スーパーカーブームの興奮冷めやらぬ1970年代後半、海外モータースポーツの流れを汲む形で日本に導入されたグループ5・シルエットフォーミュラ。市販車の車体をベースとしてはいますが、極端にワイド化されたエアロパーツを纏い、専用設計の大パワーエンジンを搭載したマシンに当時の若者は熱狂しました。その人気は、レース開催日にサーキットへ向かう高速道路が渋滞してしまう程で、ちょっとした社会現象の様相を呈していたと言われています。なぜ人々はシルエットフォーミュラに熱中したのか?その魅力に迫っていきたいと思います!
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一度は耳にした事がある、シルエットフォーミュラとは?
1970年代中盤、世界のモータスポーツシーンを牽引していたプロトタイプレーシングカーがFIAの意向により衰退し、新たに世界選手権を争うマシン規定として選ばれたのがグループ5です。
最低生産台数400台以上の市販車をベースとして、その面影を残したモンスターマシンを多くのメーカーに製作させるというのがFIAの狙いでした。
欧州ではフォーミュラカーのようなシャシーを持っていた事から「シルエットフォーミュラ」と呼ばれます。
グループ5規定の日本での導入は1979年から。
富士グランチャンピオンレース(グラチャン)の前座として、グループ5規定採用の富士スーパーシルエットシリーズがスタートしました。
後に主役であったはずのグラチャンを追い抜く人気を獲得し、日本にシルエットフォーミュラの一大ムーブメントが巻き起こります!
日本のモータースポーツ界を席巻した怪物マシン!
Nissan Skyline RS Turbo
シルエットフォーミュラと言えばコレ!トミカスカイラインターボ!
ハコスカGT-Rでの歴史的な勝利記録から約10年、再びスカイラインがサーキットに帰ってきたのは1982年の事でした。
アルミパネルとパイプフレームで構成されたシャシーに、2082ccの直列4気筒ターボエンジンを搭載。
それも現代のような「下から扱いやすいターボ」ではなく、加給が始まった途端にロケットのような加速を発揮する”ドッカンターボ”である。
この扱いにくいマシンを懸命にドライブしたのは長谷見昌弘選手。
「スタンドのどよめきが聞こえて感激したよ」という長谷見選手のコメントがある事からも、いかにスカイラインのレース復帰が熱望されていたかが分かります。
同じカラーリングでグループC仕様のマシンも製作されており、唯一フロントエンジンのCカーとして非常に人気が高い一台でした。
Nissan Silvia RS Turbo
日本一速い男の異名を持つ星野一義選手がステアリング握ったニチラインパルシルビア。
1981年に先代型のKS110をベースとしたシルエットフォーミュラカーがデビューするも、これは市販車のモノコックを使用した暫定使用の車両でした。
1982年にKS120ベースのマシンが投入され、パイプフレーム構造とサイドラジエターを採用して完全なるシルエットフォーミュラマシンに進化。
スカイライン・シルビア・ブルーバードの3車種で構成された「日産ターボ軍団」と呼ばれる事になります。
搭載する2082cc直列4気筒ターボエンジンは570馬力を発生。
スカイライン同様に極端なドッカンターボ特性であり、ドライバーの力量が大いに試されるマシンに仕上がっていました。
そして特徴的なインパルの十文字ホイール、自分の愛車につけていた人も多いのではないでしょうか?
Nissan Bluebird Turbo
スカイライン同様、1982年に参戦を開始したブルーバード。
2082cc直列4気筒ターボエンジンは、L系4気筒エンジンにツインカムヘッド&ツインスパークプラグ機構を組み込んだ特別なものです。
ターボ加給によって600馬力近いパワーを絞り出し、今まで日本のモータースポーツファンが見た事もない程の猛烈な勢いでストレートを滑走していきました。
ルーカス製メカニカルインジェクションシステムの特性で減速時に強烈なアフターファイヤーを噴き上げ、その光景は現代まで語り継がれる雄姿となっています。
ブルーバードのドライバーは柳田春人選手。
「とにかくストレートが速く、じゃじゃ馬だった」と当時を振り返っています。
真っ赤なコカ・コーラカラーで現れたブルーバードはデビュー戦でいきなり3位表彰台の活躍を見せるが、その後も改良を繰り返して徹底的に速さを追及していきました。
BMW M1
世界的なモータースポーツシーンで圧倒的な強さを示していたポルシェを撃墜するため、BMWが初めて製作したミッドシップスポーツカー「M1」。
ノウハウを求めてランボルギーニやダラーラと提携し、BMWモータースポーツ社の主導で開発が進められました。
しかし様々なメーカーと提携した事で完成が大幅に遅れてしまい、当初の目的であった世界選手権で活躍することなく未完の大器となります。
なおグループ5仕様として開発されたM1はターボ加給で850馬力を発生していたという逸話も残っています。
日産ターボ軍団との熾烈なバトルを覚えている方もいるのではないでしょうか?
Toyota Celica LB Turbo
BMW M1と同じく、最強のグループ5マシン「ポルシェ935」の牙城を崩すため1977年にデビューしたセリカLBターボ。
名門シュニッツァーにより開発されたグループ5仕様セリカは、特別設計の16Vヘッドを組み合わせた18R-Gエンジンを搭載し、KKK製ターボによる加給で560馬力を発生しました。
このマシンを日本へ輸入し、1979年から富士SSに参戦させたのがトムスです。
舘信秀選手によるドライブで富士インター200マイルを制覇したセリカは、翌年にはRA40系に進化しました。
日本のモータースポーツ史では、伝説的な存在であるシルエットフォーミュラ。
次のページでは、動画で当時のレースを振り返ります。
アフターファイアするシーンは、やっぱり映像でみたいですよね!