1990年代に世界的人気を確立した4ドアセダンによるツーリングカーレースの数々。もちろん、ここ日本にもモータースポーツファンが熱狂したJTCC(全日本ツーリングカー選手権)が存在しました。異様なほどのシャコ短に小さなGTウィング、そして超高回転型NAエンジンが発する甲高く乾いたレーシングサウンド。トランクがあってドア4枚の”オヤジ車”が、こんなにスパルタンなレースマシンに仕立てられてしまうなんて!今回はそんなギャップあり過ぎなJTCCマシンをご紹介します。
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日本最速のセダンマイスターは誰だ!?手に汗握るバトルに日本中が熱狂したJTCCとは?
世界的なモータースポーツの流れに沿う形で1994年から開始されたJTCC(全日本ツーリングカー選手権)。
それまで採用されていたグループA規定によるレギュレーションを、先立ってイギリスで成功を収めていたクラス2 ツーリングカー規定へ変更した事が最大のポイントです。
参戦できる車両はフロントにエンジンを搭載する4ドアモデルで、最低生産台数が連続する12か月間2500台以上販売されていないといけないという正真正銘、市販車によるレース。
原則として駆動方式は変更不可(4WDは例外)とされており、6気筒以下の2リッター自然吸気エンジンでなければいけません。
末期グループAのような圧倒的パワーを持たない分、コース各所で熾烈なブレーキング合戦が繰り広げられ、ドライバー同士の巧妙な駆け引きや腕試しに観客は魅了されました。
初年度からトヨタ・ホンダ・日産・マツダの日本メーカー、さらにBMW・ボクスホール(オペル)・アルファロメオ等の海外勢が参戦するという賑わいを見せ、グループAに代わって一気に不動の人気カテゴリーへと成長していったのです。
いよいよここからJTCCを戦った渋カッコ良いレーシングセダンをご紹介していきます!
TOYOTA CORONA
JTCC創成期を代表する中型セダン コロナ。
1950年代後半に誕生し、カローラやクラウンと共にトヨタのラインナップにおいて重要なポジションに位置付けられていました。
しかしモータースポーツ活動については長らくカローラ系ラインナップに譲る流れとなっており、JTCC参戦という形でモータースポーツ復帰を果たした事は日本自動車史にとっても有意義な選択だったはずです。
1994年JTCC開幕戦に持ち込まれたコロナは、前年までのBTCC(英国ツーリングカー選手権)を走っていた英国トムス製の車両そのもの。
JTCC参戦にあたって前年までの弱点を克服するため、日本のトムスがサスペンション等に改良を加えています。
エンジンは2リッター直列4気筒の3S-GE型で、当時最強の290馬力を発生。
トムスの同僚トム・クリステンセン選手、そして世界的に有名なツーリングカーマイスターであるシュニッツァーBMWのスティーブ・ソパー選手らとのチャンピオン争いが最終戦の第2レースまでもつれ込んだ関谷正徳選手は、抜きつ抜かれつの大混戦の末に奇跡的な大逆転チャンピオンを獲得しています。
他にも鈴木亜久里選手やミハエル・クルム選手等、そうそうたる面々がコロナのステアリングを握りました。
TOYOTA CHASER
1996年に登場しJTCCを席巻していたアコードに対抗すべく、トヨタは1997年開幕戦から新型チェイサーをエースマシンとして導入しました。
それまでのエクシヴやコロナといったFF駆動方式ではなく、チェイサーは後輪駆動のFRです。
この方向転換は、FF勢が新型車投入等で劇的な戦闘力向上を果たす中でも、E36型のまま後輪駆動で健闘し続けるBMWに倣ったものだと言われています。
JTCC参戦にあたってエンジンを直列6気筒ターボから実績のある直列4気筒自然吸気に換装し、搭載位置をより低く後方へ下げる努力が成されています。
パワーの面でも、厳しい開発競争の末に2リッターながら300馬力オーバーを発生。
しかし他車と比べて明らかに大柄なボディーと後輪駆動という新たな試みが裏目に出てしまい、1997年デビューイヤーは関谷正徳選手の3位表彰台が最高位。
熟成が進んで迎えた1998年はホンダや日産の撤退に伴ってほとんどトヨタワンメイクと言ってもいい状態となり、結局どれほどのポテンシャルを持っていたのか分からないままJTCC自体が消滅してまったのです。
果たしてチェイサーJTCC仕様が未完の大器だったのか、それともアコードという最速のツーリングカーに惑わされた迷車なのか、もはや知る術はありません。
HONDA CIVIC FERIO
グループAクラス3において36勝と無敵を誇っていたシビック。
クラス2ツーリングカー規定のJTCCへ移行しても、その強さは不変のものであると思われていました。
軽量コンパクトな車体に搭載されたのは、インテグラ用1.8リッターVTECをロングストローク化した2リッター直列4気筒エンジン。
前年のグループA終盤戦にJTCCテスト車両を参戦させる等、新シリーズ開幕に向けて着々と準備が進められました。
ドライバーは中子修選手や服部尚樹選手が担当。
まさに磐石の態勢で臨んだホンダ陣営だったのですが、蓋を開けてみれば1994年開幕戦から34連敗という地獄絵図のような状況が待っていたのです。
後に判明した事として、ライバル車に比べて劣るボディー剛性や空力性能が完敗の原因だったとか。
もちろんF1や数々のカテゴリーで成功を収めていたホンダにとって2年間で1勝も挙げられない状況が許されるはずもなく、後に最速ツーリングカーと称されるアコードが誕生したキッカケともなったのです。
MAZDA FAMILIA
マツダの量産車カテゴリー復帰の場として選ばれたJTCC。
拡充を図っていた市販車ラインナップの中でも特にスポーツ志向が強い事から、発売されたばかりの小型クーペ ランティスを投入しました。
