世界でも稀に見る多種多様なマシンで毎年激戦が繰り広げられているスーパーGTのGT300クラス。ですが、たまに出てしまう速すぎるマシン。そんな時はみんな揃って「あれはGT400だ!」と叫ぶわけです。そこで今回はそんなGT400と言われたマシンたちを様々なエピソードと共にご紹介します。
2004 M-TEC NSX
JGTC(全日本ツーリングカー選手権)最終年である2004年、NSXでGT500に参戦をしていたホンダはMRハンデなどにより苦戦を強いられる中、GT300にとんでもないマシンをデビューさせます。
前年度のGT500マシンをGT300仕様に仕立てたNSXを製作したのでした。
エンジンのデチューンはもちろん、ちょんまげと言われたエアインテークを取り外したり(最終戦ではエアインテーク装着)ドアミラーをわざと純正にする程度の改造に収まっていたため、ルックスは完全にGT500そのものでした。
GT500のようなメーカーワークス同士の戦いではなく、プライベーターによる戦いの場であるGT300でメーカーワークスによって鍛えられたマシンは速いに決まっています。
この手法には様々な批判もありましたが、M-TEC NSXはシーズンを通して安定した速さを見せ、最終戦鈴鹿ラウンドでは優勝を飾りました。
これによりARTAガライヤを1ポイント差で逆転し、参戦初年度にシリーズチャンピオンを獲得しました。
その裏には、後のGT300チャンピオン請負人の山野哲也選手、そして八木選手の活躍もあったからこそだと思います。
それにしても完全にGT500の外観を持っていること、そしてチャンピオンを獲得する速さを兼ね備えたM-TEC NSXはGT400と言える一台でしょう。
2008 クスコDUNLOPスバルインプレッサ
クスコレーシング×インプレッサの歴史は長く1997年の最終戦から参戦。
当初はFRレイアウトのインプレッサで参戦していましたが、空力などの面で不利なために下位に沈むことが多かったため、2006年にインプレッサ本来のAWDレイアウト化に踏み切ります。
しかしAWDシステムによるトラブルなどで本来のポテンシャルを引き出せませんでした。
2007年に山野哲也選手が加入したことでチーム力の強化とマシンのポテンシャルが大幅にアップ。
そして2008年、熟成されたクスコインプレッサはシーズン序盤から強さを発揮します。
開幕戦鈴鹿での6位入賞から、第二戦では3位表彰台を獲得。第三戦富士ではファステストラップを連発しトップ独走もペナルティやトラブルにより18位に。
そして迎えた第四戦セパン戦。
ウェットコンディションの中、AWDの利点を生かしポールtoウィンを達成。初優勝を飾りました。
シーズン後半では、SUPERGTの鉄則で上位のマシンに課せられるウェイトハンデにより苦しめられることとなります。
しかし、苦しめられたのはウェイトハンデだけではなかったのです。
このインプレッサはAWDと4ドア車ということで特認車であったということもありますが、「これじゃ速すぎる…!」と思ったGTAは、半端じゃない性能調整を入れたのでした。
開幕戦で1100kgだった車重が徐々に増えていき、初優勝を飾ったセパン戦の後には1275kgにまでなっていました。
それにポイントによるウェイトハンデが60kg積まれた訳ですから、合計235kgも重くなってしまったのです。
それでも最終戦では見事3位入賞し、シリーズランキングでは6位で終えました。
もし性能調整が入らなければ…と考えると恐ろしいマシンですね。
ここまで酷い仕打ちを受けてもなお速さを見せたクスコDUNLOPスバルインプレッサはGT400と言える一台でしょう。
2012 triple a vantage GT3
2012年、A speed は吉本大樹選手、星野一樹選手と強力なドライバーを迎え、昨シーズンから使用するV8ヴァンテージGT2に変わり、第二戦富士よりV12ヴァンテージGT3を投入します。
ちなみにこのマシンは世界第一号車だそうで、本シーズンの規定変更により多くのGT3車両が参戦する中、英国はアストンマーティンのV12ヴァンテージGT3がどれほどのパフォーマンスを見せるか注目されました。
アストンマーティンの美しいスタイリングに5.9リッターV型12気筒エンジンを搭載し、荒々しくも官能的なエキゾーストノートを響かせるtriple a vantage GT3は当初から多くのファンを釘付けにしました。
デビュー戦の富士スピードウェイ戦では、テスト走行も十分にできていない状態にもかかわらず、危なげのない走りで、いきなり3位表彰台を獲得すると、続く第三戦セパンでは、ギアボックストラブルで2速が使えない状況にありながら、予選14位スタートからなんと3位入賞!
すでに圧倒的なポテンシャルの片鱗を見せるtriple a ヴァンテージ GT3は、夏の大一番、第五戦鈴鹿1000kmレースで離れ業をやってのけます。
練習走行からトップタイムを記録、予選ではQ1、Q2も他を寄せ付けないタイムでトップで通過します。
そして、Q3では2007年以降破られていなかったコースレコードをコンマ4秒以上上回る驚異的なタイムを記録してポールポジションを獲得!と思われましたが、予選後の車検で燃料タンクの容量違反が判明。予選タイムを抹消されてしまいました。
しかし夏の鈴鹿は1000kmの長丁場、A speedは決して諦めていませんでした。
決勝は最後尾25番手からスタート、ここから怒涛の追い上げが始まります。
スタートからわずか3周で12台を追い抜き13番手にポジションアップ、観客の視線は完全に後方から追い上げる一台のマシンに向けられます。
トップを走るマシンの2分7〜8秒台のペースに対して、triple a vantage GT3は2分5秒台で猛追!
