2016年のスーパーGTで見事シリーズチャンピオンに輝いたVivaC Team TSUCHIYA。1年かけてトライしてきたタイヤ無交換作戦が功を奏したこと、若手の松井孝允の急成長ぶり。彼らが栄冠を勝ち取れた理由は色々ある。しかし、一番の要因は何と言っても「土屋武士」の存在だった。チームオーナーであり、エンジニアであり、そしてドライバーでもあり…。三足のわらじを履いて挑戦し、掴み取った最初で最後の栄冠。その裏側に迫る。
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今季限りでスーパーGTでのレギュラー参戦を終了
「まだオフレコなんだけど…」と彼が今季限りで第一線を退くことについて、筆者が初めて聞いたのは7月ごろ。ちょうど“今年のVivaC 86はチャンピオンを獲得するほどのポテンシャルがあるかもしれない”、そう感じて本格的に取材を始めた頃だった。
昨年、VivaC Team TSUCHIYAとして松井孝允を起用してチームを復活。自身としてもチームを率いる立場でサーキットに戻ってきた。マシンはGTAが新しく開発したマザーシャシー規定のトヨタ86。第3戦タイでポールポジション、第6戦SUGOでは見事優勝を飾るほどの活躍を見せた。
実は、その優勝記者会見で引退を匂わす発言をしていて、もしかすると近いうちに何か動きがあるのではないか…。そう感じていたが、ついにその時がきた。
とにかく苦労が絶えなかった彼が、どんな形で今シーズンを締めくくるのか、それを追いかけることにした。
苦労と努力の繰り返し
スーパーGTの前身にあたる全日本GT選手権時代からGT500、GT300の両クラスで活躍し、チャンピオン争い絡んだこともあった土屋武士。全日本F3やフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)にも参戦するなど、レーシングドライバーとして幅広く活躍。現在ではスーパーフォーミュラのテレビ中継で解説を担当することもある。
しかし、彼のレース人生は決して順風満帆ではなく、どちらかというと苦労の連続だった。
フォーミュラカーの方では全日本F3で毎年上位に位置しながらも、チャンピオンを獲得できず。フォーミュラ・ニッポンへのステップアップチャンスもなかなか掴めないでいた。
そこで彼は、これまで貯めたお金を全てつぎ込み2000年のフォーミュラ・ニッポン第9戦MINEラウンドにスポット参戦を果たし、ポイント獲得はならなかったが見事完走。それがきっかけて翌年からフル参戦のチャンスを得る。
しかし2位表彰台は何度かあったものの、優勝を勝ち取ることができず2008年いっぱいでフォーミュラは引退した。
GTで印象に残っているといえば、1999年のGT300。シーズン3勝しチャンピオン獲得の可能性も大きかったが、わずか1ポイント差で惜敗。奇しくも相手は父春雄氏が率いる土屋エンジニアリングだった。
2000年代に入ってGT500にも参戦。土屋エンジニアリングでレクサスSC430を走らせていたが、2008年をもって参戦を一旦終了することになる。その後「SAMURAI Team TSUCHIYA」として自らチームを率いて参戦するが、こちらも2011年を持って活動休止。
その後は、1人のドライバーとしてGT300に参戦を続けていたが、“最強プライベーター”と恐れられた土屋エンジニアリング復活を、彼は1%も諦めていなかった。
打倒ワークスを目指す最強プライベーターの復活
そして2015年。GTAが考案した新しい参戦車両「マザーシャシー」の第1号として製作されたトヨタ86。ちょうど、このシェイクダウンテストなどにも携わっていたこともあり、そのマシンを使って再びTeam TSUCHIYAを復活。久しぶりにエントリーリストに「土屋エンジニアリング」という名前が帰ってきた。
大口の企業スポンサーはほとんどなし。チームを支えているのは、彼の想いに賛同してサポートしてくれる仲間たちだ。
それまでは純粋にレーシングドライバーとして参戦していたが、この新体制では自らがエンジニアになりチームへの指示出しも行なっていた。いつしか「走るエンジニア」とも言われるようになったが、緻密な戦略と、精度の高いセットアップが要求される今のスーパーGTでは、もちろん前代未聞のチャレンジでもあった。
トップチームのように潤沢な資金があるわけでもなく、最小限の設備と少数精鋭のスタッフたちで構成。マシンもポテンシャルが高いFIA-GT3車両ではなく、GTAが新規格として開発したトヨタ86マザーシャシーを使用。特に昨年はデータロガーを使わずにレースをしていたほど。
そこにあった想いは、若い職人・若いドライバーたちを育てること。そして、最新鋭の技術を揃えるワークスチームに、真っ向勝負を挑んでいく、昔ながらのプライベーターチームを復活させることにあった。