しかしランティス最大の売りであるはずのV型6気筒エンジンが逆にウィークポイントとなってしまい、開発の遅れと相まって惨敗。
そんな中、起死回生のベース車両として新たに選ばれたのがBH型ファミリアセダンだったのです。
エンジンは市販車に採用されていた2リッターのFS型ではなく、ロードスター等に搭載されていた1.8リッターのBP型エンジンを2リッター化して換装。
パワーこそ若干ランティスに劣るものの、軽量コンパクトなBP型エンジンは十分なアドバンテージを持っていました。
ランティスでの苦戦を糧としてトップチームに勝るとも劣らない工夫を盛り込んだファミリアでしたが、運悪く不況による資金・人材不足に見舞われてしまい、目立った成績を残せないまま1996年いっぱいで撤退してしまいます。
JSPCや全日本F3000にも参戦したイギリス人のアンドリュー・ギルバート=スコット選手、ミスター ル・マンこと寺田陽次郎選手らがファミリアのステアリングを握りました。
NISSAN SKYLINE GTS
JTCC参戦車両の中でもかなり珍しいのがR33型スカイラインセダンです。
このマシンは1994年シーズンの3大会に近藤レーシングガレージが送り込んだもので、BMW等の活躍からトラクション性能で他車よりも有利なFRを選択したのでした。
エンジンは市販車の直列6気筒ではなく、プリメーラと同じ2リッター直列4気筒エンジンに換装しています。
しかしベース車由来の巨大なボディーや剛性不足に悩まされる事となり、出走したレースでは完走するのがやっとだったようです。
ドライバーは、JTCCの前身であるJTCにも参戦していた飯田薫選手が担当しました。
NISSAN SUNNY
JTCC開幕に向けて開発が進んでいたP10型プリメーラ。
しかしその開発費が高騰し始めた事を危惧した日産は、ワークス以外の日産系チームに向けた低コストマシンとしてB14型サニーの開発をニスモに委託しました。
ライバルであるアコードやエクシヴがワイドトレッド化で成功を収めていたのに対し、サニーはよりコンパクトで軽量なマシンとして仕立て上げられたのです。
プリメーラで蓄積したノウハウを存分に注ぎ込んだ結果、重量物をより低く車体中心に集める事に成功したサニーは、類まれな旋回性能を獲得しました。
しかし、低コストを意識して採用したビームアクスル式リアサスペンションが接地性能に悪影響を及ぼしてしまい、ほとんどのドライバーが適応できない程にナーバスなハンドリング特性となってしまったのです。
この影響が終始足を引っ張り続ける結果となり、サニーが獲得した勝利は1995年の1勝のみ。
サニーで得られた低重心化のノウハウは次代のP11型プリメーラに引き継がれ、アコードに真っ向勝負を挑んでいくのでした。
本山哲選手や飯田章選手がサニーのステアリングを握っています。
Alfa Romeo 155 D2
イタリア・ツーリングカー選手権や英国ツーリングカー選手権でタイトルに輝いたアルファロメオ155。
名門アルファ コルサが製作したワークスマシンを日本へ輸入し、1994~1995年のJTCCに参戦したのがユニコルセでした。
本場のツーリングカーレースで鍛え上げられたマシンだけに、エンジン性能やボディー剛性等、どれを取っても高い次元で仕上げられていました。
エンジンは2リッター直列4気筒で290馬力を発生し、組み合わされるミッションはヒューランド製の6速シーケンシャルです。
さらにユニコルセはワークス仕様である155の性能を存分に発揮させるため、日本人スタッフを全員解雇。
新たに技術力のあるイタリア人スタッフの採用に踏み切ったというエピソードもあります。
かなりストイックな姿勢で臨んだ1994年の仙台ハイランドでは4位入賞を獲得。
有力プライベートチームとしてその後の活躍が期待されましたが、国産ワークスチームが勢力を急激に拡大してきた事もあり、なかなか好成績が収められないまま1995年限りでJTCCを去っています。
ドライバーはジャンバティスタ・ブージ選手や桧井保孝選手が担当。
SUBARU IMPREZA SPORTS WAGON
シムスレーシングチームが1996年に投入したインプレッサワゴンのJTCCマシン。
スバルワークスチームが頑なに4WD&ターボエンジンでラリー活動を行っていたのに対し、このマシンは後輪駆動&自然吸気エンジンというインプレッサらしからぬスペックを持っていました。
しかもワゴンでの参戦はかなりの話題性があったようです。
エンジンは市販車の上位グレードに搭載されていたEJ20型ではなく、1.8リッターのEJ18型をボアアップして搭載。
自然吸気の水平対向エンジンで290馬力を発生しています。
シリーズを戦いながら開発が進められ、インプレッサワゴンは徐々に戦闘力を増していったのです。
トヨタワンメイクと化した1998年シーズンにも唯一の他社マシンとして登場。
松田秀士選手や、当時の全日本F3に参戦していたセバスチャン・マルティノ選手がステアリングを握っています。
まとめ
第1弾「喧嘩上等の真剣勝負!ハコ車の日本一決定戦 JTCCを戦ったマシンたち」から引き続いて全日本ツーリングカー選手権を取り上げてきました。
日本のツーリングカーレースが一気に進化した1990年代において、短くも華々しく散ったJTCCという大輪の花は、後の全日本GT選手権や様々なカテゴリーに大きな影響を与えています。
本来どこにでもいる親父セダンであるはずのマシンが劇的な変化を遂げ、甲高く乾いたエキゾーストノートを轟かせる姿にモータースポーツファンは魅了されたのです。
以前に取り上げたグループAラリーに登場するマシン同様、その最大の魅力は「誰もが共有できた”非日常”」だったのではないでしょうか?
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