その勢いは衰えず、7周目には6番手、8周目には3番手、9周目には2番手までポジションを上げます。
トップを走る初音ミクBMWZ4との一周2秒の差は歴然、15周目にはホームストレートエンドでアウト側から豪快なオーバーテイクを決めついにトップに立ちました。
燃費の面で不利なアストンマーティンはライバル勢のマシンよりも一回多くピットに入ることが予想されたため、その手を緩めません。
一時は2位以降のマシン全車を周回遅れにするも、度重なるクラッシュによるSC(セーフティーカー)でマージンを無くされてしまうこともありました。
しかし、この日のマシンはそれをもろともせずリスタート直後から後続を引き離しました。
優勝確実かと思われた終盤、残り17周でGT500のマシンが大クラッシュ、またしてもマージンがフイになってしまいます。
リスタート時で残り11周、ここでエンジンにトラブルが発生し明らかなパワーダウンの中、吉本選手はなんとかトップでチェッカーを受けました!
その後ウィニングラン中にエンジンから出火しましたが、無事テールtoノーズで優勝です。
わずか15周で24台を抜いてしまう圧倒的な速さは今までのアストンマーティンのイメージを覆すような快速マシン、まさにGT400と言える一台です。
2013 SUBARU BRZ GT300
2012年、スバルはLEGACY B4 GT300から受け継ぐ形で、新型スポーツカーBRZのGT300参戦を発表します。ドライバーは2008年のインプレッサ時代と同じ山野哲也選手、佐々木孝太選手のゴールデンコンビ。
2.0リッター水平対向エンジンにターボが付くスバルこだわりのボクサーエンジンは、GT300に参戦するマシンの中で最小のエンジンでした。
FIAGT3マシンの圧倒的なパワーにはストレートでは叶わなくとも軽量で低重心なBRZは、究極のコーナリングマシンを目指しました。
2013年、熟成されたBRZは開幕戦岡山から速さを見せ、ポールポジションを獲得!しかしレースでは5位入賞でした。
続く第二戦富士、第四戦菅生でもポールポジションを獲得とPPが定位置となっていたBRZでしたが、依然レースでは強さを見せられず、優勝はおろか表彰台にも1度も乗ることができずにいました。
そして第五戦鈴鹿1000km、予選ではコースレコードを更新する圧巻のラップで、定位置のポールポジションを獲得。第3ドライバーには井口卓人選手を迎えました。
鈴鹿サーキットは連続するコーナーが多く横Gのかかる時間が多いサーキット、BRZの特性にマッチした得意なコースレイアウトなのです。
決勝もPPスタートから3周で後続が見えなくなるほどの凄ましいペースで走り続けますが、中盤にSCが入るとマージンを失いレースは振り出しに戻ってしまいます。
しかし、リスタート後も安定した速いペースで後続を引き離しにかかりました。127週目、最後のピットストップで井口選手から佐々木選手へドライバー交代。
後続を約1分のマージンを築いていた132周目、優勝確実かに思われたその時リアのカナードにトラブルが発生。
タイヤにカナードが接触した状態になってしまいラップタイムはみるみる落ちていきます。
142周目、緊急ピットイン。右リアタイヤとカナードの切除を行いコースに復帰、ここで初音ミクBMWZ4にトップを明け渡してしまいます。
とはいえこの日のBRZは速く、佐々木選手も諦めませんでした。ついに147周目に追いつくと、148周目には再逆転に成功!そのままチェッカーを受け、BRZ初優勝を決めました!
実況中継解説のレーシングカーデザイナー由良拓也さんは「GT485マシンだ!」と発言。また、GT500ドライバーの安田裕信選手はツイッターにて
BRZってGT400みたい…谷口さんブロックも諦めてた(笑)
出典:https://twitter.com/hiroyasuda
とドライバー目線からもGT400マシンと認められました。
この結果は、もちろんチーム力、ドライバー力、タイヤといった総合力と天候などいろいろなことが味方した結果でもあります。
シリーズランキングでは4位に止まりました。しかしながら、全8戦の予選でポールポジションが5回(史上最多)、3位が一回、4位が二回と、ハンデがある中でも常にトップで戦ったSUBARU BRZ GT300は、誰もが認めてしまうGT400マシンでした。
まとめ
最初のM-TEC NSX以外は、リアルタイムで目撃していたので前々から書きたいと思っていたトピックでした。
記事を書くにあたって調べていくと、圧倒的な速さの裏には様々な努力やドラマがあったことを知ることができました。
また、今回ご紹介した4台のマシンのうち、3台に山野哲也選手がドライバーを務めていたことに驚いています。
16度の全日本ジムカーナチャンピオンでもありますが、三年連続異車種異チームでのチャンピオンは後にも先にも山野選手一人。
BRZでコースレコードを記録したことをきっかけに長年参戦し続けたGT300の勇退を決意したと言われています。
一からマシンを育てて最後は優勝できるマシンにする山野選手の開発力は素晴らしいですね!
普段は混戦模様のGT300クラスですが、数年に一度手をつけられないほど速いマシンが出てきます。
そんな時は「GT400だ!」と叫びながら観戦すると、独走のレースでも楽しめると思います!
[amazonjs asin=”B00E4H9OVG” locale=”JP” title=”EBBRO 1/43 SUBARU BRZ R&D SPORT SUPER GT300 2013 No.61″]