車メーカーですよね!
そのルーツは1920年に設立された『東洋コルク工業株式会社』にまで遡ることができます。
戦前から3輪トラックなどを発売したりしていましたが、本格的に4輪車の生産を開始したのは1950年のCA型トラックです。
1960年の軽自動車『R360クーペ』から乗用車の生産を開始し、現在へ至ります。
対して、広島東洋カープが設立されたのは1950年のことです。
特定の親会社を持たない日本唯一の市民球団として設立された経緯から、他球団と比較しても熱心なファンが多いことが特徴です。
1968年に東洋工業(現在のマツダ)社長の松田恒次氏が筆頭株主となり、オーナーに就任したことから球団名が『広島東洋カープ』になり、現在まで続く関係性がスタートしました。
ホームグラウンドとなる『広島市民球場』も、現在ではマツダがネーミングライツ権を取得し、『MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島』(通称”マツダスタジアム”)として多くの広島市民とカープファンに愛されている球場となっています。
共通点は赤色!
チームカラーが赤色の広島東洋カープですが、マツダにとっても赤色は何かと縁が深い特別な色なのです。
今回はマツダと広島東洋カープの”赤色”にまつわるエピソードをご紹介していきます!!
カープのヘルメットはマツダが塗っている…!?
現在、マツダのブランドイメージとしてある『ソウルレッド』は広島東洋カープのヘルメットにも使われているってご存知でしたか?
赤色がチームカラーのカープと、新しいマツダブランドを象徴していくカラーとして選ばれた『ソウルレッド』がコラボして、勢いを増していっています
赤はマツダにとってのラッキーカラー?
赤いファミリアでバブル世代にはお馴染みの5代目ファミリアは、『陸サーファー』という流行語を生みだすほどの社会現象を起こし、1980年当時のマツダを経営危機から救ったのでした。
1989年のシカゴモーターショーで世界初公開された、真っ赤に身をまとった初代ロードスターもまた赤色に縁のある1台です。
ボディカラーの『クラシックレッド』はNAロードスターのデビューの際のメインカラーとしてプッシュされていたカラーリングになります。
NAロードスターが以降のスポーツカー開発に多大なる影響を与えたことは、有名な話です。
2010年以降、マツダは『魂動(こどう)−SOUL of MOTION』というデザイン哲学を掲げ、現行ラインナップを大改革していきました。
新デザインテーマの”魂動デザイン”を採用したフラッグシップモデルとして華々しくデビューしたのが、3代目となるGJ型アテンザでした。
そして、魂動デザインの造形をより美しく見せるための陰影表現を追求し、ブランドを象徴していくカラーとして導入されたのが『ソウルレッドプレミアムメタリック』なのです。
蛇足ですが、こちらのアテンザ オープンカーは特注で2台しかない車両となっており、広島東洋カープの優勝パレードなどの特別なタイミングでのみ見ることが出来ます。
そこに注目してみるのも一興です。
このようにマツダの歴史の転換期となるタイミングで必ず登場するのが、広島東洋カープのチームカラーでもある”赤色”なのです。
”赤色と広島”という不思議な縁で強く結ばれたマツダとカープを結ぶ糸の色も、間違いなく赤色なのでしょう。
まとめ
マツダと広島東洋カープの切っても切れない縁についてご紹介してきました。
何事も長く続けていれば野球チームであろうと企業であろうと紆余曲折はあります。
しかし、どんな時も力を合わせて前向きに、より良い未来を目指して、これまでに様々な困難を切り抜けられてきたのは広島という土地がそうさせたのかもしれませんね。
マツダもカープも共に広島を愛し、そして広島から愛されているという相思相愛が成立している稀有な企業・チームではないのでしょうか。
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