「いつか親父がやっていた“最強プライベーター”というチームを復活させたいなと思っていたし、それをしなきゃこのレース界が盛り上がらないんじゃないかと思っていました」
「スポンサーってほとんどいなくて、仲間しかいなかったです。僕がやりたいことを応援してくれる仲間だけで、この2年間走らせてきました。仲間たち全員の力で、スーパーGTのチャンピオンをとれた、このストーリーの結末がこうなったのは非常に自分としても感慨深いし、その中の一つとして“若い職人を育てる”というのをテーマとして掲げていて土屋春雄が生きているうちにやりたいなという思いもあって、ドライバーもメカニックもこういう面倒くさいガンコ親父がいるという環境を復活させたかったという思いも大きくありました」
松井孝允をGT500へ…
ついに実現した職人魂溢れるチームの復活。そこにパートナーとして選んだドライバーは松井だった。
実は、チーム再結成当時は他にも候補として名乗り出ていたドライバーもいたというが、彼は同じように苦労しながらを上を目指そうとする松井と一緒にやり、彼を育ててGT500に送り出すと決めたという。
彼もFTRS(フォーミュラ・トヨタ・レーシング・スクール)を受講後、トヨタの育成枠であるTDP(トヨタ・ヤング・ドライバーズ・プログラム)の一員に選ばれ、FCJなどに挑戦していたが、2008年でその枠を外されることに。
ちょうど土屋エンジニアリングが活動を一時終了したのと同じ年だった。そこからサムライガレージのスタッフとして頑張りながら、様々なレースに参戦。その姿を一番そばで見ていたからこその起用だったのだろう。
「ちょうど同じ時に苦しい思いをしていたので、こうしてチームを作った時には松井と一緒にやろうと思っていました。正直、昨年デビューした時は“松井孝允って誰?”という印象が多かったと思いますが、僕はこうなることを信じていました」
「彼の成長は僕の想像以上で、圧倒的に速さで言えば突き抜けたので、これは自信を持って上(GT500)にお勧めできます。ただもっと強くなって行った方が良い。個人的には上に行ったら、レギュラー全員やっつけるくらいの状況にして行かないと、スカラシップのシステムとか色々あるので、そんなの関係ないくらいの強くなって行って欲しいなと思います」
来年は25号車のエースになることが確実と見られているが、本当に松井がGT500マシンのステアリングを握っている日も、そう遠くないかもしれない。
頭が真っ白になるほど、待ち望んでいた歓喜の瞬間
第8戦のレース後半。土屋武士はサインガードからいつも通り“エンジニアとして”チームのメンバー、そしてドライブしている松井に指示を出していた。
グリッド上で急きょ変更したタイヤ無交換作戦は見事的中。それをお膳立てするかのように、2年間チームメイトとして育ててきた松井がプリウスを一撃で抜き去るほどの力強い走りを披露。今回の勝因につながった2つの要素は、彼が昨年からずっと温めてきた「トップチームに打ち勝つ唯一無二の方法」だった。
そして、25号車がトップのままチェッカーを受け、シリーズチャンピオン獲得。その瞬間、中継映像にはサインガードで号泣する土屋武士の姿が映し出されていた。
「ドライバーとして、これでチャンピオンとって辞められたら最高だなと勝手に思い描いたストーリーが実際に起きてしまうと、全く何をどう表現していいか分からなくなってしまいます」
25号車はシーズン前半からランキングトップに立つなど、チャンピオン候補の一角になっていたのだが、彼は「自分達がやれることをやるだけ」「やり残しがないように準備するだけ」と、チャンピオン獲得への意気込みやコメントを避けているようにも感じられることがあった。
でも、そこには皆の期待に応えるため、チームとして結果を出すために自分の気持ちはフタをして、レース中は何も考えず、エンジニアとしての業務に徹していたという。
いつも冷静に物事を整理してコメントしてくれるのだが、チャンピオン決定後は珍しく「何を言っていいか分からない」と困っている様子だった。それだけ、彼の心の中には、ずっと収納しておいたチャンピオンに対する非常に強い想いが爆発したのだろう。
このチームを立ち上げるだけでも、相当な苦労をしてきたが、それ以上に約30年にわたるドライバー人生の中で、何度も悔しい思いをして、何度も辛い思いをして、それでも諦めずに挑戦してきたチャンピオン獲得という最終目標が達成できた。
今まで押し殺していた感情が一気に爆発した瞬間だった。
まとめ
町工場から始まったプライベーターチームが、国内外の強豪メーカーがバックアップするトップチームに打ち勝つ。
こうして文字にするだけだと“不可能”と思えることを、彼らは“可能”にした。
そしてGT300王者として迎える2017年。今度はどんな活躍を見せてくれるのか。
土屋武士は第一線を退くが、“Team TSUCHIYA”のストーリーは、まだ終わらない。
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